こんにちは。ちょこ3ですニコニコ

 

もう三月ですね。

皆様、本当に申し訳ございませんあせる

アメンバー記事は、後回しにします。

お彼岸も近いので、優先順位として、続きを書きます。

 

 

【二極化】も止まらないようなので、私としては若干焦っているのですけど。

【理性】がジワジワと失われるのは、お酒に飲まれる事やギャンブルにハマる事に似ているのかもしれません。

 

一般の方や霊能者の【二極化】のお話をしました。

神社・仏閣・教会も、当然ながら有ります。

 

 

[聖書]神殿から商人を追い出す

「こう書いてある。

『私の家は、祈りの家となる』

ところが、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」

 

 

つまり、[計画]より、歴史は繰り返すので、こちらもそろそろ、分かれ目です。

別に観光客の多少を問いているのではなく、本職の方々の【祈りの家】という【心の在り方】を問う、内容です。

 

イエス様の時代でも、本職の方々の表面的な【心】では、【祈りの家】でした。

内面的な【心】は違うので、行く末は歴史などを調べると分かります。

 

 

例えば、

・写真撮影の為の場所がある神社

・墓じまいに積極的な仏閣

その他にも色々と、祈りの場所に相応しくない物事が存在します。

 

 

 

今迄が、普通に見えていた人々。

今迄が、ホンモノの霊能者。

今迄が、神仏に仕える本職。

私達も今迄以上に、本質を見極めなければいけない時代なのです。

 

 

理由として、

 

アダムとイブが「善悪の知識の木」から「禁断の果実」を食べました。

それにより、人間の誰もが「善悪の区別がつく」条件の元で、地上に来ているのです。

 

【二極化】に振り分けられるのは、「善」「悪」を理解していながら【思い】+【行い】をするからです。

 

【理解】を解除するので、【理性】を失った時、どちらに傾くのかは貴方次第です。

「悪」と理解している【行い】だからこそ、大洪水は「容赦なし」なのです。

 

 

ブログなどを見ていて、皆様の言う、高次元の存在の基準が分からないのですが。

私個人の思考する高次元の存在は、秩序などには厳しいです。

今の世の中の振り分け具合を見て、何も感じない方なら、私もそれ以上は言いません。

 

 

 

表面的な【心】・内面的な【心】の違いに、気を付けましょう。

直すべき【心】の癖に気付いたら、「初心にかえる」ようにしましょう。

 

次回、人生の稲作である白黒の米粒を、どのように変えて行くかをお話します。

 

 

続きます。