1月から始まったカウンセリングンが、今日(630日)で、終了になりました。

この半年間、沢山の方がカウンセリングに来てくださいました。

心より感謝しています。

 

今回は初めての方が多く来て下さり、ご縁をつなげることが出来たことを、とても嬉しく思います。

皆さまとの出会いは、天からのお導きです。

星の数ほどあるスピ系ブログから、私のブログにたどり着いて下さったことは、奇跡と思っています。

 

 

 

長年更新してきたブログも、今日で終わりになります。

もう今後、記事を更新することはありません。

 

何人もの方から、ブログを楽しみにしていますと言われていましたが、ご希望に沿うことが出来ず、申し訳ございません。

 

ブログは残しておきますので、これからの学びに、活用してください。

 

 

 

そしてもう1つ。

今日で「四天界 静香」も、終わりになります。

今後は四天界 静香としての、活動は行いません。

 

皆さまとは、今日でお別れになります。

今後メールを下さっても、返信をすることはありませんので、ご了承ください。

 

 

 

これまで必要なことはすべて、ブログや光の会、カウンセリングでお伝えしてきました。

 

今後は皆さまが自分で気づき、自分で感じて、自分の足で、歩いて行く時です。

これまで培ってきた経験、学びをフル活用して、前に進んでください。

 

 

私は今後しばらくは、神事に集中します。

これまで神事に行きたくても、中々そちらに進むことが出来ませんでしたが、もう時は待ったなしになりました。

 

ようやく神事に集中出来ることに喜びを感じ、さらに精進しなければという思いで、身を引き締めています。

 

 

私は私の役目を果たし、今後も自分の出来ることを、精一杯行っていきます。

皆さまも自分のやるべきことを、しっかり行ってください。

 

私の元に通い続けて来た方で長い方は、もう10年のお付き合いになります。

これまでよく、私についてきて下さいました。

心から、心から、感謝いたします。

 

 

 

 

皆さまのご健闘を、お祈りしています。

 

 

これまで本当に、ありがとうございました。

 

 

 

  四天界 静香

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の中にいるもう一人の自分を、スピリチュアルの世界では「インナーチャイルド」と呼んでいるが、私にはしっくりこないので、「自我」と呼んでいる。

 

連日流すことを伝えているが、大きな塊になっているものは、なかなか流すことが出来ない。

それは長年抱えて来た思いグセや、マイナス感情等で、塊になると一度に流すことは難しくなる。

 

それプラス、自我が流すことに納得しなければ、すんなりと流すことは出来ない。

自我は長年塊を抱えているため、それが自我にとって、大切なものとなり、なぜ流さなければならないのか?という思いを持っている。

 

 

 

ある日、私の中に「執着」があることに気づいた。

そして「執着を手放しなさい」、という声も聞こえた。

 

はて?何を執着しているのだろうと自我をみてみると、案の定、大事そうに執着を抱きかかえていた。

 

それは六角形の、キラキラした宝石のようにみえた。

こんなにきれいなものなら、自我は手放さないよなあと思った。

 

宝石のようなものは、これまで私と関わって来た人たちの「思い出」だった。

 

これまで関わって来た人たちの思い出を、大切にとっておいて、しかもそれを宝石のように変化させていたことが分かった。

 

思い出はもう、いらない、それを持っていたら、私も先に進めなくなってしまうと思い、自我に話しかけ、一緒に手放すことにした。

 

自我は最初驚いた顔をしていたが、私の説得に、流すことを納得してくれた。

そして自我と一緒に、宝石を手放した。

 

思った以上に、すごい数の宝石が出て来た。

こんなに沢山、人々の思い出を持っていたことに、私自身とても驚いた。

 

人々との関わりは、私にとって宝物だった。

光の会や、カウンセリング、メール相談などで、沢山の人たちと出会い、彼らの成長や学びをずっと見続けて来た。

それは私にとって、かけがえのない思い出だった。

 

でもそれを、いつまでも持ち続けることは出来ないし、してはならない。

思い出が執着になってしまっては、重くなるだけだ。

 

 

そんなことを思いながら、流し続け、ようやく全てを流し切った。

とてもスッキリした。

 

宝石があった場所は、草原のような広い場所だった。

 

宝石が草原のような広い場所を作っていたんだと分かった時、「寂しい」という気持ちが出て来たので、自我を抱きしめた。

何もない草原を見て、自我が寂しいと感じたのが分かったので、自我を思いっきり抱きしめた。

 

そしてそこに神さまの愛を入れた。

とても満たされた。

 

もう思い出は持たず、代わりに神さまの愛で、自分を満たそうと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月のある日、「天と地がつながった」と言われた。

地が天に近づいたと感じた。

 

そうなると光に生きている人たちは、より天に近づいたということになり、そうでない人たちは、天からさらに離れたことになる。

 

ここに来て、ますます光とそうでない世界は、離れていっている。

どんどん、光とそうでない世界の隔たりが、大きくなっている。

 

 

憑依される人と、されない人が、明確に分かれている。

憑依されている人は、苦しみの中にいて、憑依されない人は、攻撃されながらも、守りの強さを感じている。

 

今の憑依は、目に見えるようにハッキリわかるものではなくなっている。

これまでは憑依された人は、一目でおかしいと分かった。

 

目がうつろであったり、目がどこかに行っている感じだったり、見るからにどんよりしていたり、一目で「やばい」と分かった。

 

でも今の憑依は、一目では分からない。

巧妙に隠れているし、人の奥深くに入り込んでいるので、話をしても気づかない。

霊視やエネルギーで感じ取るしかない。

 

だから自分が憑依されていることに、気づいていない人も多い。

それが今の憑依の特徴である。

 

憑依は次元の扉の中にいても、外にいても、次元上昇をしていても、関係なくされる。

次元上昇しているから大丈夫と思っていたら、すでに憑依されているかもしれない。

 

どんな所にいても、たとえ次元上昇していても、人間としてこの世に存在している限り、憑依はされる可能性があるということ。

 

これまで憑依について、いくつかのメッセージを受け取ったが、さらに伝えたいことは、憑依されるには、されるだけの原因が必ずあること。

 

原因とは「スキ」である。

それは自分は大丈夫と思い込むこと、マイナス感情を流せないこと、進歩する意識がないこと等が、スキとなる。

 

それ以外にも攻撃がやってくる。

攻撃とは、自分の弱点を突かれること。

何度も何度も弱点を突かれたり、人を使って来たリ、これでもかというくらい弱点を突かれ、揺さぶられる。

 

それにいち早く気づき、かわすこと。

弱点を突かれたら、気づいて流すこと。

 

とにかく一番大切なことは、「気づくこと」と、「流せること」。

気づけて流すことが出来ていれば、憑依から逃れることが出来る。

 

今は自分のマイナス感情に気づいて流して、気づいて流しての、繰り返しが求められる。

慣れれば、流れ作業のように、気づいて流すことが出来るようになる。

 

憑依が横行している今は、それしか対抗する手段はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「憑依は今後、さらに激しさを増し、人々を悲惨な道へと引きずり込んでいく。

すでに憑依されている者は相当数おり、憑依の数はさらに増えていく。

 

憑依は気づかなければ、表に出てくることはなく、けれど密かに憑依した者を操って行く。

憑依に気づけば、さらに苦しみを与え、憑依された者から気力を奪っていく。

 

気づいても、気づかなくても、どちらも地獄である。

 

今地獄界が消滅しようとしているため、そこから逃げ出して来たものたちが、人間界で大暴れしている。

 

彼らにとっては最後のあがきであるが、最後のあがきゆえに、人間を巻き込み、ただでは消えない。

巻き込まれた人間は、苦しみもがき、もがいてもムダということが分かれば、人間としての機能を失うことになる。

 

 

これは決して脅しではなく、実際に起きていることを伝えている。

 

すでに人間界は、地獄のような世界に陥っている。

それが事実であり、現実。

 

しかも今後はさらに激しくなるため、捨て鉢になる者も出てくる。

 

そうなると人としての理性や人を思いやる心がなくなり、人も地獄のようになる。

生きていることが地獄になり、それがすでに始まっている。

 

 

そんな中でも、憑依を免れる者もいる。

憑依されずに、人としての道を歩み、神とともに生きることが出来る者もいる。

 

 

 

さて、このような世の中となり、どうすればいいのかと、思いあぐねる者たちも多いだろう。

 

憑依を避ける方法は、ただ一つ、憑依してくるものに、スキを与えないこと。

彼らのエサとなるものを、自身で身に着けないこと。

 

エサとはマイナス想念、マイナス感情。

それらをすぐに流し、手放すこと。

 

マイナス想念、マイナス感情を、常に流し続けること。

それしか方法はない。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今後さらにこの世は、悲惨な出来事が起きてくるが、そんな中でも自分が出来ることを行い、本当の人のための行動が出来るよう、努めなければならない。

 

自分がなぜこの地球という星を選んで生まれて来たのか、なぜここで転生を繰り返しているのかを、改めて考えなければならない。

 

ただ自分が幸せであればいい、自分と自分の大切な人たちが楽しく生活出来ればいい、人のことより自分を大事にし、自分を優先することばかりしていて、それが本当の幸せと言えるのかを、もう一度胸に手を当てて考えることである。

 

自分が良ければそれで良いという考え方が、自分以外の者たちを排除し、人より抜きん出ようとすることが、果たして本当に魂が望んでいることなのか。

 

自分の家族だけ、自分の大切な人だけを優先し、それ以外は関係ないと思うことが、魂を成長させることなのか。

 

あるいは人のことばかり考え、人のための行動を行うことが良しと教わり、そのために自分を疲弊させることが、本当の人のためと言えるのか。

 

 

 

人はこの世に生まれ、人の中で成長して行くが、その過程で、様々な考えや常識と言われるものを学んで行く。

それが本当に良いことなのか、自分の感覚で感じることが求められる。

 

この世で良いと言われているものが、果たして本当に良いものなのか、良くないと言われているものが、果たして本当に良くないものなのかは、自分の魂が答えを知っている。

 

 

 

今は憑依されている者たちが多いが、なぜ自分は憑依されているのか、そこには憑依されるだけの原因が必ずあるということ。

それに気づいて、手放すものは手放し、やらなければならないことをやっていく。

 

憑依されていると、このままで良いという思いが必ず出てくる。

このままで良い、自分は大丈夫と思っているのなら、憑依されているということ。

 

大丈夫、このままで良いということは、進化が止まることを意味し、進化を止めることは、憑依されても仕方がないと言っているようなもの。

 

憑依は進化しないこと、流せないこと、思いグセに気づけないこと、これらによるもの。

それに気づくことが出来れば、対処することが出来るが、気づけなければ連続憑依の餌食となる。

 

人は憑依されるために、この世に生を受けたのではない。

人は魂を輝かせるために、この世に生まれて来た。

 

 

すべての者は光を持ち、たとえ暗闇にいるものたちでさえ、光を求めている。

 

光は神から発せられ、神へと戻って行く。

その過程で人は存在し、暗闇にいるものたちも、もちろんその中に存在している。

 

暗闇にい続けるのか、憑依され続けるのか、あるいは光にい続けるのかは、どれを選択しても自由である。

 

自分が何を選択し、どうしたいのか、あるいはどうなっているのかを見極めることは、今後の選択に極めて重要である。

 

 

 

今後は自分が選択した世界へ、いざなわれる。

そんな世界は選択した覚えがないと言っても、行動、言動、思考がそれを決める。

 

 

 

人は神から生まれ、神へと返る。

今はその途中である。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日のメッセージにより、人々の中に不安と恐れが生じている。

 

不安と恐れは憑依する生き物たちにとって、格好のエサとなるため、今すぐにそれらを手放すことである。

 

自分が憑依されているのではないかと不安に陥る気持ちは理解出来るが、不安になったままでは、すぐに憑依されるのは間違いない。

 

また恐れを持つことも、すぐに入られる原因となるため、不安や恐れを持ったら、すぐに手放し、流すことである。

 

ほんの少しのマイナス感情を持つだけで、今は憑依される。

そのことを本当に理解出来ている者は、ほんのわずかである。

 

テレビ等を観て様々な出来事を憂い、嘆き、悲しむことも、また憑依される原因となる。

 

ほんの些細な、ほんの少しのマイナス感情は、憑依されるきっかけとなり、それを手放すことが出来なければ、すぐに憑依されると思って間違いはない。

 

ということは、すでに多くの、多くの人間たちが、憑依されているということ。

自分は違うのではなく、自分も憑依されていると思って、対応していくことが求められている。

 

憑依されても祓えば良いと思っている者は、やはり憑依の恐ろしさを分かってはいない。

今は祓っても祓っても、すぐに憑依される。

 

そしてその数も、思っている以上の数ということ。

みるものがみれば、あまりの数に、何をしてもムダということが、一目で分かる。

 

憑依をあなどらず、数をあなどらず、祓っても何度もまた憑依されるというのが、今の状況。

それが理解出来なければ、今後の対処は出来ない。

 

一番やってはならないことは、憑依に負けること。

すなわち、あきらめること。

 

あきらめれば、憑依の餌食となり、この世から肉体がなくなるまで、憑依され続ける。

 

だから決して、あきらめてはならない。

 

すでにこの世は暗闇で覆われ、憑依が横行している。

そこに生きている者たちは、憑依されながら、己の心と葛藤し続けなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すでに地獄界に光が入って幾日か経っているが、それに伴いそこから非難してきた生き物たちが、人に憑依する現象が起きている。

 

地獄界は人間が作ったものであり、そこに恰好の隠れ場所として、光を嫌う生き物たちが住みついた。

その後どんどん数が増えていき、1つの大きな塊となって存在し続けた。

 

けれど今回、地獄界を消去するにあたり、神の光が入り、光を選択しない生き物たちは、光で消えていく。

 

光で消されてはたまらんと、逃げて来た生き物たちは、人に憑依し、人の身体の奥深くに隠れている。

憑依された人は、憑依されたことにも気づかず、これまでと同じ想念で生き続け、さらに憑依を呼び込んでいる。

 

自分は憑依されていないと思っている者こそ、憑依されている。

憑依はほんのわずかなマイナス感情が原因となり、引き寄せられる。

 

憑依してくるものは、光の抹消を嫌い必死である。

そのためにわずかなスキがあれば、すぐに入ってきて、人の身体の中に潜む。

 

人は光に向かって生きており、絶えず進歩することを求められている。

進歩せずに現状維持では、簡単に憑依される。

魂を磨くことが出来なければ、即、憑依される。

 

これまでの憑依とはわけが違うことを、人はまるで分かっていない。

自分は憑依されていないと思っている者ほど、確実に憑依されている。

 

マイナス感情を流さず、そのままにしてしまう者、進歩なく現状維持を続ける者、憑依されるのではないかとビクビクしている者、憑依等あり得ないと思っている者、憑依がひどくなっていることに気づけない者、これらはすべて憑依の対象となっている。

 

人は目に見えないものを、これまでないがしろにしてきたため、自分と関係のないことには関わりたくないと思い、この世の生活を平穏無事に過ごせることを、何より優先する。

 

この世を見てみれば、毎日のように憑依が原因で様々なことが起きていることは、いくら鈍感な者でも分かるはず。

 

何か異変が起きていることは、必ず気づいているはず。

それが憑依の為せるわざであることに、気づかないだけ。

 

この世は自分たちが思っている以上に、憑依が激しく横行している。

 

一度憑依されれば、たとえ祓ったとしても、すぐにまた憑依される。

一度憑依されれば、簡単に憑依出来るため、何度も憑依されてしまう。

どれほどの憑依が起きているのか分かれば、人は卒倒するであろう。

 

そのような状態、状況になっていることを、しっかりと認識しなければならない。

でなければ、軽くなることも、前に進むことも、浄化することすら出来ない。

 

まずは憑依されていることに、気づかなければならないが、ほとんどの者たちは自分が憑依されているとは、夢にも思っていない。

気づかなければ、憑依している生き物は人の中でほくそ笑み、いつまでたってもそこから出ようとはしない。

 

今はほんの少しのスキ、ほんの少しのマイナス感情で入られるため、入られたことに気づけないことが多い。

そこをどう気づいていくのかが、これからの人の課題である。

 

憑依は簡単に行われ、祓えても、またすぐに入られる。

このような状況で、人はどのように対処するのか、あるいはしないのか。

 

今は憑依が横行し、それに伴う出来事が日々起きている。

その中でどのように生きて行くのか、一人一人の生き方が問われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨夜、「命の泉のシカ」が攻撃に遭い、死んだ。

 

シカはこの世の清らかさを保っていたが、シカが死んだことにより、今後は清らかさとは反対の方向に行くことになった。

 

 

命の泉は映画「もののけ姫」の「シシ神」がいる場所と、そっくりな場所だった。

一目で清らかな泉と分かる場所で、シカはシシ神のような姿ではなく、3次元にいる角があるシカの姿をしていた。

 

私がみたのは、泉から顔だけ出しているシカで、何か異変が起きていると感じて、急いで駆け付けたが、瀕死の状態で何も出来ず、死んでいくのをただ見守るしか出来なかった。

 

 

この世の清らかさを保っていたシカが死んだことは、この世に大きな影響を与える。

 

今後清らかさが保てなくなることにより、闇が一掃、幅をきかすことになるだろう。

闇がどんどん大きく深くなり、神も仏もないと思うような、状況になるかもしれない。

 

 

けれどそれはあくまでも、一時的なもの。

 

闇がこの世を覆っても、必ず光は出てくる。

それが神の計画。

 

日月神事に書かれていた「大どんでん返し」が、行われるのかもしれない。

 

 

 

命の泉のシカが死んだことで、一時的にこの世は闇に覆われたようになるが、最後は必ず光が出てくる。

 

それを知っているのと知らないのとでは、意識も心構えも違ってくる。

 

神の計画はこのようになっていると分かっていれば、今後はさらに自分の意識に、気を付けることが出来る。

 

マイナス感情を持ってもすぐに流し、暗闇が覆っても不安にならず、暗闇の中でもよろこびにい続け、最後は光が必ず出て来ると、信じることである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先週末、滋賀と京都の県境にある比叡山に行き、神事を行った。

 

今回は小学校の同級生たちとの旅行で、比叡山を訪れた。

同級生たちと行く、楽しい旅行かと思っていたら、しっかり神事が入っていた。

 

当日たくさんの光の存在たちが、私の後ろからついてくるのが分かり、ナイトさんがいない分、光の存在たちが手厚くサポ―トしてくださった。

 

前日は大雨が降っていたが、当日は曇り空で、時々日も差した。

ありがたいことに、雨には一度も降られなかった。

 

 

比叡山は「日本仏教の母山」と言われていて、ここから様々な宗派が生まれた。

日本にとっては大事な場所である。

 

その場所で神事を行うことは、大きな意味があり、実際に行った後は、大きな動きが始まっている。

 

 

大きな動きとは、地獄界にいる生き物たちが、上に上げられていること。

私には不気味な生き物たちが、どんどん上に上がって行くビジョンがみえている。

 

上に上がると言っても、光に戻るわけではなく、光に抹消されるのだろう。

それは地獄界にいるものたちが、光を選択していないため、強制的に光で消されるということだ。

 

 

 

地獄界の「一掃」が、始まった。(地獄界は地球の中に存在している)

 

これが何を意味しているのか?

 

 

それはいよいよ、地球の浄化が始まったということ。

 

 

 

以前地球の外からの働きが起きたことをブログで伝えたが、地球の中からの働きも始まったのだろう。

 

中の働きの形が出来たのが5月。

そこから徐々に働きが始まり、比叡山の神事で、大きく動き始めた。

 

 

一番重たい地獄界を浄化することで、最終的には地獄界をなくすのだろう。

地獄界がなくなれば、地球も少しは軽くなる。

 

地獄界がなくなるから良かった、と思っている人は、思い違いである。

地獄界がなくなることは、闇にいるものたちの帰る場所がなくなることだ。

帰る場所がなくなれば、彼らはどうするのか?

 

当然報復が始まり、これ以上やられるものかと、さらに攻撃が激しくなる。

それは人間に向けられる。

 

彼らが地獄界の次に向かう場所は、人間。

人間は悪想念を持っており、それに引き寄せられるからだ。

 

だからこれまで以上に攻撃が激しくなり、憑依も頻繁に行われ、今度は人間界が地獄のようになるのかもしれない。

 

すでにナイトさんは、相当な攻撃にあっている。

悪想念を持っていない人も、当然攻撃される。

戦士の人は、より一層気をつけなければならない。

 

 

 

いよいよ、始まった。

 

 

 

今後は小さなマイナス感情も、闇にいるものたちの、格好のエサとなる。

だから人間は、さらにマイナス感情に、気をつけなければならない。

 

彼らにエサを与えず、憑依されないためには、ひたすらマイナス感情を流し続けること。

それしか身を守る方法はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今後多くの者たちが、本物に気づくようになる。

 

これまではニセモノがうまく隠されていたため、ニセモノに騙される者が多かったが、今後は本物が表に出てくる。

 

本物はそれとは気づかれないが、輝きは隠すことが出来ない。

本物の輝きを感じることが出来る者が、この世に増えている。

 

ニセモノは輝かない。

ニセモノは輝かせようと思っても、輝きを見せかけることは出来ない。

 

 

 

この世には以前に比べて、多くの光が降り注がれている。

その光に当てられ、本物は輝きを増している。

 

輝きは魂を磨くことが出来た者だけが、受け取ることが出来る。

魂を磨くことが出来て、これまでよりも波動を上げることが出来れば、誰でも輝かせることが出来る。

 

そのような者たちがこの地球にも、ちらほらと現れ始めた。

本物の輝きを持つ者たちが、この地球に出現している。

 

魂を磨き輝かせることが出来れば、そうではない者たちに、輝きを分け与えることが出来る。

輝きは分け与えれば与えるほど、さらに増していくもの。

 

輝きは隠すことが出来ない。

隠しても、あふれ出すもの。

隠しても、にじみ出るもの。

 

輝きを持った者たちが、神の光を人々に分け与えることが出来る。

それがすでに始まっている。」