こんにちは。ちょこ3ですニコニコ

 

自分の体験したこと、見聞きしたことを神仏や龍神様に諭されながら、地味な人生という魂の修行をしています。

 

あと、反面教師は、低級霊です。

本当に例外なく、自分のことしか頭にないようです。

 

[かがみ]の[我]が抜ければ[神]となると言われています。

 

理想ですね。

個人的な意見ですが、[我]は、存在しても良いと思います。

 

何故か、スピリチュアルの世界では、[我]を無くす事が、焦点になっています。

皆が言えば、本当の事になる気もします。

 

神仏の偽者もいるように、霊能者の偽者は、塵も積もれば山となる程、存在します。

例えば、本物の霊能者であっても、人生という魂の修行が、どのレベルかも分かりません。

 

 

 

[我だけ]が中心にあるのが、問題だと私は思っています。

 

神仏は、個性や得意分野をいかされて、私達に手を差し伸べて下さいます。

 

 

神仏や龍神様の噓を吐いて、セミナーやツアー、鑑定をしています。

自分中心だから、人を騙しても平気なのでしょう。

 

前から思っていたのですが、セッションて、何ですか?

何の意味があるのですか?

行った事も、した事も無いので、調べてみても意味が分からないです。

 

神仏や龍神様に薦められたことも無いです。

ブログにも書いていますが、神社・仏閣の参拝日々の修行などが薦められて、努力しているところです。

 

そのセッションというものが、自分の為なのか、他人の為なのか、私には知る由もありません。

 

[我だけ]が、中心に存在している限り、低級霊のようになるかもしれません。

何度でも、自分を鏡で映して、[我]に問いかけて下さい。