こんにちは。ちょこ3です![]()
前回の続きです。
どの順番で、どの内容を書くべきか悩んでいました。
神社の参拝順で良いらしいので、そうしていますが、順序は前後しても構いません。
〔第三回〕
今回は、本殿での【御祈り】に相当します。
家や会社、その他の場所での【御祈り】についてです。
北向き以外です(詳細は過去記事にあるので省きます)
危ない時や場所は、御守りなどを握りしめながら、祈ると良いでしょう。
内容は、過去記事のままなので、貼っておきます。
これだけでは味気ないので、補足をしますね。
・声を出す祈り
・心の中での祈り
どちらが効果的だと思いますか?
大抵の方が「声を出す祈り」だと答えるでしょう。
ある意味では、正解です。
「言霊になっていれば」と、私は条件を付けます。
【信仰心】のない祈りなど「意味が無い」と私は考えています。
小さな子供が大人を真似て、意味が分からずとも、一生懸命に祈る姿は、神仏にも微笑ましく映るでしょう。
子供の時に神様を信じて、心の中で祈った方も多いと思います。
純粋な【信仰心】は尊いです。
一人で祈るのも、大勢で祈るのも、純粋な【信仰心】がある方々となら、素晴らしいと思います。
お客様(神仏)より、己を満足させたい指揮者もいます。
その指揮棒による皆様の祈りは、不協和音になるかもしれません。
例えるなら、真面目な信者のいる、お金儲けを目的とした宗教団体のようです。
前回のブログ【知恵の泉】の例えですが、
霊的に『足りていない』人々が増えているそうです。
かなりの苦言を申されました。
霊的な『精神』『心』が、『足りていない』という意味です。
【霊能力】が開花していなくても、唯一神、神仏や眷属、視えない世界を信じることが出来る人々がいます。
【霊能力】を発揮出来ていても、神仏や眷属が視えていても、自慢せず、上には上がいると謙虚に更なる修行をする人々がいます。
霊的な『精神』『心』が『足りている』とは、こういう状態を意味します。
神社や仏閣の参拝ブームのような時代になりました。
最初の切っ掛けは何であれ、【信仰心】が芽生えるのは良い事です。
神社・仏閣の参拝が増えたことにより、神仏や眷属の恩恵を受けて、霊的な事が分かる方々も増えています。
それは良いことですし、ブログなどを始めるのも良いと思います。
私もその一人です。
私の過去記事を読まれた方は、ご存知だと思いますが。
視えるようになったモノが、視えなくなった時は焦ります。
「視えなくなっても、神仏は存在されている」
と、開き直れますか?
【修行】もしていないのに、それ以上の【霊能力】を望んだ時。
ご自身の【欲望】の為だけに【霊能力】を望む時。
その時の手助けをしているのは、神仏ではありません。
ご自身の【知恵の泉】が、徐々に濁っていくので、気付いていないのだと思います。
アイコンも全体的に徐々に暗くなっていきます。
人によっては、顔が分かりにくい程です。
暗くなっていくアイコンを視る私の方が、モヤモヤしてしまいます。
例えば【嘘】でも、悪気の有無があります。
【嘘】ばかりのブログでも、光ってはいませんが、黒っぽくも無いブログも存在しています。
多分「こうだったら良いな」みたいな子供の『精神』『心』なのだと思います。
そこに「自分は凄くて、人より上」「騙して、他人から利益を上げよう」のような『精神』『心』が入ると、暗くなっていくのだと思います。
神社・仏閣の部門の一部と[いいね]を押して下さる方々のアイコン位しか視ないので、詳細な基準は分からないです。
ただ、神仏の【嘘】を【利益】の為だけに、ブログに書いている方々のアイコンの変化は速いです。
それだけ【罪】が重いのでしょう。
ここでの【利益】は、適正価格以上のお金を得たり、自尊心を満足させたり、神仏を信じる人を騙して馬鹿にしたり、悦んだりするなどです。
神仏の【嘘】でも、他人から聞いて【噓】だと知らない場合、未熟な【霊能者】の間違い、勘違いの場合などもあります。
本人に悪気が無い場合や悪質ではない場合は、暗くはなっていません。
霊的なモノは、姿を変化させたり、意味を相手に思考させたりされるので、勘違いや間違いが起こる場合があります。
【霊能者】も完璧ではない人間です。
私も未熟者ですし、気を付けたいと思います。
過去ブログも手のあいた時に、チェックするようにしたいです。
説明不足、間違いに気付いたら、修正し、お知らせ致します。
〔第四回〕に続きます。
