ひとりぼっちと独り上手





夕暮れの空に、鳥が一羽、風を切って飛んでいくのを見た。

羽ばたいているというより、風に乗って、滑っているようだった。

その姿を見ていたら、ふと「ひとり」という言葉について考えていた。


ひとりぼっち、と聞くと、なんだか胸が締めつけられるような響きがある。

まるで世界に見放されたかのような、どこにも居場所がないような、そんな感じ。

誰にも必要とされていないんじゃないか──そんな錯覚に、僕らは時々囚われる。


一方で、「独り上手」という言葉がある。

それは、自分の孤独を、自分なりに丁寧に抱きしめている人のこと。

誰かを必要としないのではなくて、誰かがいない時間を、

ちゃんと自分のために生きている人。


どちらも「ひとり」だけど、その質はまったく違う。


***


若いころの僕は、ずっと「ひとりぼっち」だった。

友達がいないわけじゃなかったし、恋人もいた。

でも、心の深いところでは、誰にも本当の自分を知られていない気がしていた。

その寂しさを埋めようと、音楽に没頭し、本を読み漁り、

無理に笑ったり、誰かの期待に応えようと必死だった。


けれど、ある日ふと気づいた。

「誰かにわかってもらう前に、自分が自分をわかっていない」と。

そのときから、少しずつ、僕の孤独は変わりはじめた。


珈琲を丁寧に淹れることが、

部屋の掃除をすることが、

道ばたの草花を見つめることが、

すこしずつ、僕を「独り上手」に育ててくれた。


誰かの声がない時間にこそ、聞こえてくる音がある。

誰かの手が触れない場所にこそ、宿る温度がある。


それに気づけたとき、

僕ははじめて、「ひとり」を、怖れなくなった。


***


もちろん、たまには誰かに甘えたくもなる。

声が聞きたくなって、意味もなくスマホを見つめる夜もある。

でも、そんな夜こそ、あえて深呼吸して、

一冊の本を読み返す。

それだけで、孤独が静かに自分の味方に変わっていく。


ひとりぼっちでいることは、

人生において避けられない瞬間のひとつ。

でも、「独り上手」になれるかどうかは、

その後の生き方で決まる。


人に囲まれていても孤独な人がいる一方で、

たったひとりでも満ち足りている人がいる。

大事なのは、どちらを選ぶか、じゃない。

どう在るか──それだけだ。


***


あの夕暮れの鳥のように、

風に逆らわず、風をつかまえるように生きたいと思う。

独りでいることを、誇りに思えるように。

寂しさを、恥ずかしがらずに、

でも、流されずに、生きるために。


今日も、少しだけ、

独り上手になれた気がしている。