聖書の言葉です。 | 牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

48歳から28年ぶりに剣道再開。
すっかりはまってしまいました。
57歳で五段をいただきました。長年クリスチャン剣士でしたが、2010年11月に牧師になりました。これからも神と人に仕える者となっていきたいと願っています。剣道修業も続けていきます。

2015419日(日)

おはようございます。

今日は何の日カレンダーから

第1回ボストンマラソン。大衆マラソンのなかで最も歴史の古いレース(1897)

ボストンマラソンは、アメリカ独立戦争の開戦日を記念した「愛国者の日」を起源として1897419日行われました。

その後、毎年、4月の第三月曜日に開催されています。

ボストンマラソンの特徴は、何と言っても古い!!!。

世界の有名な市民マラソンは、ニューヨークシティマラソン(1970年)、ロンドンマラソン(1981年)、ベルリンマラソン(1974年)、パリマラソン(1976年)、東京マラソン(2007年)

が数えられますが。いずれも1970年以降です。

 その中で、ボストンマラソンは1897年(明治30年)ですから118年の伝統を持ちます。

 その伝統は、驚くべきものです。ダントツです。

世界規模の競技としては近代オリンピックに次ぐと言う事です。

ちなみに近代オリンピックはその前年1896年に第一回アテネオリンピックが開催されていますから、その古さがわかります。

世界規模の市民マラソンなので、誰でも走れるかと言うと、かなりレベルが高い。

毎年2万人が参加するそうですが、その大半が4時間未満と言う・・・・。

市民マラソンの中ではさすがに格式高いだけあって、だれでも出れるマラソン大会ではなさそうです。

ちなみに東京マラソンは、制限時間7時間

ボストンマラソンは、一般人も参加できる世界のマラソンの中では、群を抜いた、レベルと格式があるようです。

 私も数年前、「一度、フルマラソンを走ってみたい!」と思って練習をした事があります。

 家の近くの泉州マラソンはどうかと思いましたが、制限時間が4時間30分・・・。

こりゃあ、足切されずに完走する事は難しいぞ・・・・。とiPhoneのタイマーを腕につけてペースを考えましたが

4時間半だと単純平均でも9.4km/時

疲れも考えると11km/時ぐらいは必要・・・・。

そう思って走ってみても、しんどくてしんどくて・・・・。

無理かと躊躇しているうちに、もう、全く届かなくなってきました。

もう少し若いうちに、挑戦しとけば・・・・と思っています。

とは言え、私の同級生からの年賀状には、もう何回か息子さんと一緒にフルマラソンを走って・・・・。4時間切(サブフォー)を狙っています。などと言う羨ましい様子を見ます。(学生時代は俺の方が早かったのに・・・・とか思ってしまいます)

ボストンマラソンは、最低でもサブフォーの人が出ているマラソンなんですね。

ちょっと調べてみて、勉強になりました。

先日、ボストンマラソンではテロがありました。その時は、なんかお祭りみたいなマラソン大会かと思っていましたが、そうではない真剣なマラソン大会なんですね。

 「お父さんは、今は太っているけど・・・・。昔は、長距離はまあまあだったんだぞ。」と言っても信じてもらえない私の、ボストンマラソンの始まった日の感想でした。

 今週も皆様の上に神様の豊かな祝福と守りがありますように。

今週の暗唱聖句と拙い解説を送ります。

2015419日(日)




今週の暗唱聖句と解説

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。ヨハネ654

ここで、わたしとはイエス・キリストの事です。

イエス様は、ご自分の事を「いのちのパンです。」と言われています。

この言葉はイエス様が最後の晩餐で語った事を連想させます。

また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。 マタイ福音書2626~28

私達は罪のゆえに永遠の滅びに行くべきものです。しかし、私達の罪の為にイエス様が十字架にかかり、そのすべての罰を受けて、そのからだをささげて死んでくださいました。私達の存在(原罪)そのものを救うために、その体を身代わりとされたのです。

 その事を信じる者には、この体であるパンを食べる時。それは私の救い主イエス様を信じていただく事となり、神様の一方的な恵みによって、私達の罪が赦され、救いの中に入れられるのです。

永遠のいのちをいただく事が出来るのです。

 イエス様の死後、復活のあとから、ずっとキリスト教会はこの礼典を執り行ってきました。聖餐式と呼ばれてキリスト教会にとっては、洗礼式と並ぶ、二つだけの礼典と呼ばれるものです。

 パンは普通にあるパンです。しかし、そこにイエス。キリストの言葉が結びつく時、それはイエス様の体となるのです。その体をいただきながら、私達の罪を赦して下さり、永遠のいのちを与えて下さっている事を感謝して歩ませていただくのです。カトリック教会ではこの事を「ミサ」と呼んでいます。

キリスト教会にとって最も大切な礼典であるのです。イエス様のからだをいただく。このいのちのパンをいただきながら日々を歩ませていただくのです。