次に、星野富弘さんの「かぎりなくやさしい花々」の本が~書店で目に留まり、読みました。
詩画集やカレンダーは知っていたのですが、この本を通して初めて、星野さんが事故ののちにクリスチャンになられたということを知りました。
星野富弘さんの本を通して感動したのは、神さまの存在が大きいのですが、もう一つは、看護し、身の回りの世話をされる、お母さまと、奥さまの愛ある献身でした。
息子が学校に行けないくらいで落ち込み、その上~愛せなくなっているような自分が恥ずかしく、結局、私の子どもへの愛は条件付きで、利己的であったことを思い知らされました。
「自分の中に愛がない!」ことを認めました。
「母親としての愛」さえ、持ち合わせていない・・・と思いました。
そんな自分に失望しました
しかし、星野さんの自叙伝は、そこからの希望も語って下さっていたのです
イエス・キリストの十字架(神さまのご計画を信じることによる罪の赦し)です。
これしかない!・・・というか、私もこの道に生きよう
と思いました。
まだ、決心するところまでに至らなかったのですが、そこから、いや、もうすでに?神さまの不思議な導きは始まっていたのかもしれません。
詩画集やカレンダーは知っていたのですが、この本を通して初めて、星野さんが事故ののちにクリスチャンになられたということを知りました。
星野富弘さんの本を通して感動したのは、神さまの存在が大きいのですが、もう一つは、看護し、身の回りの世話をされる、お母さまと、奥さまの愛ある献身でした。
息子が学校に行けないくらいで落ち込み、その上~愛せなくなっているような自分が恥ずかしく、結局、私の子どもへの愛は条件付きで、利己的であったことを思い知らされました。
「自分の中に愛がない!」ことを認めました。
「母親としての愛」さえ、持ち合わせていない・・・と思いました。
そんな自分に失望しました

しかし、星野さんの自叙伝は、そこからの希望も語って下さっていたのです

イエス・キリストの十字架(神さまのご計画を信じることによる罪の赦し)です。
これしかない!・・・というか、私もこの道に生きよう
と思いました。まだ、決心するところまでに至らなかったのですが、そこから、いや、もうすでに?神さまの不思議な導きは始まっていたのかもしれません。

