さて、昨日の続きだ。
続きと言っても、読書感想文とは言えないために独立させたので、そのつもりで読んでみて欲しい。

特に天皇と憲法について書かれていたところから、俺なりに色々考えたことを書いておきたいともう。

何よりもうかつだったのは、立憲主義とは運用こそが本筋だと主張している倉山満氏の本を読んでいたにもかかわらず、これを読むまで全くそれが何を意味しているのかについて気がつかなかったことだろう。
運用こそが本筋だというのを、この本では解釈だと言い換えているが、主張している内容は全く同じだろうともう。
倉山氏の本でそれを理解できなかったのは、俺の能力のせいなのか、それとも倉山氏が法律では無く歴史の方が専門だったからなのか。
もしかしたら、著者が米国の悪徳弁護士(大いに褒めているつもりだ)だからかもしれない。

まあ、それは置いておいて。

考えてみれば、日本政府は日本国憲法を改正するのでは無く、解釈の変更によって出来ることを変えてきた。
これこそが、ある意味正しい方法なのだと言う事を理解できただけでも、この本を読んだ甲斐はあっただろう。

そして、俺はてっきり日本国憲法改正こそが第一歩だと考えてきたが、もしかしたら、日本国憲法改正こそが最後の一歩であるべきなのかもしれない。
解釈の変更で実績を重ね、時代に対応し続けて、そして十分に国民と憲法学者が議論できる状況になった時にこそ、改正は出来るのだろうと思う。(いつになるかは全く不明だが)

更に驚いたことと言えば、天皇陛下を元首と規定することにも、もしかしたら問題が有るかもしれないと考えている人がいて、そしてその理由はそれなりの説得力を持っていることだ。
元首とは、取り替えることが出来る存在だという。
天皇と皇室は幸か不幸か取り替えることが出来ない以上、元首という表現にも問題が有るかもしれない。
やはり日本国憲法改正は、最後の一歩とすべきかもしれない。

少し話は変わる。

自衛隊についても書いておきたいと思う。
本来ならば、国防軍として明確に日本国憲法に書いておくべきだが、先ほども書いたが、それは最後の一歩でも良いようにも思う。
その代わり、自衛隊法を改正して、やって良いことを書かなければならない構造を(いわゆるポジティブリスト)、普通の軍隊のように、やってはいけないことを書く(いわゆるネガティブリスト)べきでは無いかと思う。
そうすることで憲法改正をやらないでも、かなり自衛隊の負担を減らすことが出来るのでは無いだろうか?
もちろんこの改正の時に、大規模な災害の時に緊急避難的な行動もとれるように規定しておくのは当然のことだ。
その他、各国の軍隊に出来るだけ近づけるように改正しておけば大きな問題は無いようにも思う。

ただこれには致命的な問題もある。
それは、自衛隊を違憲だと主張する進歩的な何たらという腐敗分子を黙らせることが出来ないと言う事。
こればかりは日本国憲法改正をやらなければならないが、今よりは遙かに自衛隊の負担を減らせると思う。

さて最後に。

倉山満氏が、憲法とはその国の文化と歴史の集大成だというようなことを書いていた。
ケント・ギルバート氏も、同じ様なことを書いている。
俺はと聞かれたのならば、憲法とはその国を文字や文章で表現しているものでは無いかと考えている。
だからこそ、種々雑多な憲法が存在しているのだろうと思う。

では、日本国憲法は?
憲法それだけでは成立せずに、ほかの法律で補佐している上に、色々な解釈が成立しうるのは非常に日本らしいとは思う。
とは言え、やはり占領期に制作されたことは覆しようのない事実だ。
ならば、いつか必ず日本人による、日本人のために、日本人の憲法の成立させるべきだと思う。
日本国憲法の改正、あるいは新たな成立を持って、やっと日本は独立を回復することが出来るのでは無いだろうか?
だからこそ俺は、最後の一歩であるべきでは無いのかとも考えている。

さて最後に。
改めて人間は解り合うことが出来ないのだと肝に銘じておくべきだろう。
俺が進歩的な腐敗分子を説得できないように、進歩的な腐敗分子が俺を納得させることが出来ないように。
人は解り合えないことこそが普通であり、解り合えるというのは幻想だ。
これをきちんと認識しているかどうかで、日本の外交や政治は変わるのでは無いかと思う。
是非とも変わって欲しいとも思う。


ランキングに参加しています。お暇なようでしたら、下の電子住所をひっぱたいてください。
http://blog.with2.net/link.php?1740066