新稀少堂日記 -936ページ目

第75回「四国八十八ヶ所 二十七番札所 神峯寺(こうのみねじ)」



 第75回は、「四国八十八ヶ所 二十七番札所 神峯寺(こうのみねじ)」です。 6月29日(日)の朝を迎えます。昨夜は豪雨でした。札所間の距離は約30kmです。ロス3kmがあるため、既に歩いた距離を引きますと、残りは26kmです。


 6時半に朝食をとります。気遣いに豊むオーナーと雑談をします。コーヒーをお替りします。出発は7時半頃です。昼食を摂りましても、2時頃には着くかと思います。曇天です。天気予報は雨です。予報のとおり、断続的に、傘を必要とする雨が降ります。ですが、さほど強くはありません。


 岩に強い波が打ち付けます。ビーチの多かった室戸岬までの海岸線とは趣が異なっています。昨日までは、潮騒とうぐいすの鳴き声が同時に聞こえていました。山が海岸線まで迫っていたためです。長い海岸線を持つ室戸市ともお別れです。奈半利町に入ります。高知市に隣接する南国市を始発とする土佐くろしお鉄道のターミナルのある町です。これから二十九番札所まで、くろしお鉄道が並行して走っています。奈半利町の中心地を過ぎた時には、10時を回っています。


 12時過ぎ、安田町の役場近くに来ます。NHKの報道では、時間当たり120mmが豪雨があった地域として、安芸市、安田町、馬路村の名前が上がっていました。神峯寺への参道にも影響があるかも知れません。


 国道55号から4km歩くと札所です。国道近くに旅館がありますので、最悪の場合には宿泊可能です。緩やかな登りです。アスファルト舗装の道路です。尾根あたりに、ガスがたちこめています。雨が降っているようです。やがて傘が必要になります。遍路道がありますが、自動車用の道路を縫うように上っていく道です。


 寺まで1kmほどのところで、視界は20mほどになります。極端に視界をさえぎります。道も三箇所ほど、小さな崩落が見られます。2時前に寺に到着します。写真のとおり、視界がガスにより、さえぎられています。本堂に続く階段を登りますと、本堂と大師堂をつなぐ道路が1m強の岩でふさがれています。豪雨の影響です。晴れていましたら、美しい境内だそうです。


 参拝が終わりましたのは、2時半ごろです。麓の旅館まで4km、次の宿泊施設のある安芸市市街地までは15km。安芸市まで行くことにします。ラスト一時間には、辛いものがありましたが、ホテルに着きましたのは7時前です。ホテルは、ビジネスホテルとシティホテルの中間ぐらいの位置づけでしょうか。眼下に安芸市内と太平洋が一望できます。

第74回「四国八十八ヶ所 遍路、点と線 その4(行程と宿泊施設)」



 第74回は、「四国八十八ヶ所 遍路、点と線 その4(行程と宿泊施設)」です。今、日没が一年中で一番遅い時期です。早朝に出発し、遅くまで歩けます。後は体力だけです。体力に自身があれば、午後7時半までは歩けます。ですが、宿泊施設の問題があります。10km、20km歩かないと、次の宿泊施設に着くことが出来ない箇所が多いのです。


 宿坊のある寺も多いのですが、予約が必要なのです。それは、民宿・旅館も同じですが、多少の違いがあります。予約なしに7時半に着きまして、夕食を頼むのは、常識として無理です。遍路道を含め、国道・県道のほとんどは、人家の稀な所を通っていますので、夜間は真っ暗です。


 私は、基本的に予約はしていません。予約をしますと、体力が尽きかけても、そこまで行かざるをえません。体力に自信のある方は、予約すべきです。そして、到着予定時刻です。遅くなるようなら、連絡すべきです。


 今の季節でしたら、3時半の時点で判断することにしています。随分歩いていますので、午後遅くでは時速4km弱程度のペースになっています。7時までに着けるようなら、行くことにしています。一日のうち、歩き始めの10kmと、宿に着くまでの10kmは、大違いです。一日を終える前の5km、10kmは辛いのです。やがて慣れてくるとは思いますが、慣れただけ、ペースを上げると思いますので、基本的には、変わらないかもしれません  ?????


朝食は必ず摂るようにしています。朝5時から歩き始めれば、涼しい時間帯に距離が稼げるのですが、朝食は必ず食べるようにしています。若干遅れましても、気が引き締まるのが分ります。日没時間が早くなれば、おにぎりで朝食変わりにする必要も生じますが。部分打ちの辛さです。

第73回「四国八十八ヶ所 二十六番札所 金剛頂寺(こんごうちょうじ)」



 第73回は、「四国八十八ヶ所 二十六番札所 金剛頂寺(こんごうちょうじ)」です。傘を必要としない雨がぽつぽつ降っています。室戸の海岸を歩いていきます。3km程度歩いた後、山側を入っていきます。さらにしばらく行きますと、遍路道と分岐するのですが、気付かず自動車用の道路を取ってしまいます。


 駐車場の横に階段があります。上ったところが山門です。霊宝殿に趣があります。校倉造りです。参拝を終え、遍路道の表示に従い、下ります。ところが、この道が順打ちルート(一番から順番に回る遍路)だったのです。結局3kmほど、迂回したことになります。まあ、そういうこともあるさ・・・・。思考を切り替え、再びルート55に戻ります。


 今、3時前です。室戸市の西端の宿泊施設までは、5km程度。さらに足を伸ばすとすれば、そこから12km先まで行かなければなりません。昨日無理していますので、室戸に泊まることにしました。着きましたのは、4時半頃です。


 遍路宿との表示です。場所は、「特別歴史的建築群保存地域」(私の記憶です)の一画にあります。 部屋も、旧家の自宅とか蔵を宿泊できるように改造したものです。周囲の建物群と溶け合っているだけでなく、宿の雰囲気も趣があります。「金田一耕介」が、出てきそうな古き良き時代を連想させます。


 オーナーは趣味でやっているように思えます。入りました際、オーナーが不可思議な顔つきをされました。歩き遍路を優先的に泊めているとのことです。ジャケット・ネクタイ・革靴に、長髪です。どう見ましても、遍路には見えないとのことです。断られるかなと思いましたが、気持ちよく承諾してくれました。


 部屋に荷物を入れ、コーヒーを出してくれました。オーナーは、話し好きです。客は私一人かなと思い始めたとき、昨日から相前後していた遍路が入ってきました。やはり、地元の人の紹介のようです。


 早々にやすみました。深夜、轟音で目が覚めます。激しい雨音です。これまで降られなかった雨が、深夜に激しく降っているのです。太平洋側、特に高知の雨には激しいものがあります。果たして、・・・・。

第72回「四国八十八ヶ所 二十五番札所 津照寺(しんしょうじ)」



 第72回は、「四国八十八ヶ所 二十五番札所 津照寺(しんしょうじ)」です。最御崎寺を出ますと、下りのアスファルト舗装された道です。眼下に室戸市の市街が見渡せます。降りきると、国道と並行に走る生活道路です。交通量は少ないのですが、休憩箇所(ベンチ)もありませんし、他人の生活感が強いですので、しばらく歩いた後、国道に戻ります。


 次の札所まで6kmですので、気分は楽です。市役所が近づいたところで、漁港側に入りますと、すぐに津照寺の表示が見えます。自動車での参拝客が目立ちます。やや長めの階段を登りきると本堂に出ます。


 「・・・・増ぜず、減ぜす・・・」 質量保存の法則のような表現です。現在では否定されていますが、核反応での質量欠損と発生したエネルギーを考慮すれば、全否定すべきこととも思えません・・・・。そんなことを考えながら、般若心経を読経します。


 下りの階段からは、太平洋が眺望できます。国道に引き返します。次の札所までは、5kmです。曇天の中、汗がジャケットを濡らしています。次第に天気が崩れつつあります。ぽつぽつ雨の滴が顔に当たります。


第71回「四国八十八ヶ所 二十四番札所 最御崎寺(ほつみさきじ)」



 第71回は、「四国八十八ヶ所 二十四番札所 最御崎寺(ほつみさきじ)」です。最後の700mは、 既に慣れてきた山道です。アスファルトの舗装道路とは異なる感触が足裏に感じられます。遠い遠い道でした。前へ前へと進む旅路です。「今、現実にここで考える(存在する)」私と、自己の深層にある意識との長い対話です。先々長いですので、おいおい書いていきたいと思います。


 般若心経の解説書は数多く書かれています。数百冊はあるのではないでしょうか。「飢餓海峡」とか、「越前竹人形」などの著者であります水上勉氏も書かれています。言葉を追って、詳細に解説されています。そして、最後に、「私には、重度の障害のある娘がいます。私がなくなったら、娘は、・・・・。それを考えますと、般若心経が私の救済になることはありません」


 空海の仏教の原点は、神秘体験でしようか。インド仏教は、宗教と言うよりも、哲学色が強いと思います。「空」をどう解釈するか。ヘーゲルとか、ハイデガーを読まれた方には、批判があるとしても、理解に難しい点は何も無いかと思います。しかし、さほど教養のない農民達が、「精神現象学」とか、「存在と時間」の一部を輪読したとすれば、欧米の教養人は驚愕すると思います。


 それが、日本では、札所で頻繁に行なわれているのです。「般若心経」という極めて短い仏教書の読経です。スタンプラリーが目的ともいうべき観光客としてのグループが多いかと思います(個人はひっそりと読経しています)。オバサンも、じいちゃんも、若い女性もいます。その般若心経を全員で唱和するのです。欧米の哲学科の教授が、この光景を見ましたら、驚嘆すると共に、日本人の精神構造に別の面を発見するかもしれません。


 インドはすごいと言うのが実感です。キリスト教の確立期である三世紀までには、西洋で1,500年近くかかってまとめた哲学体系が、別の形で成立していたのです。


 寺は、修復中です。塀とか、仁王門の周辺を改修しているようです。次の札所までは、6kmです。更に5km歩きますと、二十六番札所です。今日は、三寺回れます。出発しましたのが11時ですので、昨日ほどの切迫感はありません。


 

第70回「四国八十八ヶ所 遍路、点と線 その3(室戸岬へ)」



 第70回は、「四国八十八ヶ所 遍路、点と線 その3(室戸岬へ)」です。 6月27(金)早朝自宅を出ましたが、前回の中断ポイント・牟岐駅から二つ目の駅に着きましたのは、11時頃です。こんなに時間がかかりましたのは、徳島駅での乗り換えに要するロスのためです。四国JRのダイヤ編成に疑問を感じざるを得ません。特急と特急の接続には、特に考慮してもらいたいものです。全国の「鉄男」さんたちは、疑問に思わないのでしょうか。


 室戸岬にある最御崎寺までの距離は、全体で78kmです。既に15kmほどは、前回までに歩いています。残りは63kmです。一日では無理です。しかも、11時スタートです。今までに無いペースで歩き始めます。1時前に、宍喰(ししくい)に着きます。サーフィング・ポイントです。少し前から、海岸線に沿って歩いています。これが、室戸岬まで続きます。素晴らしい景観です。


 宍喰(徳島県)から甲浦(高知県)までは、関西方面のサーファーに人気のある海岸が続いています。サーファー宿も多くあります。宍喰で昼食を取りました。本日はきつい一日になります・・・・。宍喰を出まして、しばらく歩きますと、600mほどのトンネルがあります。抜けますと、高知県です。


 さらにペースを上げて、東洋町の中心部を通り過ぎます。既に2時半を回っています。この後、宿泊施設のあるところまでは、20kmあります。時速4kmで歩きまして、5時間かかります。西に山が迫っていますので、完全に暗くなるのは、7時半頃です。それを過ぎますと灯りはありませんので、真っ暗です・・・・。


 当初はかなりのハイ・ペースで歩きますが、次第に足に疲れを感じ始めます。しかし、素晴らしい景観が続きます。日本でも、有数の景観美ではないでしょうか。観光化が遅れていますので、湘南よりもむしろ魅力的です。デートには最適かもしれません。


 ルート55では、1km毎に表示があります。室戸までの距離、次の札所までの距離など。この表示が、次の1kmを歩くエネルギーを与えてくれます。1km、1kmの積み重ねです。前に進まなければ宿に着きませんし、日没までの時間の制約もあります。6時過ぎ、ホイール・ウォッチングで有名な漁港に着きます。地元の人に聞きますと、4km先に民宿があるそうです。日没前に着けそうです。今日は40km強、歩いた計算になります。


 6月28日(土)7時前、最御崎寺に向かって出発です。表示では20kmです。今日は宿の心配をしないですみますので、気分は楽です。太平洋の景観を楽しめながら、歩けます。室戸岬の手前に休憩所があります。ホワイト・ボードに歩き遍路のコメントが書かれています・・・・。

 

 岬の直前で、遍路道ルートが標(しる)されています。あと700m、ラッキーと思います(表示ではあと3km、道路距離のための差です)。長い78kmも残りわずかです。

 

第69回「邪宗門」



 第69回は、「邪宗門」です。百冊本を読みまして、秀作といえるものは十冊ぐらいでしょうか。傑作といえるものが、一冊見つかれば、読書家として最高の幸せです。ノンフィクションを含め、今まで読んだ本のベストテンを選びましたら、その一冊に、高橋和巳著の「邪宗門」を躊躇なく入れます。


 高橋氏は、大学で中国文学の教鞭をとられながら、小説を書かれました。その文体に中国文学の影響は無視できませんが、日本語としても、独自の世界を構築しました。


 あとがきに、こう書かれています。「・・・・発想の端緒は、日本の現代精神史を踏まえつつ、すべての宗教がその登場のはじめには色濃く持っている<世直し>の思想を、教団の膨張にともなう様々の妥協を排して極限化すればどうなるかを、思考実験をしてみたいということにあった・・・・」

 

 「ひのもと救霊会」という架空の教団は、現在も活動を続けています「大本教」と言われています。高橋氏は、大本教の教義をベースに、現実にありうべき教団像を創造します。しかし、あくまでフィクションです。あとがきにありますように、ひのもと救霊会は、一切の妥協を排して、世直しの道を突き進んでいきます・・・・。まさしく、邪宗への道です。


 短い序章の後、三部で構成されています。物語は、母を失った少年・千葉潔(全編の主人公です)が、母の信仰の対象であるひのもと救霊会にやってくることから、始まります。第一部の時代背景は、昭和初期、軍部の台頭著しい頃です。天理教をはじめ、国家神道と相容れない教派神道は、軒並み弾圧の対象となっています。ひのもと救霊会も、例外ではありません。


 教主の拘束、教団活動の制約などにより、本来の活動もままなりません。小説は、ひのもと救霊会の教義・組織・人物について、詳細に記述していきます。そして、ある事件を契機に、教団は一切の活動を禁じられます。国家価値により、「邪宗」となります。


 第二部では、戦争前夜の教団活動を中心に描かれています。邪宗となった教団は、表立った布教活動は出来ません。隠れ宗教として、教団員が全国に散り、細々と活動していますが、その成果は微々たるものです。彼らがどんな活動をしたか、それを中心に物語は展開します。千葉潔は、一高生として登場します。そして、真珠湾攻撃、教団員はバンザイを叫びます。彼らは、自らの信条を否定します・・・・。


 第三部、戦争が終わり、教団員は復員してきます。進駐軍により、信仰の自由は保証されます・・・。しかし、集結した教団員たちを無視し、千葉潔は教団を簒奪します。そして、武装化し、国家を、進駐軍を敵とします・・・・。ついに、自らの意思で、ひのもと救霊会は邪宗となります。


 登場人物のほとんどが、死で終わる小説です。登場人物の数だけのエピソードがあります。昭和とは、宗教とは、何であったか、考えさせられる小説です。その後、一部の例外を除き、宗教はビジネスになりました。

第68回「エコと、古紙100%と、レジ袋と、暫定税率」

 第68回は、「エコと、古紙100%と、レジ袋と、暫定税率」です。今年はじめ、TBSは、年賀はがきの古紙100%使用の虚偽を暴きました。紙は、何で出来ているか考えれば、誰にでも分る問題でした。繊維で構成されている紙は、再生するごとに、切断され劣化していきます。永遠に連鎖して、再生させることは不可能です。


 当然、製紙会社の技術担当者は分っていたはずです(小学生にも分ります)。R100を環境庁が指定した段階で、一部の製紙会社から反対があったのは、この事実によるものです。


 レジ袋の有料化が始まっています。年間300億枚使われているとのことです。全て廃止すれば、300億枚のビニール袋は使用されないのでしょうか。普通の家庭では、レジ袋のほとんどはゴミ袋として、使っているかと思います。レジ袋を廃止すれば、ゴミ袋の購入は増えます。300億枚とはいいませんが、少なくとも200億枚のゴミ袋が生産されると思います。エコ・バッグの「嘘」が、ここにあります。ただ、わずかな大きさの商品を袋に入れてくれと言う人は少ないかと思います。


 むしろ、醤油とかウスター・ソースなどの量り売りの方が、環境にとっては合理的です。瓶を持っていき、それに入れてもらえばいいのです。では、主婦はそれを希望するか  ?????


 暫定税率復活に反対した人は、80%に上りました。その中には、業務として自動車を使用しているため、これ以上のガソリン・軽油の価格上昇に堪えられないことを理由として、反対した人もいたと思います。ですが、ほとんどの人は、単純に値上げに反対したと思います。エコを口にするのであれば、賛成が過半数を占めてもおかしくなかったと思いますが・・・。


 エコは、単なる免罪符なのでしょうか。温暖化防止を真剣に考えれば、「三丁目の夕日」の生活レベルに戻す覚悟が必要です。当然、その当時の収入となります。世界のトヨタも、極端な売上減少は避けられません。それでも、温暖化防止するんだという覚悟が必要ですが・・・・。


第67回「胡蝶の夢と、仮想現実」

 秋葉原通り魔事件の一面として、仮想現実の影響が大きく報道されました。しかし、果たして仮想現実のレベルに達したテクノロジーって、現在あるのでしょうか。


 「夢オチ」という、創作上のテクニックってあります。あることを契機に、栄華を極めますが、それは全て夢だったという構成の物語です。数多くあります。逆に転落の物語もあります。


 荘子の思想を代表するものに、「胡蝶の夢」のエピソードがあります。荘子は夢をみます。胡蝶となった夢です。荘子は胡蝶として楽しみます。しかし、夢ですので醒めます。醒めた荘子は、夢の中の胡蝶が現実か、夢から醒めた自分が現実か・・・・。


 映画「マトリックス」とか、ウィリアム・ギブスンの一連のサイバーパンク小説では、進化したネット・ワールドと意識が一体です。どちらが現実か断定できないほど、ひとつの世界となっています。胡蝶の夢も、自己が深層心理と一体となっています。


 では、ゲームとか、インターネットでそういう体験ってありえるでしょうか。ゲームをする人が、自分がゲームをしている自覚を喪失しゲームの世界に埋没し、ゲームが現実か、ゲームをしている自分が現実か、その判別ができなることはありません(ゲームに夢中になることは多いと思います)。


 そこまで、ゲームは進化していません。仮にそういう体験がありましたら、それは精神病理学の対象です。責任能力の欠如のため、犯人を罰することは出来ません。


 「仮想現実」という未だ到達していないテクノロジーを、マスコミが安易に事件の要因のひとつだと言うことに、むしろ問題があります。マスコミの欠点は、言葉・表現にルーズと言うことでしょうか。そういえば、「死に神」記事で、顰蹙(ひんしゅく)をかった新聞社がありました。その新聞社から、再発防止策につきましては、一切コメントがありませんでした・・・・。

第66回「四国八十八ヶ所 二十三番札所 薬王寺(やくおうじ)」



 第66回は、「四国八十八ヶ所 二十三番札所 薬王寺(やくおうじ)」です。6月21日(土)朝、昨日旅館の人に迎えに来てくれた地点まで、送ってもらいます。


 旅館を出て、海岸沿いに歩けば、そのまま「由岐回りコース」となります。しかし、車で移動した6kmを歩いたことになりません。昨日の夕食をしている際、旅館の人と雑談しましたが、中断しながらも常に元のポイントに戻ることを「掟(ルール)」としていることを話しますと、気持ちよく、送ってくれることになりました。


 札所まで12km残っています。ルート55は、昨日に続き山間部をほとんど信号なく続いています。カーブが多いのが、地元の人の唯一の不満です。贅沢な不満です。ですが、歩き遍路には単調で、自動車の多さが気になります。


 歩行者区画もあるのですが、左右に移動します。休憩エリアもほとんどありません。適当な場所で腰掛け、水分補給を心がけます。やがて、日和佐に近づきます。ウミガメの産卵地として有名ですが、町村合併で自治体名としては消滅しました。民家が増え始めます。信号も随所に出てきます・・・・。


 正午前、日和佐の町を歩いていますと、ビジネス・ホテル風の建物が右手に見えます。それが、薬王寺の境内の一部です(写真には映っていませんが、右手にあります)。ルート55に面しています。「四国の道」の表示で、前の札所までの距離が43kmとなっていますが、自動車でも25km程度かと思います。よほどの迂回ルートでないと、それほどの距離ではありません。


 山門を入りますと、33段の女厄坂、42段の男厄坂、61段の還暦厄坂が続いています。厄坂には、一円玉が足の踏み場も無いほど、置かれています・・・。バス・ツアーの善男善女の群れが続いています。 


 昼食をこの近くでとった後、ルート55を室戸岬に向かって歩き始めます。逆打ちのお遍路二人とすれ違います。昼食・休憩の間に、二人の遍路が追い越していきます。室戸岬まで、75kmの歩きです。今回は、県境近くまで行ったところで終えるつもりです・・・・。


 ここに、「発心の道場」おわり、「修行の道場」はじまる。


 次回、6月27日(金)頃を予定しています。