具体的に救われたい方、誰かを救いたい方へ(2020/1/8) | さとう社会問題研究所・心理コンサルティングのブログ

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法律や政策により苦しめられている方たちもいます。


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クライアントの抱える様々な問題解決のため、助言を続けています。

具体的に救われたい方、誰かを救いたい方へ(2020/1/8)

 

みなさん、ごきげんよう。

 

お正月の空気が落ち着いたと思いますので、

 

昨年の記事の続きを書き始めたいと思います。

 

 

なぜ父は助からなかったのか?(2019/12/28)

 

 

昨年最後の記事を読んだ方から、

 

ご自身の親子関係についてのお話をメールでいただいておりました。

 

カウンセリングを行っている立場上、

 

依頼のない方に対しては、いただいたメールに個別の返答はできません。

 

ただ、目は通させていただいておりました。

 

 

やはりというべきか、「親子の間に気持ちが通じた事がない」という事、

 

わたくしとの大きな違いは、いただいたメールの方たちは、

 

みなさん、その事に苦しんでいらっしゃるという事でした。

 

 

今回は、わたくしの知る限りの事について、

 

具体的に救われたい方、誰かを救いたい方に向け、

 

敢えて当事者、支援者とはせず、

 

立場ではなく、広く気持ちのある方に向けてお話させていただきます。

 

 

前記事の通り、わたくしの父は何もしない人でした。

 

そのくせ助けを期待して、中途半端にそれを得られていたことが、

 

60歳で死ぬ事になったのだと考えております。

 

母も祖母も、父を助けようとしておりましたが、

 

結局、何もできぬまま、時間だけが過ぎてしまい、

 

母は父に愛想を尽かして捨てざるを得ず、祖母は寿命が尽きてしまいました。

 

 

そのため、苦しみを抱え、助けて欲しい方には、

 

1、ご自分が何に苦しんでいるのか?

 

2、誰に、何をして助けてもらいたいのか?

 

を、まずはご自分で整理してみて下さい。

 

そして、それを、周囲の方たちにお話ししてみて下さい。

 

 

父が苦しんでいた事。

 

死ぬ時まで苦しみ続けていた事は、わたくしも存じておりました。

 

ただ、父は自分では何もしない人で、

 

多くの社会問題の当事者が、「助けて」の声も挙げられないのと同じだったのかも知れません。

 

 

母も祖母も、父を助けようと関わっておりました。

 

ただ、父は本当に、自分では何もしない人でした。

 

その上、何も言わない人でした。

 

 

父は、祖母が亡くなった際も、「政府がやれよ」と言っていたくらい、

 

「自分がしなければ、誰かがやってくれる」という典型的な人でした。

 

父が、今まで生きてこられたのは、

 

母や祖母が、父を養っていたからに過ぎません。

 

 

そういう、何も言わない上に、

 

自分の事すらしない人だったので、当然のことながら、

 

母や祖母から差し伸べられた手を握る事もなかったです。

 

 

こういう時、誰かを責める事で問題を解決した気になる人が多いので、

 

書いておきますが、本人の怠けや周囲が放置したという事ではないです。

 

周囲の人たちは、助けようと助けたいと必死なのです。

 

本人も助かろうと必死だったと思います。

 

ただし、願いのレベルに止まってしまい、

 

思考と行動、言動が伴わないのではないか?と思います。

 

 

これは、プロの支援者であるわたくしにとっても、大きな課題となりました。

 

専門家、支援者など、困っている人、苦しんでいる人をお助けするお仕事はありますが、

 

その支援は、本人からのご依頼がなければやってはいけないのです。

 

「できない」のではなく、「やってはいけない」のです。

 

本人の望まない支援と言うのは、

 

支援者がやりたい事を押し付けているに過ぎず、それは支援ではなくお節介、

 

より正確に言うと、「迷惑行為」なのです。

 

 

もちろん、何かしらのアクション、お問い合わせなどですね、そういうものがあれば、

 

提案できることもありますが、

 

何もしなければ支援者が顕れて代わりにやってくれる、という事は絶対にありません。

 

 

父は、それに期待する典型的な人でした。

 

当然、支援者など顕れません。

 

祖母や母が何を言っても、「うるさいなぁ」で終わりましたし、

 

祖母や母が苦しんでいる時は目もくれなかったのに、

 

「俺は苦しんでいるんだ」とは抜かしていました。

 

 

祖母だけではなく、母すらも、

 

死ぬ時まで苦しみ、自分の不遇と戦い続けた人でした。

 

対して、父は、自分が苦しんでいるからと、祖母や母を顧みる事なく縋り続け、

 

死ぬ時まで、わたくしの自己犠牲に期待をし続けた人でした。

 

 

もちろん、わたくしも、母との未来、

 

祖母と父との未来は思い描き続けておりましたが、

 

父が最後まで何がしたかったのか、

 

語る事がなかったため、何もする事ができませんでした。

 

 

何より、ここでも、わたくしと父との間には、

 

大きな溝が残っておりました。

 

プロであろうと支援者であろうと、所詮は人間なので、

 

一度でも暴力を振るってしまえば、

 

その瞬間、信頼関係など消えてしまいますし、

 

それが、「最初から」だと、

 

信頼関係どころか、関係性すら構築できません。

 

 

なぜ父は助からなかったのか?

 

自分では何もしようとしなかった。

 

他人の自己犠牲に期待をし過ぎた。

 

もう少し、何か言っていれば、

 

少なくとも、あの男が何に苦しんでいたのかくらいは知る事が出来たと思います。

 

 

さとうかずや(さとう社会問題研究所