奇跡講座【レッスン170】神に残酷さはなく、私にもない。 | ヨシジンの「心の仕組みと赦しのブログ」

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奇跡講座の実践ブログです。2022年より、再度赦しに取り組んでいます。よろしくお願い致します。

正当防衛で攻撃していると考えるとき、あなたは、残酷になることが保護であり、残酷さのおかげで自分は安全だと思っているのである。


それは、他者を傷つけることが自分に自由をもたらしてくれると信じる。そして攻撃することは、自分の置かれた状態を、危険や侵略や恐れから守られるもっと良好で安全な状態に取り替えることだ、と思っていることになる。恐れから身を守ることと攻撃することが同じだという考え方は、徹頭徹尾狂っている。


何かに対して自分を防衛するとき、その何かを作り出しているのはあなたであり、あなた自身の防衛によって、それが実在性を帯び、そこから脱出できなくなっている。武器を捨てなさい。そのときはじめて、恐れを虚偽と知覚するだろう。


あなたが攻撃する相手は、外にいる的であるかに見える。けれどもあなたの防衛が、内なる敵を作り上げているのである。それはあなた自身と戦う異質な考えであり、あなたから平安を奪い、互いをまったく和解不可能に見える二つの陣営へとあなたの心を分裂させている。


想念はその源を離れないので、攻撃しているのはあなたであり、それを初めに考えついたのもあなたである。あなたは、自分の作り出した分離を信じているので、自分自身の外側を攻撃して、攻撃される相手から自分の心を分離させている。

恐れがあなたの安全となり、平安の保護者となる。

愛が敵となると、残酷さが神とならざるを得ない。


最後の妨げは、それが無であると信じることが最も難しいのである。頑丈な岩塊のごとき外観を呈し、突き通すことはもちろん、恐ろしくて乗り越えることなどできないかに見えるその妨げとは、神ご自身に対する恐れである、



この神はこの上なく恐ろしく、想像を絶するほどに残酷で、その存在を自分たちの神と認める者を一人残らず打ちのめすということになる。


今やあなたの目はキリストに属するものとなり、キリストがその目を通して見る。

父よ、私たちはあなたと同質のものです。

私たちの中に残酷なものはありません。あなたの中にそれしかないからです。

あなたの平安は私たちの平安です。

そして私たちは、ただあなたから授かったものだけで世界を祝福します。私たちはもう一度選択します。

そして、兄弟全員が自分とひとつであることを知りつつ彼らのために選びます。私たちは今あなあの救済を受けとりました。私たちは同じやり方で、それを兄弟にもたらします。また私たちを完全にしてくれる兄弟たちについて、感謝いたします。


私たちは、彼らの中にあなたの栄光を見て、彼らの中に、平安を見出します。あなたの聖性が私たちを自由にしてくださったので、私たちは神聖です。そして私たちは感謝を捧げます。アーメン。