
前回の続き…
2020年9月19日~21日、シルバーウイーク4連休のうち前3日間は、新型コロナウイルスの感染拡大が収まりつつあったと判断し、2泊3日の日程で関東地方へ乗り鉄・降り鉄(途中下車)に出かけました。
但し、新規陽性者数の多い東京都と神奈川県はできるだけ避けつつ、新規陽性者数が比較的少なく、私の地元・兵庫県と同レベルの千葉県、埼玉県を中心に回りました。宿泊は東京都内でしたが。
今回は初日終盤の内容です。
午後から夕方にかけては千葉県松戸市の馬橋駅と流山市の流山駅とを結ぶローカル私鉄路線・流鉄流山線を乗り鉄して、全駅を訪問しました。
流鉄の全駅制覇後は常磐線で東京・上野へと移動し、御徒町で宿泊しました。
今回の日程 2020年9月19日 (土) 【その3】
新松戸/幸谷1441(流鉄流山線)1444小金城趾1504(普通)1506鰭ヶ崎1522(普通)1524平和台1539(普通)1541流山1614(上り普通)1625馬橋1659(常磐緩行線)1704松戸1707(常磐快速線・快速)1727上野(徒歩)御徒町
【宿泊】
JR線の新松戸駅を降り鉄後は、流鉄の幸谷駅へ。新松戸駅西側の武蔵野線高架橋脇に出入口がありますが、分かりにくかったです。駅は出入口の少し先にある踏切を渡って右へ曲がった所にあり、マンション「流鉄カーサ新松戸」の1階部分に駅舎があります。私は窓口で「流山線一日フリー乗車券」(500円)を購入してから入場して1面1線のホームを観察しました。流山方面への電車を待っている人が一定数いました。そして数分後に14時41分発・流山行きの電車がやって来ました。車両は元西武新101系の5000形5003F連で、車体が赤色の「あかぎ」号でした。始発の馬橋駅からの乗客がそこそこいた上に幸谷駅からの乗客が加わったため後部車両はほぼ満席となり、私はドア脇に陣取りました。

道中は車窓風景を眺めましたが、次第にローカルムードが増していきます。沿線には畑も見られました。そして私は1駅目の小金城趾駅で下車しました。流山線内唯一の交換可能駅かつ橋上駅舎を有する駅ですが、乗降客は少なかったです。また橋上駅舎の北東側には大金平県営住宅が駅ビルのような形で存在していましたが、耐震性の問題で2015年に解体され、跡地は駐車場になっていました。駅前は閑静な住宅街です。ちなみに駅名の由来となった小金城趾は駅の東約550mの大谷口歴史公園とその周囲にありました。


小金城趾駅では1本後の15時04分発・流山行きに乗車しました。今度はピンクの車体の5001F「さくら」号でした。乗り込んだ後部車両は比較的空いていて、私は着席して水分補給をしながら車窓風景を眺めて道中を過ごし、次駅の難読駅・鰭ヶ崎駅(ひれがさきえき)で下車しました。当駅から先は全て流山市内にあります(小金城趾駅以南は松戸市)。1面1線の小さな駅で、ホーム中ほどに面して駅舎があります。駅前は住宅街になっています。尚、当駅の南西約800mには武蔵野線、つくばエクスプレス線(TX線)の南流山駅がありますが、とりわけ都心直結のTX線の開業後はTX線への乗客の転移が激しく、鰭ヶ崎駅の1日平均乗車人員は激減してしまいました。


鰭ヶ崎駅からは後続の15時24分発・流山行きに乗車。5003F「あかぎ」号でした。この時間帯は「あかぎ」と「さくら」の2編成が運用に就いていました。後部車両の車内はガラガラで、着席した状態で道中は車窓風景を眺めて過ごし、隣駅の平和台駅で下車しました。当駅も1面1線でした。駅前は住宅街で、駅東側に駅名の由来となった分譲住宅地「平和台」があります。また、駅前のスクランブル交差点の先には「イトーヨーカドー」があります。


平和台駅では1本後の15時39分発・流山行きに乗りました。さすがに当駅から流山行きに乗る人は私を除いて誰もいませんでしたw 車両は5001F「さくら」号で、乗車した後部車両は乗客が10人ほどしかおらず、私は着席しました。道中は水分補給をしつつ車窓風景を眺めましたが、電車はすぐに終点の流山駅に到着しました。流山駅は何度か訪問していますが、昔ながらの雰囲気は今も変わっていませんでした。また、改札前(改札内)には「鉄道むすめ」と「普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。」の、2種類の萌えキャラのパネルが展示されていました。


駅舎も駅前も以前とあまり変わっていませんでしたが、東側は再開発により姿が変わっていました。但し開発途上で空き地になっていましたが…。

駅前を観察後は南西あるキッコーマン流山工場まで延びていた貨物用の専用線跡(万上線跡)を辿りました。ブログでお世話になっているamema0071さんが以前紹介されていて、私も流山駅を再訪時は探訪しようと思っていました。廃線跡は距離が短く、半世紀以上前の1969年に廃止されたとの事で遺構が見当たりませんでした。探訪は10分少々で終わりました。

流山駅に戻り、16時14分発の馬橋行きに乗車しました。車両は5001F「さくら」号でした。「さくら」号は私が流山駅と周辺に滞在している間に馬橋まで1往復していました。後部車両に乗り込み着席しましたが、発車時点で車内はガラガラでした。道中はひたすら車窓風景を眺めていました。駅ごとに少しずつ乗客が増え、小金城趾発車時点で半分程度の席が埋まりましたが、新松戸駅隣接の幸谷駅で大半が下車してしまい、車内は再びガラガラになりました。私は幸谷駅では下車せず、16時25分着の終点・馬橋駅まで乗り通しました。
馬橋駅も以前と変わらないレトロな雰囲気が残っていました。ちなみに流鉄では『Suica』『PASMO』などのICカードを利用できませんのでご注意下さい。

流鉄の馬橋駅を後にして、西口→東口の順に駅前を軽く散策しました。西口側は整然としていましたが東口側は再開発されておらず雑然としていました。

駅前散策後は『Suica』でJRの改札を通り、16時59分発の常磐線(常磐緩行線)上り各駅停車・向ヶ丘遊園行きに乗車しました。車両は直通先の東京メトロ千代田線16000系10連で、最後部車両は半分ほどの席が埋まっていて私は空席に着席し、水分補給をしつつ車窓風景を眺めました。次の北松戸駅も降り鉄しようかどうか迷いましたが、17時を過ぎて暗くなり始めた事と私自身がバテてしまったためパスして、もう宿泊先の東京・御徒町のホテルを目指す事にしました。そして私は2駅目の松戸駅で下車しました(17:04着)。

松戸駅では常磐快速線ホームへと移動し、17時07分発の快速・上野行きに乗り継ぎました。E231系10連+5連の長大15両編成で、私は最後部車両(付属5連側)へ。車内はガラガラで、着席しました。道中は車窓風景を眺め続けましたが、段々と暗くなってきました。北千住駅からは各駅に停車し、日暮里駅ではより一層ガラガラになりました。そして快速は17時27分に終点の上野駅(高架ホーム)に到着しました。

上野駅到着後は橋上階にある書店で鉄道趣味誌「鉄道ファン」と「鉄道ジャーナル」を購入してから駅を出て、御徒町方面のJR線高架橋沿いにあるラーメン・中華料理の「福しん」で夕食を済ませました。最近は東京に来ると必ず「福しん」で食事をしていますが、今回はチャーハンと餃子、半ラーメンのセットを食べました。価格は710円で、安くて美味しかったです。


夕食後は高架橋沿いの商店街を南へ歩き御徒町を目指しましたが、6月訪問時と比較して人が多かったです。それでも1年前と比較すると少なかったのですが…。御徒町に到着後はコンビニで買い出しをしてからホテルにチェックインしました。すぐに入浴を済ませてベッドで横になり、テレビ番組「クイズ99人の壁」の鉄道特集を観ながら先程購入した鉄道雑誌を読んでいましたが、睡魔に襲われて21時頃には寝ていました。
(つづく)
今回の新規探訪廃線跡
流鉄(総武流山電鉄)・流山駅……キッコーマン流山工場への貨物線跡 (約0.3km)
(参考:アメブロ「続アメマのおとしもの」、Wikipedia)