待降節第二主日 暗唱聖句 | 牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

48歳から28年ぶりに剣道再開。
すっかりはまってしまいました。
57歳で五段をいただきました。長年クリスチャン剣士でしたが、2010年11月に牧師になりました。これからも神と人に仕える者となっていきたいと願っています。剣道修業も続けていきます。

2012129日 待降節第二主日 暗唱聖句

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。           マタイ福音書713

この御言葉は、イエス様が弟子たちに語った言葉です。神の国(天国)に入る門は狭いと言われます。

神様の祝福の道は、狭い門を通って入るのです。多くの人は安易な広い門を通って行きますが、それは滅びの道なのですとの警告でもあります。

大切な事は、物事に流されて、何も考えずに、多くの人が行くからと流されていくものではないという事も言えるでしょう。私達人間はもともと神様からは程遠いので、そのままでは滅びの方に勝手に行くのだと言われます。

大切な、意義ある事は狭い門を通らなければならないという事から、現代では大学入試などを狭き門と言ったりします。その語源はこの聖書の言葉から来ています。

聖書はこの後に、こんな言葉が続きます。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。マタイ714

こうなると、私達はどう生きれば良いのかと思います。キリスト教の救いは、一生懸命努力して誰もが見つけることが出来ない様な狭い門を見つけて入る事でしょうか。

 そんな難しい事は、私にはできません。いや多くの人ができないのではないでしょうか。私達はいのちに至る門を自分の力では見出すことはできませんという事でもあります。

この箇所は聖書の中でも難しい箇所です。

私達は人の考えを中心にしていくならば、それは多くの人が歩む道です。しかし、それは神様の道ではありません。大切な事は小さな狭い門にあるのです。という事だけを強調すれば、努力して賢い人だけがいのちの門を入れるようです。賢い、力のある人だけが救われるのならば、キリスト教は努力して善行を積む事。修行の中で救いを見つける事になります。

しかし、福音はそうではありません。福音は何もできない、罪しか犯す事のないような弱さをもった私達に、イエス様が来てくださり、イエス様を通って救われるのです。ある意味、私達が救い主イエス・キリストを見つける事が狭い門ではあるでしょう。でもイエスを通るならば私達は確実に救いの中に入れていただけるのです。

イエス様がご自分の事をはっきりと門だと言われています。

わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。     ヨハネ福音書109

ここに狭い門から入りなさいの答えがありそうです。

ここに福音(良き知らせ・Good news)があるのです。

    堺育麦キリスト教会 牧師 豊島 守