トカラ列島  宝島・中之島 | ア-ルの写真記

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1972年3月17日~4月2日    トカラ列島 宝島訪島

 

3月17日発  →八幡浜港 →臼杵 →鹿児島駅 →鹿児島港 

3月18日 PM10 鹿児島港とトカラ列島を結ぶ定期航路船

             第三  十島丸で鹿児島港を出港

(第三 十島丸は総トン数496トン・旅客定員は160名 )

 

3月19日~20日 夜中、屋久島を過ぎたあたりから海が荒れ始める。

船が大きく上下に揺れ始める。目を覚ますがうつろうつろ。

船の船底が海面をたたきつけながら進む。

船底に客室はあるためか橫になり寝ているとその音が聞こえてくる。

狭い客室のあちこちで「ゲーゲー」と、嘔吐しはじめた。

それにつられて私も吐いた。

昨晩、しばらくごちそうは食べれないと、乗船前にカツ丼やラーメンを腹一杯食べた。がしかしすべて戻してしまうほど吐いた。

今回は5人で参加したが、4人が吐いた。

初めての船酔いだった。

 

船は中之島の波風が弱い島の裏側に避難して停泊した。

3月20日~21日

翌日も荒波は収まらず、航行は出来そうもない天候。

少し波が収まり避難のために艀(はしけ)で中之島に上陸。

その日は予定外の避難のため旅館に素泊まり。

翌日の夜は公民館を借りて泊。

22日早朝、海は穏やかになり艀で本船に向かい乗船してやっと出航。

悪石島、諏訪之瀬島、小宝島に艀(はしけ)を使い人や物資などを降ろしながら行く。

3月22日夜宝島着  夜9時ごろ本船から艀に飛び降りて乗り、艀で港に到着した。

その日は公民館泊。

出発してから5日目にやっと目的地到着。

 

 

 

 

中之島

20日夕刻に艀を使い避難のために下船し、その日は中之島の旅館に泊

翌日の21日は公民館にお願いし泊めてもらう。

天候の回復を願うばかりだった。

春の東シナ海は、よく荒れると後で知ったが、それにしても揺れは激しかった。

 

 

中之島海岸には、手で触ってみて、熱いほどの温泉が湧き出ている場所があった。

トカラ列島は火山列島でも在り、中之島の御岳や諏訪之瀬島の火口からは今も噴煙が上がっている。

 

 

 

○印で囲んであるところは、温泉が湧き出ていて、温泉施設として島民が使用する小屋だ。屋根は茅のようなもので覆っていたように記憶している。ここの温泉は誰でも入れるというので入浴させてもらった。確か無料だったような?

 

 

中之島に避難して待機中は近くを散策して時間をつぶした。

公民館の近くに学校があり、子供達が野球に興じていた。

 

 

トカラ列島を訪れた1972年、十島村の島々の港湾施設はまだまだ貧弱で、500トン足らずの船が接岸できる港はどの島にも整ってなかった。

そんなことで、沖合にイカリを降ろし定期航路船「第三 十島丸」を停泊させ、小さな艀で港と本船の間を行き来し物資や人を運んでいた。港と本船の間を何度も往復せねばならないときも多々あり時間と手間がかかっていた。

 

 

やっと宝島に向け出発するという日、この艀に乗って沖合に停泊する本船まで行き乗船した。

 中之島港にて

 

 

時化のため船が航行できず中之島や近海で4日間足止め、やっとのことで中之島を離れることが出来た。

天候は回復していき、海は穏やかになった。

十島村の島々に物資を届たり、人を上下船させながら航行した。

やっと目的の宝島に着き艀で上陸をしたときは、すでに日は暮れ暗くなったPM9ごろだった。

沖合に停泊する十島丸に艀を横付けし、十島丸の投光器で艀を照らし一人ずつ艀に飛び降りる。

本船から艀に飛び降りた瞬間、膝が艀で膝ついて座っていた婦人の眉間にあたってしまった。婦人は眉間に手をやり顔をしかめ、痛さをこらえるようにしていて、謝ったのを今も覚えている。

幸い大事には至らず、怪我させなくてよかった。

艀が活躍していた当時は、乗船や下船は危険を伴う事が多かったと聞いた。

 

夜に到着、その日は島のお世話人さんに頼んで宝島の公民館に身を寄せる。

翌日、空き家を借りることになった。

テントも持参していたが、空き家の方が広くていい。

おまけに電気も水道の蛇口もある。

1週間ほど宝島でお世話になる予定だが、日記帳には家賃は2000円、水道代200円、電気代は300円合計2500円で借りることになったとの記入が残る。

 

島内では、村の人たちと道ですれ違ったら、必ず「こんにちは」と一言挨拶すること。道端などではけっして立ち小便はしないことなど、島の掟を訪れる前に知らされていた。

空き家を借りて落ち着いた。

空き家から見える周りの景色。

左に見える白く見える建物が公民館。

 

 

三角形の形をしている山が女神山。

女神山の向こうあたりに、観音洞と呼ぶ鍾乳洞がある。

 

屋根があり板間にゴザが敷いてあるだけだが、電気も水道もあり満足快適生活。

空き家が借れて良かった。

上を見たらキリがない。

 

 

天然記念物のトカラ馬。

この馬は、荒木崎の灯台に行く途中、放牧されていたのをカメラでパチリ。

今は宝島にトカラ馬はいないようだ。

中之島にはいるようだ。

宝島で放牧されていて、牧草を食べるトカラ馬。

 

 

 

砂漠のような砂浜 センゴ

 

トカラ列島宝島での合宿終了。

帰りは宝島から奄美大島に第三 十島丸で3時間ほどかけて行き、奄美大島から鹿児島港直行便の大型船で帰った。

奄美に到着したが、当日出航予定だった鹿児島行きの船は、悪天候のため欠航となり、奄美大島で一泊旅館の世話になった。

欠航で時間が出来たので、町に見物に出かけた。その時に行ったハブとマングースのショウの入場券がアルバムに貼ってあった。

現在はこのようなショウは、動物愛護の観点から行われていないみたいだ。沖縄でも復帰直後はこのようなショウが行われていた。

 

 

まだ波は荒いと思ったが前日ほどではなかったのだろう。

船は一日遅れの夜に出港した。前日に乗船予定の客も合わさってか、船内は寝るところもないほどごった返した。階段裏側のスペースをなんとか確保し肩を寄せ合い横たわり寝た。

帰りの船は、小さな十島丸と違い大型の船で揺れはたいしたことなかった。しかし、第3 十島丸で宝島に行ったときの船酔いは辛かった。