【連れ去り問題】開業10年で動きあるか?(2021/4/12)
みなさん、ごきげんよう。
さとう社会・心理研究所の開業当初から関わりのあった事案についてのネット記事のご紹介です。
「離婚や別居に伴う子の連れ去り」という事案ですね。
開業当初から、支援者だった闘う主婦!さんからの「あの人たちを助ける方法はないか?」というご依頼で、
色々と意見を述べてきました。
わたくしが述べてきた主な意見は以下のようなものです。
時系列順で挙げてみます。
1、早期解決は不可能
2013年には、3名の当事者と新大阪駅でお逢いし、
「3年以内での解決を目指す」と仰っていたのに対し、
「5年、10年の戦略で考える必要がある」とお返事しました。
5年、10年もかけていたら子供が大人になってしまうため、
解決を急ぐ当事者には受け入れがたいお返事だったかとは思います。
ただ、わたくしは虐待、父からの暴力と15年、
母からの抑圧から20年逃れることができませんでした。
そして、虐待によって失われたものは、
母の死後20年経ち、人生の半分に至っても何一つ取り戻すことができておりません。
そんな簡単に解決できる事なら、
連れ去りの件も、そもそも、ここまでの事にはならなかったはずです。
2、親子断絶防止法は失敗する
今では共同養育支援法と呼ばれているものですね。
闘う主婦!さんも、この法律の制定に携わる活動にご参加なさいましたが、
最初からダメだとお伝えしておりました。
当時はDV防止法の悪用、連れ去りと虚偽のDVを訴える事とがセットでした。
そして、連れ去りは、単独親権制度との元、自らの親権者として有利にするためのものなので、
要は、「法律によって作り出された社会問題」なのです。
法律を定めるのは国会なので、親子断絶防止法を制定するという事は、
国会が自らの過ちを認めるようなもの。
国会議員総入れ替えならまだしも、今の法律を作った人たちが、
そんな事をする訳ないというのが、わたくしの見解でした。
ただ、この動きは勢いや機運としては歓迎すべきものでした。
わたくしも、この機を逃さず別の手も講じておこうと訴えておりました。
投資でいう所の分散投資、ポートフォリオとか言われるものです。
3、「裁判所の外での戦い」の重要性を訴え続けている
今に至るまで「引き離し」が横行している唯一絶対の理由は、
「親子断絶」が裁判所による国策として行われているからです。
要するに、裁判所で何を言っても無駄と言う事で、
わたくし自身、裁判所の外での戦いにシフトする事にしました。
そもそも、連れ去りや虚偽のDV訴えは、裁判所の外での戦いの一つで、
当時から今に至るまで、DVで訴えられた方や連れ去りの当事者は、
有効な防衛、反撃方法を有しておりません。
そこで、一つでも有効な手段の開発を急いでおりました。
一番最初に考えたのが、「ハラスメント防止教育」でした。
次に考えたのが、闘う主婦!さんとやっていた
「裁判所による面会交流制度の運用を監視する会」でした。
現在、最も新しいのが、「DV防止法改正の陳情書」です。
これらの詳細は長くなるので省きますが、
研究所のサイトにも公開可能な請願書を15本ほど挙げております。
4、わたくしが提案してきたことと現状との関係
昨年は、EUが日本の親子断絶について非難決議を行ったらしく、
SNSでは歓迎のお声を見かけました。
その時期、わたくしの面会交流調停のクライアント、海外の方ですが、
度重なる相手からの親子断絶の訴えが認められ、
とうとう、お子さんと逢う事ができなくなってしまいました。
この前年、面会交流調停が落ち着いた際、
「裁判所の外での戦い」をお勧めしたのですが、
やはりお子さんと過ごせる時間に対する嬉しさとお疲れがあったのでしょうね。
やんわりと断られてしまいました。
その1か月後、面会交流時のトラブルを口実に、
親子断絶の訴えがなされたとメールをいただきました。
わたくしがクライアントとやりたかった「裁判所の外での戦い」を、
相手から仕掛けられてしまったのです。
あの調停の後、裁判所の外での戦いを通じ、
クライアントの面会交流を守りたかったのですが、
わたくしの力不足で相手に先手を奪われ、
せっかく維持できた面会交流をすべて失ってしまったのは痛恨でした。
先の通り、わたくしは、「引き離し」について、2013年に「5年、10年で考える必要がある」とお伝えし、
採用されなかったため、何もしないまま、8年になります。
先日、将棋のプロ棋士だった方が、ご自分のお子さんが連れ去られた事で声を上げ、
大々的に活動を始めていらっしゃる様です。
早期の解決を願っております。
『「橋本崇戴」八段インタビュー「なぜ“連れ去り”で将棋を引退したのか、全てお話します」』(デイリー新潮、2021年4月12日)
「連れ去り」。「実子誘拐」とも呼ばれる夫婦間で起きるこのトラブルは、長い期間、日本社会で置き去りにされてきた。だが、人気棋士の橋本崇戴・八段(38)が引退の理由として挙げたことで、いまにわかに大きな関心を集めている。プロ棋士という輝かしいキャリアを手放さなければならないほど、彼を追い込んだ「連れ去り」とは、いったい何だったのか。橋本氏に話を聞いた。
街頭演説に立った橋本氏
突然の引退表明から1週間経った週末。東京・新橋駅前の広場でマイクを握り、道ゆく人々に呼びかける橋本氏の姿があった。
「子供の連れ去りは誘拐、犯罪です。法改正までもうあと一歩です。未来を変えていきましょう。この声が上川(陽子)法務大臣に届くように、みなさまどうか応援をどうぞよろしくお願いします!」
約100人の聴衆たちから沸き起こる万雷の拍手。その大半が橋本氏と同じ「連れ去り被害者」たちだ。いま橋本氏は“勝負師”から一転、「連れ去り被害」たちが担ぎ上げる“ヒーロー”のような存在となっているのだ。
11歳で奨励会入りし、18歳でプロ棋士デビュー。20代の頃、金髪にパンチパーマの出で立ちで対局に臨んだ姿から、ついた渾名は“棋界の異端児”。将棋界の最高峰・順位戦A級リーグに在籍したこともある橋本氏の突然の引退表明は、棋界のみならず社会を驚かせた。
背景にある「単独親権制度」
その理由が「連れ去り」だったと明かされたのは4月2日のことである。
「これは本当に社会問題となっている事象で、いま私は被害者として巻き込まれている。この事実を一人でも多く知ってほしいと思い、このチャンネルで告発することを決意致しました」
自身のYouTubeチャンネルでこう語り出した橋本氏は、現在も1日1回のペースで、連れ去り問題について私見を述べる動画をアップし続けている。
「デイリー新潮」でも度々取り上げてきた「連れ去り」とは、夫や妻がある日突然、子供を連れて家を出てしまうことだ。その日を境に、残された方の親と子供は引き裂かれてしまう。このようなトラブルが日本社会では多発し、2018年からは国の立法不作為を問う6件の国家賠償請求訴訟が立て続けに起きた。
背景にあるのは、日本特有の親権制度である。日本では民法の規定で、離婚するとどちらか一方しか親権が持てなくなる「単独親権制度」が採られている。そのため、いざ夫婦関係が破綻した時、黙って子供を連れ去ってしまう親が後を絶たないのだ。問題なのはその後、裁判所で親権が争われる時、連れ去ったほうが圧倒的に優位に立てる“システム”が出来上がっている点である。
出産後4カ月で起きた“連れ去り”
橋本氏が訴える。
「裁判所が重視するのが『監護の継続性』です。私のように連れ去られた親が“子供を返してほしい”と訴え出ても、裁判所は、いまの環境を変えてしまうと子供の心身に悪影響を与えてしまうと退け、面会すら認めないのです。このような司法の慣例が、”連れ去り勝ち”を許しています。私の場合もそうでした」
橋本氏は2017年に、約1年間の交際を経て妻と結婚。関西地方にあった妻の実家近くに引っ越し、対局がある日は東京に通う日々を送っていたという。
「裁判の関係もあるので、すべてを詳細にお話できないのですが、もともと妻は精神的に不安定なところがありました。ただ、待望の妊娠が分かってからは、子供ができる喜びから精神状態も改善していき、ほっとしていたのです」
2019年3月に長男が誕生。やがて慣れない育児などを巡って、気づかないうちに夫婦間に亀裂が入ってしまったという。
「妻の負担を少しでも軽くするため、家にいる時は率先して家事を引き受けていました。お風呂に入れ、寝かしつけるのは私。待望の子宝に恵まれ、私自身は夫婦円満にやっているつもりでした。しかし、出産から4カ月ほど経ったある日、些細ないざこざがきっかけでLINEで言い争ってしまう”事件”が起きました」
弁護士から届いた一通の書類
その一回の言い争いが”決定打”になってしまったという。喧嘩した2日後の7月18日、橋本氏が対局から帰ると「一緒に暮らしたくない」という書き置きだけが残されていた。妻は息子を連れて、実家へ帰ってしまったのだった。
「その後、妻の両親を呼び出し、話し合いを求めましたが、埒があきません。しばらくして妻とようやく話し合いの場を設け、息子とも会えたのですが、妻は話し合いの途中で息子を抱きかかえて出ていってしまいました」
すると、翌日、妻の弁護士から書面が届いたという。
「婚姻関係が破綻した理由は、私が一方的に何時間にもわたって責め続ける態度が原因である。慰謝料を払えと。全く身に覚えのない話でした。ちなみに、私は妻に暴力を振るったことも、浮気をしたこともありません。すぐに弁護士に連絡して詳しい説明を求めましたが、話になりませんでした。息子に会わせてほしいとお願いしても、“1カ月に3、4時間程度、母親の監視付き”という受け入れがたい条件を提示してくる。そこで、私のほうも弁護士を立てて争うことにしたのです」
子供の写真立てを叩き割った日
橋本氏は「監護者指定」と「子の引き渡し」を家庭裁判所に申し立てたが、いずれも認められなかった。
「ろくに調べてもらえないまま却下されました。裁判官は、別居に至るまでの経緯なんてまったく見てくれない。“シングルマザーはかわいそう”という視点ありきなのです。彼らは司法の常識に毒され、一般的な感覚を持ち合わせていない。
裁判官同様に悪いのは、離婚をビジネスにしている一部の弁護士たちです。彼らは財産分与や婚姻費用などから成功報酬を得ています。だから、話し合いで夫婦仲を修復しようとしないどころか、あえて引き裂こうとする。私は妻というよりは、『連れ去り』を画策し、容認している弁護士や裁判官が許せないのです」
離婚調停は不調に終わり、いまは離婚訴訟中だ。1年7カ月もの間、息子と会えない日々が続いてきた。
「スーパーや公園を通りがかると、幸せそうな親子連れとすれ違います。その度に動悸が激しくなり、吐き気が止まらなくなる。死にたいと思ったことも一度や二度ではありません。
一番辛かったのは、家庭裁判所から『監護者指定』の審判書が届いた時でした。私の精神に不安定な面が見受けられるなどと、人格を否定する文面があった。厳しい現実を知り、もう息子に会えないんだなって思った瞬間、部屋に置いてあった子供の写真立てに手が伸びて、叩き割っていました」
将棋を指す姿を息子に見せたかった
とても将棋など指せる状態ではなかったという。精神科で「心身疾患と鬱病」と診断され、昨年10月には休場せざるを得なくなった。
「外国では『連れ去り』は犯罪とみなされ、母親であろうとも逮捕されます。しかし日本では、被害者が加害者のように扱われてしまうのです。向こうには親子揃った家庭が維持され、こっちは一人ぼっち。さらには婚姻費用やら養育費を請求され、あたかもATMです。こんな不条理が許されていいはずがありません。
私が息子と過ごせた時間は、たった4カ月です。ハイハイを始め、つかまり立ちして、歩き出す。子供の成長は一生に一度しか見られない瞬間ですよね。私はそんな親として本来得られる喜びをすべて奪われ、このコロナ禍でたった一人で耐え続けたのです」
最後は将棋人生に、自ら終止符を打たなければならない状況まで追い込まれた。
「本当はNHKに映る、私が勝つかっこいい姿を息子に見せたかった。ただ、もともとファンに無様な姿を見せてまでも将棋を続けていくつもりはありませんでした。もちろん30年続けてきた将棋から離れるのは寂しいですが、いまはそんな感傷に浸るような気持ちではありません」
とにかく、怒りがこみ上げて仕方がないというのだ。実際、彼のYouTube動画には、裁判官などに対して、感情丸出しの過激な発言が散見される。
「それだけの絶望を経験してきましたから。息子といつ再会できるかどうかはわかりません。彼が成長して会いたいと訪ねてきても、その時、私は生きているかどうかはわからない。けど、たとえ息子が取り戻せなくても、この体験を社会に広め、二度とこのような悲劇が起きない世の中にしたい」
政界進出も視野に
連れ去りを防止するために必要なのは、夫婦関係に関わる民法の見直しである。今年2月に上川法務大臣は法制審議会に対し、離婚後の養育をめぐる課題解消に向けた制度見直しを諮問した。現在、議論が積み重ねられている最中だ。
「何としても、上川大臣に私たちのこの怒りを届けて、法を変えてもらいたい。もしそれが難しいならば、私自身が政治家になって法律を変えるくらいの覚悟でやっていく所存です」
むろん、夫婦間の問題である限り、妻側の言い分もあるであろう。だが、はっきり言えるのは、この問題の最大の被害者は子供たちであるということだ。彼らはある日突然、夫婦の諍いに巻き込まれ、父や母を失ってしまうのである。橋本氏の“怒り”は社会を動かせるのか。今後の活動に注目していきたい。