私は花を育てるのも見るのも好きだ。

花の名所を訪ねるのは、もはや趣味と言ってもいいくらいのレベルだと思う。

 

なぜこんなに、花が好きなのかというと、母が好きという影響はあると思う。庭や畑にたくさんの花を植えて私に花の名前を教えてくれた。

 

しかし、それだけではない。

20代の後半、とても辛いことがあった。立ち直れず、一人暮らしだったので、夜その辛い経験を忘れられず涙が止まらなかった。静かに泣くのではなく、嗚咽し身をよじるように丸めて泣き続けた。気がつくと朝だったこともあった。

 

泣きつかれて寝るのは、赤ちゃんだけじゃないのだと思った。

 

生きるために仕事は続けていたが、仕事が終わったら、辛い出来事を考えてしまうので、心は疲弊するばかりだった。食欲がなかったので、体重も減る。(今の私の体重から20キロは少なかった)

 

お金はあったので、一人でフランス料理なんか何軒か食べたけど、味がしなかった。不思議なことに、別々のお店なのに、頼んでもいないワインだとかデザートが運ばれてきてびっくりした。一人で高級料理を食べる私が可哀そうに思えたのかな。

 

気晴らしに英会話喫茶に行って、英語で雑談をしていたら、ある外国人男性に隅の方にくるように言われた。内緒で話があるという。新手のナンパかと思ったら、違った。

 

「薬をやっているだろう。自分はやっていたのでわかる。君は明るく話しているけど、それは無理をしているのが痛いほどわかる。何か辛いことがあるのかもしれないが、薬は絶対やってはいけない。」

 

英語で説教されてしまったわ。そんなことはやっていないと必死で誤解をといたが、それほど、負のオーラが出ていたのだろう。

 

そんな辛い日々、お天気の良い日に、ふと道端に愛らしい小さな青い花が目に入った。子供の頃、春先によく目にした花だった。

 

キラキラ光る陽の中で、しゃがんで、小さくても精一杯に花びらを広げている花を見ていると、えらいなと思い、無心で眺めた。

 

すると、心のどこかから「ああ、疲れた」「もういいんじゃないの」という声が聞こえた。

 

ほんの数分かと思っていたけど、時計をみると30分くらい経っていた。

その日から私はもう「辛いこと」を考えるのをやめられた。

その青い花の名前は、後に知ったがオオイヌノフグリだ。

 

少し前の福富川公園の名残の梅

 

紅梅

 

白梅

 

紅白が重なっているところもある。100メートルちょっとに12本もの梅が植えられていて、ちょっとした梅の花見ができた。

 

最近、4つの芽が出てきて、これは何かと考えていたら、もしかして去年花が終わって植えたムスカリだと思った。

 

それで、去年このムスカリを買った「アトリエB.B」に確認しに行った。

確定申告を無事提出できて、ご褒美に花を買いたかった気分もあった。

 

自宅の前に花を並べている。フラワーアレンジメントやリースを教えていたり、依頼されて展示をしたりするのがメインの仕事のようだ。

 

先日見に行った木場公園のミモザを思い出して、一枝買った。

 

お雛様用の桃の花が余っていたので一緒に挿した。手前はトイレの芳香剤のミモザ。

 

あの謎の芽は、やっぱりムスカリだった。江戸切子に水を少し入れて球根が浸るくらいにだけ水を入れた。終わったらまた植木鉢に植えよう。

 

そんなことを楽しいことを考えていたのに、この後、想像もしなかったことがおこってしまった。

 

それについては、次回書く予定だ。

 

もし、家の中に一切花を飾れなくなったとしたら、それは私の家ではない。

いろいろなことが人生にはおこる。辛い時、苦しい時、家族や兄弟や友人に助けられることはあるだろう。しかし人だけではない。自然の美しさにも人は救われる。

私は、故郷の蒼い海と、花に救われて生きてきた。