こんにちは、山中竜司です。
このブログでは、僕が所属している「事業家集団」での学びや気づきを、週1回のペースでアウトプットしています。
今回は、“カッコよさ”について考えてみました。
特に、「辞め方」って、実はその人の“美学”が表れる部分じゃないか?という気づきがあったので、それについて書いてみます。
これまでの人生で、「去り際がかっこいい人」に何度も出会ってきました。
特に、事業家集団という環境にいると、その辞め方や手放し方に“その人の哲学”がにじみ出ることが多いんです。
事業家集団で見た、“潔い辞め方”が与える余韻
事業家集団では、いろんなプロジェクトが同時多発的に動いています。
当然、途中で離れる人や卒業する人も出てきます。
でも、その辞め方に「後味の良さ」を感じる人がすごく多い。
ある先輩は、あるプロジェクトを「自分の役割はここまで」と感じ、納得したタイミングで手を引きました。
去り際に仲間たちに丁寧に挨拶し、自分がやってきたこと、残されたメンバーへの想いを言葉にして伝えていました。
誰も責めず、感謝と敬意を持ってその場を去る姿勢に、僕はしびれました。
何かを始めるより、何かを辞めるときの方が、その人の“素の姿勢”が見える。
それ以来、僕の中で「辞め方=その人の人間力」という視点が定着した気がします。
“逃げる”のではなく、“区切る”という選択肢
僕も以前、あるプロジェクトから降りる決断をしたことがあります。
当時は「逃げる」と思われるのが怖くて、すごく迷いました。
でも事業家集団のメンバーとの対話の中で、
「それって逃げじゃなくて、“区切りをつける”だけなんじゃない?」という言葉にハッとさせられました。
その言葉に背中を押され、僕は関係者に正直に自分の想いを伝えました。
「こういう理由で、一度離れさせてもらいたい。でも応援しています」と。
結果的に、その後もそのチームとの関係は良好なまま続き、むしろ「また一緒にやろうね」と言ってもらえました。
“辞める”という選択が、自分も相手も前に進める可能性を持っている。
そう思えるようになったのは、事業家集団という多様性を受け入れる土壌があったからだと思います。
「やりきる」と「潔く手放す」は両立する
かっこよく辞める人に共通しているのは、「やるべきことはちゃんとやりきる」姿勢があること。
中途半端に手放すのではなく、自分の中で“区切り”をつける準備をしてから動く。
ある先輩は、「辞めると決めたからこそ、あと1ヶ月は全力でやる」と言っていて、それもまた美しかった。
やめる=手を抜くではなく、
やめる=最後まで責任を持って向き合う、という姿勢。
それがあるから、周囲からの信頼が崩れないし、次の挑戦も応援される。
「辞め方」がかっこいい人って、結局“自分の言葉で決断している人”なんですよね。
誰かのせいでも、環境のせいでもなく、自分の意思で未来を選んでいる。
辞め方にこそ、その人の“哲学”が出る
僕は、事業家集団という場で多くの「美しい辞め方」を見てきました。
それは逃げでも負けでもなく、自分の“美意識”に基づいた選択でした。
「辞める」とは、実は「次に向かう」ための一歩。
そしてその辞め方がカッコいいと、周囲は応援したくなるし、自分にも誇りが残る。
だから僕はこれからも、「辞め方」にこだわりたいと思っています。
そして、そんな“去り際まで美しい人”が増える世の中って、きっといい世界だとも思っています。
