創薬メモ

創薬化学、有機化学、有機合成について書き進めていきます。


テーマ:

立体配置異性体には、エナンチオマージアステレオマーの2つがある。

前者は、重ね合わせることができない鏡像関係にある2つの異性体を指す。

一方で後者は、鏡像関係にない2つの異性体と定義される。

 

エナンチオマーは、S体R体に区別される。

これは、不斉点における置換基の順位則により決定される。

 

⇒ Cahn-Ingold-Prelog priority rule

 

2つのエナンチオマーは、構造式上では非常によく似ている。

また、アキラルな環境においては、同様の物理化学的性質を示すことが多い。

顕著に異なるのは、旋光度だけである。

 

初等的な有機化学の知識のみに基けば、

2つのエナンチオマーは「とにかく、よく似ているもの」である。

しかし、この「似ている」という判断は、

それを評価する基準、違いを判別するセンサーによって異なる。

 

少なくとも、メディシナルケミストリーの立場に立つと、

エナンチオマーに対する認識は大きく様変わりする。

 

メディシナルケミストがいつも注目しているのは、

化合物の示す「薬理活性」や「阻害率」などのパラメータである。

これを "類似性評価のための基準" に加えると、二つのエナンチオマーは、

「全く別の化合物ではないのか?」という印象すら受けるようになる。

 

医薬品分子は、生体内分子を特異的に阻害する。

タンパク質などのターゲットにおける結合サイトは、

固有の三次元的な構造特性を備えていることが多い。

 

特異的な三次元空間に対して、特異的に結合するわけだから、

薬理活性が「立体的な要因」に影響を受けるのは当然だと言える。

 

本エントリーでは、2つのエナンチオマーの間で、

顕著な差が確認されている薬物分子の例について述べる。

 

① エナンチオマー間で全く異なる薬理活性を示す例

 

1. サリドマイド

 

医薬品開発における安全基準や社会制度の変革というのは、

皮肉なことに、大規模な薬害事件の体験を経て、達成されることが多い。

 

そもそも、医薬品分子において、エナンチオマーが注目を浴びたのは、

サイドマイドの薬害事件に由来する社会的な影響が大きい。

この薬害事件によって、立体異性体と生物活性の関連が、

医薬品において重要であることが、明確に認識されることになった。

 

サイドマイドは、非バルビツール酸系の薬物分子である。

当初、睡眠薬や胃腸薬として "ラセミ体の状態" で発売されていた。

その後、催奇形性があることが判明し、世界規模の薬害事件に発展するに至った。

 

サリドマイド事件について (参考)

 

サリドマイドは、不斉炭素が一つある。

したがって、以下の2つのエナンチオマーが考えられる。

R体は催眠作用を示す。一方で、S体は催奇形性という重篤な毒性を示す。

 

 

こういった話を聞くと、誰もが、次のように考えるだろう。

 

「R体を不斉合成していれば、薬害事件は防げたんじゃないの?」

 

残念ながら、これは誤りである。

なぜなら、R体を投与しても、体内で急速にラセミ化が進行するからである。

酸や塩基による「ケトーエノール平衡」が、原因とされるメカニズムである。

 

つまりこの薬害は、単一のエナンチオマーを提供しても、防げなかったと結論づけられる。

 

 

こういった例を一つでも知ると、少なくとも薬物分子においては、

「2つのエナンチオマーは、全くの別化合物である」と理解できると思う。

 

サイドマイドの薬害事件は、エナンチオマーの薬理学的な意味を明確化しただけでなく、

「生体内におけるキラルコンバージョン」というリスクの存在を明らかにした。

 

(参考)

 

サリドマイドの不斉合成

Enantiomer 2001, 6, 275.

 

サイドマイドのラセミ化について

J. Chromatography A 1994666, 235.

Chemical and Pharmaceutical Bulletin 1994, 42, 1157.

 

サリドマイドにおける催寄性のメカニズム

Science 2010, 327, 1345.

サリドマイド催奇性の原因因子の発見から創薬への展開 (2014)

 

2. バルビツール酸誘導体

 

以下は、バルビツール酸誘導体の例である。

これも、エナンチオマー間で異なる薬理活性を示す実例である。

R体は麻酔作用を示す。一方で、S体は痙攣作用を示す。

 

 

3. エストロン

 

(+)-エストロンは女性ホルモンとして働く。

一方、(-)-エストロンはホルモン活性を示さない。

 

 

 

4. Bay K 8644

 

Bay K 8644 は、カルシウムチャネルに作用する薬物分子である。

ツール化合物としてもよく使われている。

 

 

興味深いことに Bay K 8644 は、

S体はアゴニストとして作用し、R体はアンタゴニストとして作用する。

 

普通、アゴニストとアンタゴニストは、構造が大きく異なることが多い。

上記のように、エナンチオマーを作り分けるだけで、

作動薬と拮抗薬が切り替わる例は、けっこう珍しいのではないかと思う。

 

② エナンチオマー間で薬理活性の強度が異なる例

 

1. ベラパミル

 

ベラパミルは、L-型カルシウムチャネルへの阻害作用を持つ抗不整脈薬である。

ラセミ体として発売されているが、主作用を示すのはR体である。

 

 

2. インダクリノン

 

インダクリノンは、一過性の尿酸排泄活性を示す。

R体は利尿作用が強いのに対して、S体は利尿作用が弱い。

 

 

3. オフロキサシン

 

オフロキサシンは、第2世代ニューキノロン系の抗菌薬である。

この医薬品は、ラセミ体として発売されている。

 

 

エナンチオマー同士の活性を比較すると、

S体の活性は、R体の10倍~20倍程度であることが分かる。

またエナンチオマーは、ラセミ体に比べて水溶性が高いことも明らかになった。

単一のエナンチオマーにすることに、多くのメリットが存在することから、

活性本体であるS体は新たに、レボフロキサシンとして発売されている。

 

 

メチル基の向きが上下にちょっと変わっただけで、

劇的な生物活性の変化が生じていることが分かる。

小さな構造的変化が、大きな物性変化につながることもある。

こういうところが、構造活性相関の面白いところである。

 

4. オメプラゾール

 

オフロキサシンと似たような話は、オメプラゾールにも言える。

 

オメプラゾールは、プロトンポンプ阻害薬に属する胃酸抑制薬である。

これも当初、ラセミ体として発売されていた。

その後、体内動態の違いから、S体が人で強い活性を示すことが明らかになった。

結果、新たにS体のエナンチオマーが、エソメプラゾールとして発売されている。

 

 

ラセミ体の医薬品に比べて、

純粋なエナンチオマーに大きな利点が認められた場合、

新たに新薬として再承認される場合がある。

このような開発手法は、ラセミックスイッチと呼ばれる。

 

ラセミ体に比べて、単一エナンチオマーに大きな利点があれば、

特許における「進歩性」の主張にも、説得力が付与されるというわけである。

 

5. Eudismic ratio

 

2つのエナンチオマーに活性差がある場合、

より強い活性を示す方のエナンチオマーをユートマー (Eutomer) 、

弱い活性を示す方のエナンチオマーをディストマー (Distomer) と呼ぶ。

また、両者の活性比をユーディスミックレシオ (Eudismic ratio) と呼ぶ。

 

以下は、Eudismic ratio の例である。

 

 

 

 

 

 

薬物分子によっては、エナンチオマー間で100倍以上の活性差を示す例もある。

もちろん、大して差がない場合も多い。この辺は、アッセイしてみないと分からない。

 

自身の化合物の中に不斉点がある場合は、

エナンチオマーを作り分けて個別に検証する必要がある。

ラセミ体に比べて、大幅な活性向上が望める可能性もあるわけである。

 

③ エナンチオマー間で代謝物が異なる場合

 

代謝酵素が分子内の不斉点を認識し、異なる代謝物を与える場合もある。

 

以下は、ワルファリンの例である。

 

 

R体では、側鎖のカルボニル基が不斉還元される。

一方 S体では、7位のアリール上にヒドロキシ基が導入される。

 

分子内の不斉を認識して、位置選択的な官能基修飾を達成する。

これは、有機合成の観点で見ても、面白いコンセプトだと言える。

少なくとも自然界には、上記のコンセプトに基づく触媒反応がすでに存在している。

 

自然界にあって、人類が実用化していない反応コンセプトとは何か。

メカニズムにおける中心的なアイデアは何なのか。

こういった問いは時に、多くの示唆を与える。

 

エナンチオマーは、構造式的にも、物理化学的にもよく似ているが、

薬理活性の観点では、全くの別化合物である。

薬理活性の強弱が変化するだけでなく、全く異なる薬効を示すこともある。

 

自然界は構造有機化学における「三次元立体構造」を重要視しており、

その構造的差異を様々なシグナル要因、識別の判断として用いている。

 

「化合物の立体構造とその自在制御」

 

言葉で言えば簡単だが、mRNA から タンパク質への翻訳の過程一つとっても、

立体構造や分子間力の持つ奥深さ、内容の豊富さは、計り知れないほどである。

少なくとも生物は、この二つを巧みに用いている。

その精巧さと合理性の水準については、生物学を学べば学ぶほど驚かされる。

 

大村智氏は「自然が答えを持っている」と強調した。

これは誇張でも比喩でもない。

事実であり、真実であるように思われる。

 

↓応援クリックしてくれると励みになります!


人気ブログランキング

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

ryuyama00-00さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。