お坊さん@出張(龍眞院 釋大智)

お坊さん@出張(龍眞院 釋大智)

【お坊さん@出張】は大阪府・兵庫県・奈良県・京都府で 浄土真宗の四十九日法要や一周忌法要・三回忌法要などの回忌法要やお葬式などに浄土真宗本願寺派のお坊さんが出張させて頂きます。宜しくお願い致します。合掌

はじめまして!「お坊さん@出張」は、大阪府・兵庫県・奈良県・京都府を中心に、浄土真宗の法要を大切にお手伝いしております。

四十九日法要、一周忌法要、三回忌法要など、法事や仏事に関するご相談やご依頼はお気軽にお問合せください。

浄土真宗本願寺派の僧侶が、心を込めて対応させていただきます。日常に役立つ仏教のお話も発信していますので、どうぞご覧ください。

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引き続き、仏法を通じて少しでも皆さまのお心に寄り添えるよう努めてまいります。

どうぞこれからも、よろしくお願いいたします。


合掌

お坊さん出張(龍眞院)




情報があふれ、言葉が先行するこの時代において、私たちは何かを「知っているつもり」になりがちです。しかし、そのような知識は時として心を曇らせ、本当の安らぎを遠ざけてしまうことがあります。


いま確かに残るものは表面的な知識ではなく、真理にふれた智慧なのです仏法を灯として歩む人は世の移ろいに惑うことなく、静かに、そしてしなやかに歩み続けることができます。


一方、妄念とは自分勝手な思い込みや執着、あるいは現実を正しく見ることができない心の状態を指します。この妄念が心を覆い、苦しみを加速させてゆくのです。自らの考えに固執し他者を責めることで、縁を損ない、ますます孤独と迷いに沈んでしまいます。


今こそ大切なのは仏法に学び、「無我」の眼差しをもって生きること。自他の区別を超え、共に生かされているという縁起の中で、穏やかに、感謝とともに日々を重ねてまいりましょう。


迷いの時代であるからこそ、心静かに真理を見つめること本当の安心と平和への道しるべとなるのではないでしょうか。合掌🙏





法事・法要の経験豊富なお坊さんが丁寧に対応いたします。  「お坊さん@出張」までお気軽に!


4月8日はお釈迦様の誕生日「花まつり(降誕会)」です。

生まれてすぐ「天上天下 唯我独尊」と唱えたお言葉は、「私だけが偉い」ではなく、人間にしか果たせない尊い目的があると示されたものです。


七歩進まれたのは、東西南北(迷いの世界→六道の広がり)上下(天界と地界を含むこの世全体)(その中心に生きる人間→自分自身)【天地六方】を示し、「六道出離(ろくどうしゅつり)」


すなわち、迷いの六道から離れて仏の道へ向かう象徴です。(6+1=7)

六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上という、迷いや苦しみに満ちた六つの世界。私たちはその中をぐるぐると迷い続けています。


しかし、お釈迦様はその迷いを抜ける道を示し、阿弥陀仏はすべての者を見捨てず救いとると「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」の誓いを立てられました。


人間に生まれたからこそ、仏法を聞くことができる

花まつりとは、単なる誕生祝いではなく、仏の智慧と慈悲に目覚めるきっかけの日です。人間に生まれたこの一度きりの人生の中で、仏法と出遇い、阿弥陀仏の本願に生きる。これこそが「六道出離」の道なのです





ご先祖様とのご縁を大切に。「お坊さん@出張」が心を込めてご奉仕いたします。


4月8日はお釈迦様の誕生日「花まつり(降誕会)」です

生まれてすぐ「天上天下 唯我独尊」と唱えたお言葉は、「私だけが偉い」ではなく、人間にしか果たせない尊い目的があると示されたものです。


七歩は六道を離れ仏道へ進む象徴(6=六道、+1=仏の世界)

阿弥陀仏の本願を聞くことができるのも、人間に生まれた私たちだけ。

花まつりはその“尊いいのちの意味”に気づく日。

お釈迦様に感謝を込めて、今日を丁寧にお過ごしください。


人は迷いや苦しみの中に生きていますが、阿弥陀仏の光に出遇うことで、どんな人も救われる道があります。

人間として生まれた今こそ、仏法を聞く尊いご縁に気づきましょう。


私たちが生きている六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)は、どれも迷いと苦しみの世界です。

阿弥陀仏の本願は、そんな私たちを一人残らず見捨てず、必ず救いとるという「摂取不捨」の誓いです。


この本願に出遇い、信じ、おまかせするところに、六道から離れ、仏となる道が開かれます。

花まつりとは、仏さまの誕生を喜ぶ日であると同時に、私自身が仏と出遇う始まりの日でもあるのです。





阿弥陀如来の教えに基づく安心の法事・法要。「お坊さん@出張」にお任せください。

仏教で「菩提」とは、煩悩を超えて真理に目覚めた「悟り」のことを言います。

私たちは日々、迷いや悩み、欲や怒りの中に生きていますが、そんな私たちにこそ、阿弥陀仏の本願の光が注がれています。


親鸞聖人は、自らの力で悟りを得るのではなく、仏さまの大いなる慈悲によって、誰もが必ず菩提に至ると教えてくださいました。

つまり、悟りとは特別な修行者だけのものではなく、念仏する私たちすべてに開かれているものなのです。


菩提は遠くにある高い山の頂ではなく、今ここで私たちを包み、照らしてくださっている仏の光そのもの。

その光に照らされながら歩む道が、念仏の道です。


だからこそ私たちは、自分の力不足を嘆くのではなく、阿弥陀さまの光に身をゆだねて、素直な心で生きていくことが大切です。

そこにこそ、真の安心と喜びがあるのです。


そして、たとえ悩みや苦しみの中にあっても、「私も仏に成る道の中にいる」と気づくことができれば、その歩みはすでに仏道そのもの。

何気ない日常の中でこそ、仏さまの光がそっと私たちを包んでくださっているのです。

その光に感謝し、今日も一歩を踏み出していきましょう。合掌🙏





初めてでも大丈夫!「お坊さん@出張」は、親しみやすいお坊さんが対応いたします。

仏教では「感謝の心」は、善き行いを育む土台とされます。私たちは日々、当たり前と思っていることの中に、数えきれない恩を受けて生きています。朝目覚めて呼吸ができること、ご飯を食べられること、誰かの笑顔に出会えること・・・それらすべてが、誰かの支えや仏さまのはたらきによって成り立っています。


阿弥陀さまは、どんな私でも見捨てることなく「あなたを救わずにはおれない」と願い、常に慈悲を注いでくださっています。その深いご恩に気づくとき、「ありがとう」という心が自然と湧いてくるのです。


感謝の心は、自我を和らげ、怒りや不満を鎮める力があります。自分の中に咲いたその心の花は、まわりの人にも温かさを伝え、優しさの輪を広げていきます。

そしてその花は、自分のためだけに咲くのではありません。感謝の言葉をひとつ伝えることで、相手の心にもまた一輪の花が咲きます。


感謝の数は、今の幸せの数だけあると思います。」

目の前の小さな幸せに気づける人は、心が豊かであり、仏さまの願いに添って歩んでいる人です。今日も一つ、ありがとうを見つけて、生かされている喜びを味わいたいですね。合掌🙏





「何を準備すればいいのかわからない…」そんなお悩みを解消します!  「お坊さん@出張」にぜひお任せください。

仏教には「現在因果(げんざいいんが)」という教えがあります。今この瞬間の行いや心のあり方が、未来の結果に影響するという考え方です。私たちは日々、様々な不安や悩みを抱えます。その時、「こうなればいいのに…」と祈ることは自然な心の動きです。しかし、その願いが現実になるかどうかは、私たちの“今”の行いにかかっています。


不安な時こそ、「正念(しょうねん)

つまり、今の自分の心の状態に気づき、正しく見つめることが大切です。「私は何に不安を感じているのか?」「その不安を解消するには、どんな行動ができるか?」と、自らの心と対話することで、少しずつ霧が晴れるように道が見えてきます。


良い行いは良い結果を、悪い行いは悪い結果をもたらすという「因果の道理」の法則。これは単なる理屈ではなく、私たちの日常の中で確かに働いている真実です。今日という一日を、優しさや感謝、思いやりという“善い種”をまく時間にしてみましょう。その種は、やがて穏やかで豊かな“善い果”となって、私たち自身を支えてくれます。


阿弥陀さまの光に照らされながら、「今ここ」を丁寧に生きることが、何よりも尊い仏道の歩みなのです。合掌🙏





大阪・関西での法事や法要は、「お坊さん@出張」が丁寧にお手伝いします。  お気軽にお問い合わせください。

今の時代は「自分の気持ちを大切に」という言葉がよく聞かれます。それはもちろん大切なことですが、自分の心ばかりを優先すると、気づかぬうちに他人との間に壁を作ってしまうことがあります。仏教では「尊重」とは、相手の存在そのものを認め、思いやりをもって接することだと説かれています。


たとえば、意見の違う人に対して、すぐに否定や反発をするのではなく、「この人にもこの人なりの思いがあるのだな」と、いったん受け止めてみる。そうした心の姿勢が、仏の教えにかなう「つながる心」なのです。


優しさとは、何か特別なことをする必要はありません。「おはよう」の一言や、すれ違うときの笑顔。そんな小さな行動にも、尊重の心は表れます。むしろ、何気ない日常にこそ、仏の心が宿るのかもしれません。


今日一日、誰かの立場に立って物事を見つめてみましょう。ほんの少し自分の心を開くだけで、人との距離は驚くほど近くなります。私たちは皆、仏さまの教えを通して、あたたかなつながりの中に生きているのです。


自分だけの世界に閉じこもらず、他者と響き合う心を育てること。それが、仏の教えに生きる私たちの大切な実践なのです。





あなたの心に寄り添う法事や法要を。「お坊さん@出張」にお気軽にご相談ください。

人の心は、まるで水面のようなもの。風が吹けば波立ち、泥が混ざれば濁ってしまう。でも、その水を静かに落ち着かせ、澄ませていけば、底にある真実が見えてくるように、心もまた清らかに整えれば、物事の本質が自然と見えてくるのです。


仏教では、煩悩によって曇った心を「染心(せんじん)」と呼びます。怒りや欲、妬みといった感情は、私たちの判断を誤らせ、人との関係や日々の暮らしにも影響を与えます。だからこそ「浄心(じょうしん)」——清らかな心を保つことが大切だと説かれています。


清らかな心には「智慧(ちえ)」が宿ります。智慧とは、ただの知識ではなく、迷いを超えて真理を見抜く力。阿弥陀さまの光は、そんな清らかな心を持つ者に等しく注がれます。


とはいえ、私たちは凡夫ゆえ、常に清らかでいることは難しい。だからこそ、日々自分の心を振り返り、少しずつでも曇りを取り除いていく努力が大切なのです。


心を整えること。それこそが、仏道への第一歩。

まずは今日一日、優しさと思いやりを持って過ごすことから始めてみましょう。


清らかな心は、周囲の人々にも安らぎを与えます。自分の心を整えることは、同時に他者の苦しみを和らげる行いでもあるのです。その小さな実践が、やがて大きな光となって、人生を照らしてくれるでしょう。





大阪・関西での法事や法要は、「お坊さん@出張」が丁寧にお手伝いします。  お気軽にお問い合わせください。

何気ない「ありがとう」や、ふとした「大丈夫?」の一言。そんな一瞬の優しさや思いやりが、相手の心をあたため、また次の誰かへと繋がっていきます。仏教では「一善一縁(いちぜんいちえん)」と説かれ、小さな善行が善きご縁を生み、やがて大きな流れを作ると教えられています。


私たちはしばしば、「自分ひとりの行動なんて、何も変わらない」と感じてしまいがちです。しかし、たとえ小さな親切でも、それを受け取った人が笑顔になり、さらに他の誰かに優しくする——その繰り返しが、社会全体に優しさを広げていくのです。


仏教ではまた、「我利我利(がりがり)」という、自己中心の執着心を人間の本性=煩悩の一つと説きます。だからこそ、ほんの少しでも“自分以外”に向けた優しさを実践することは、尊い修行でもあるのです。


誰かに手を差し伸べるその心が、実は自分自身の心をも浄め、満たしていきます。与えることは、奪うことよりもはるかに強く、美しい行い

今日一日、どこかで「善の連鎖」が始まるきっかけになれるような、そんな心を持って過ごしたいですね。





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