僕は金継ぎ職人ということでやっています。
(金継ぎって何ぞやという方はWikiなんかで調べてください)

職人というと、
世間一般の方々のイメージでは“その道を極めた者・ひたすら一つの技術を鍛錬した者”という感じじゃないかなと思います。
しかし、
もしもあなたがそういうカテゴライズをされているのなら、僕はその枠には収まらないタイプの職人です。

なぜなら僕は、
金継ぎの道に進んでまだ2年足らずの経験であり、それ以前はグラフィックデザイナーやギャラリースタッフ・建築補修などの仕事にも従事してきており、前述したようにただただ真っ直ぐに金継ぎの道だけを進んできた訳でもなければ、他の金継ぎ職人さんに比べれば鍛錬も大して蓄積できていないからです。

「それなら職人ではないじゃないか!」

そういう風に思われるのは当然だと思いますし、職人というカテゴリーに拘ることもありませんが、それでも一応、僕は自分自身を職人だと言えるのではないかと思っています。

なぜなら、
技術面で言えば職人さんのように満点は採れなくとも、合格ラインは採れるからです。
それくらいの技術は最低限身に付けてはいますし、満点に届かない部分は他ジャンルで得た経験や、知恵で補うことができると考えているからです。
例えば、以前やっていた内装の補修業なんかは金継ぎに必要な基礎みたいな部分はほぼ被っていて、扱う素材とその特性が変わっただけですので、技術の習得に苦労はほぼありませんでした。

そして僕は卓越者ではなく越境者だからこそ、その者にしか見えない視点や方法が生み出せると考えています。

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これは僕(Witchcraft)で “独自に” 行っている金継ぎの技法で『三次元継(さんじげんつぎ)』と呼んでいます。

金継ぎといえば、器の形を 「復元」することが大前提ですので、下の写真のように器の形に沿って直せば、当然、このような状態で修繕されます。
そういう風に直すことが「決まり」なので、純粋な金継ぎ職人さんはそういう風にしか直さないと思います。
趣向を凝らしたとしても、そこに青海波を描いたり、蒔絵のように仕上げたりと、やはり平面の世界からは飛び出してはこないのです。

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しかし、
僕はギャラリーなどで見てきた膨大な数の器をふと思い出しました。
「器にはツルツルの質感のものだけじゃなく、デコボコしたものやザラザラのものもあるのに、なぜ金継ぎには選択肢が存在しないのか。」
「人間の文化・文明は常に進化を続けてきたのに、なぜ金継ぎだけがはるか数百年も前に決められたゴールの規格を変えずに現在まで来てしまっているのか。」
「立体物でありながら平面的に仕上げることに拘る必要はないのではないか。」

そう思ったら、
そんなルールや既成概念を完全無視して、ただただカッコイイ金継ぎをしてやろうという気になりました。

もちろん通常の金継ぎと変わらず、耐久性などの機能面に関しては全く問題ありません。

「そんなものは邪道だ!」

という声が聞こえてきそうですが、安心してください。僕の他に(邪道・王道があるとするならば)王道の金継ぎ師をやっている方はたくさんいらっしゃいます。

そして、そもそも僕は邪道でも構わないんです。

僕は金継ぎ職人として技術で一番になりたい訳ではありません。
ただ、僕にしかできない金継ぎで、僕に依頼して下さるお客さんの期待に応えられればそれで十分なんです。
僕は僕だけのやり方で、古い物の存在を守れるのならそれで構いません。

古道具や器を、その背景にある文化を守っていく為なら、
僕はこれからも金継ぎとは異なるさまざまなジャンルの事に興味を持ち、行動を重ねていきたいなと考えています。

現時点で僕は金継ぎの他に古道具の販売などを行っております。
また、今回が初めての経験ではありますが、有難いことに近々、現代においての金継ぎ・古道具の価値の在り方なんかをお話しする場をいただきました。

なんだか初っ端からちょっと尖った感じの内容になってしまい申し訳ありませんが、僕はこんな感じの人間です。
いろいろと上手くありません(笑)

そんな僕ではありますが、
今後ともWitchcraftと彦坂竜至をよろしくお願いします。