こんにちは。ちょこ3です![]()
ご無沙汰しております。
忘れられているかもしれませんね。
暫くブログをお休みしていた理由ですが、書き方を変えることになりました。
どのように表現すべきか、ずっと悩んでいました。
正直、人々を救いたいという大志を抱いているわけでは、ありません。
自分が経験したことや神仏達からの御教えで、皆さんの参考書位になれば良いなと考えています。
私自身も、神社・仏閣に参拝したり、色々な事を試したりして、模索しております。
何より、人生というものは、自分自身が歩むものです。
【思考】し、実現する為の【行い】をする。
おとぎ話も、主人公が動かない場合、お話に成りません。
さて、今迄のブログの書き方ですが。
例えるなら、舞台のワンシーンを書いたり、舞台裏を書いたりと、そんな感じです。
これからは、スポットライトをあてた内容になると思います。
では、今日のお話です。
スポットライトに因んで、【光る】に焦点を当てます。
とある有名な仏閣のお坊さんに言われた言葉です。
「何にでも、相手がいる」
この言葉の意味が、今ひとつ理解出来ませんでした。
私が考えるキリスト教も神道も、神様が見ているので、
「己が正しく在りたい」
です。
仕事で例えるなら、私の信条は[給料分は働く]です。
多く働けば[徳]で、少なければ[借金]です。
[借金]は、いつか何かで[徴収]されます。
私達は[平等]に造られた存在だからです。
自分や家族の為に仕事をして、お客にクレームを出さず、会社に迷惑を掛けないと考えていました。
仕事が出来れば、問題無ければ、良いのでは?
何故か、引っ掛かります。
お坊さんに言われた事を自分なりに考えました。
少し、試してみました。
「これを手にする、お客様が喜ぶように」
そう念じて仕事をしてみました。
「???」
すると、自分の手が光っているのです![]()
自分の視える範囲の自分自身が、光っています![]()
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真面目に仕事をしていても、光ったことなど無いです。
「お坊さんの言っていた意味は、このことか」
【相手がいる】ことを理解する為に、自分の状態を仏様に視せて頂いたのでしょう。
難しい事をしなくても、日々修行が出来るというのは、本当です。
同じ仕事でも【心】が違うだけで、自分が【変化】するのです。
この【心】を維持するのが、かなり難しいです。
まるで、空のように【変化】するので。
正しく、継続は力なりです。