気位を鍛えられるのか | 牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

48歳から28年ぶりに剣道再開。
すっかりはまってしまいました。
57歳で五段をいただきました。長年クリスチャン剣士でしたが、2010年11月に牧師になりました。これからも神と人に仕える者となっていきたいと願っています。剣道修業も続けていきます。

合宿の時に、久しぶりにI熊先生に稽古をお願いした。この間書いたように、その時足が非常にだるくて、いつもより、自分の出足に自信がなかった。

その上に「I熊先生は強い!」っという気持ちがあるから、常に先生の打ちに、間に合わないという心があった。

そこで、「せめて(攻めてではなくて、打たれないように)手元は浮かさないようにしよう」と、竹刀の握りに力が入っていた。

小手を打たれても手元が浮かなければ、なんとかなるかというセコイ考え(笑い)

それでも、浮かされて小手は打たれる。出て行けば小手を押さえられる。

待っていれば、面が伸びてくる。

それでも、必死で向かって行ったが、軽くいなされる。

完全に気位が違う!

終わって批評をいただいたら「右手に力が入りすぎて、ガチガチですね」と言われた。

そうか・・・・。右手に力が入っていたかあ・・・。そういえば、小手面を打ったときに、右手で打っている感じがした。


実はこの間、別の先生に、「最近の稽古を見ていると力が抜けていい面が打てています。」と言っていただいた。(誉めていただいたことは、いつも心にしっかり覚えています。)


それで、ちょっとI熊先生にもうまくいくかなと思って稽古した次第でしたが、全然だめでした。


なぜかな?とツラツラ考えてみると、「中学生には力が抜けて軽く面が打てるのに、I熊先生にはなぜ、ガチガチになるのか?」 気で押されていたからです。気位が負けていたから・・・・。


剣道の技術は人形にだったら、キレイな面は少し練習すれば打てる。

しかし、いくら基本を練習しても、気位で負けていれば、絶対にきれいな面は打てない。

基本も大事だが、気位を鍛えなければいけない。この気位を鍛えることが大切だ・・・・・。

っで、どうすればいいの?

O園先生がいつかおっしゃっていた。「気を練るということは、強い先生の気を正面から受け取る稽古を続けることだ。その時は絶対に負けるが、その稽古を、逃げずに、続ける時、その気を自分に貯めることができる。自分よりも弱い相手との稽古より、上手の先生に稽古をお願いしていくことの大切さはそこにある。負けているのを嫌がらず、しっかり気を受け止める。その時は、気位に負けて、ボロボロになる。しかし、その稽古が自分の気を鍛える唯一の方法です。」

この言葉を思い出した。

気位は上手の先生から受け取るんだ!。


月曜会の稽古はその最適な機会だ。一回、一回大事に気を受けていこう!!。


そういえば、最近今まで負けていた人が、あまり恐くなくなってきた自分を発見する時があります。

これは、少しは成長しているのかもと思っていますが、まだまだこれからです。