WJ誇りと奢り❸ | 高田龍の『ごまめの歯軋り』

高田龍の『ごまめの歯軋り』

還暦を過ぎた無名の男の独り言を、ジャンル無しで書き綴るブログです。
身の周りに起きた出来事から、世の中の動き、小説から身の上相談迄やるつもりです。
もっとも、身の上相談は、相談してくれる人が居ればの話しですが......。
兎に角、宜しくお願いします。

気がつくと、またWJのことを書いていた。
そしてまた更新を怠っていた。
その間に、季節はすっかり秋だ。
いや秋も通り越しているかも知れない。

さて、今日はWJの何を書こうか。

何と言っても、WJで一番話題になった出来事と言えば、あの屋形船での忘年会か。
でも、今日は書かない。
私の中の一番は、旗揚げ戦だ。

そのわけは、試合に関するものよりも、運営側が見せたものが多い。
今風に言えば《ツッコミ処》満載なのである。

その中でもいちばん私の記憶に残っているのは、多くのビッグマッチが重複していたあの日、しかも春の嵐を思わせる雨。
その中を、たしか1万名にすこし届かない9千800名を超える人達が横浜アリーナに集まりました。
とにかくひどい降りの雨だった。

この日の数ヶ月前、旗揚げ戦の会場を何処にするかの打ち合わせが池尻大橋近くのWJの事務所に長州力、福田社長、長嶋専務他数名が集まっていた。

武道館は、ドームはと、私にすれば景気のいいと言おうか経験したことのない会話だった。

遠慮がちに私は『両国は・・・。』と言った。
その時、力ちゃんは私の言葉の先をさえぎった。
『小さい、考えられない。』
『小さい』その言葉を聞いた私の率直な感想は、メジャーは国技館が小さいんだ、そうなんだ
というものだった。
なんと言っても、後楽園ホールさえフルハウスに出来なかった団体の代表だった私なのだ。
俺も言ってみてぇなあ。
そんなこんなで、端折りますが旗揚げ戦当日を迎えました。

私が二十代の頃に知り合った人の中に照明家のIさんがいる。
彼は知る人ぞ知る的な人物である。
彼が旗揚げ戦に関わることもなかったので、これ以上は書かないが、あの美空ひばりに私の照明は◯◯ちゃんじゃなきゃダメだからと言わせた人物である。


そんな彼のことを知ってか知らずか、いやしらなかったんだろうな。
新日本プロレスのビッグマッチやテレビ中継がらみの試合の舞台監督(?)の人が◯◯ちゃんと対面、言葉のやり取りからは、傍目で見ると就職の面接みたいな空気になっていた。
この失礼な人の話はこのくらいにしておきます。
鬼籍に入っている方なので。
新日本プロレスが始まった頃からの関係者で興行の進行などを依頼されていたのだそうである。
いわゆる、叩き上げの舞台屋ではないのだ。
仕方ない、私はそう思うことにした。

そして二ヶ月。

ついに旗揚げの日がやって来た。
この日、間違いなく九千余の観客はあの土砂降りの雨の中に置き去りにされた。