初場所は横綱大関関脇が終盤までほぼ並走の末、照ノ富士の優勝に帰した。琴ノ若や霧島が奮闘とはいえ千秋楽の相撲を見るに、照ノ富士が全て受けて立ちはね返した格好。大鵬がかつて「私に挑むものは全て私の力で叩き潰す」と宣言し、実際悉く叩きのめしていたがそれに近い。大の里~霧島戦は実際そうだった。曙の引退直前の2000九州も横綱大関7人を破るという怪記録があるが、思い起こす王者感がある。

 

 

霧島は形としては2敗で終盤まで残ったものの、照ノ富士戦は豪快に投げ飛ばされる惨敗に終わった。完全に振り出し。横綱は10年早いと見せつけられたようだ。所詮井の中の蛙感がある。この分では奇襲でもない限り勝利は難しそう。そもそも大関で1度の優勝で横綱昇進話が出るのもおかしなこと。

 

琴ノ若は大柄な分だけ健闘したが、決定戦での琴ノ若の双差しから照がすかさず小手に振って右を差し巻き替えて双差しになるといった細かな技術を見るに、格が違う。照ノ富士は膝が悪化した分技能を磨いているようだ。巻き替えて自分優位にするのは北の湖の得意であったが、今の相撲界には全然みられなくなった応酬。相撲の技術も退化している?

 

 

かつての力士は技を繰り出すタイミングも綿密に計っていた。例として1950年代の大関琴ヶ濱は内掛けを得意としたが、左四つになり一旦相手に廻しを取らせ、腰を振って廻しを切り、一呼吸おいて相手が廻しを取ろうとするところで、鎌で草を刈るように左足を飛ばすという憎い技能ぶり。もろ差し鶴ヶ嶺も右四つ得意だが、相手に合わせて左四つになり十分にさせ、そこからスルっと右を巻き替えてもろ差しになるという心理戦であった。まさにゼニの取れる相撲。今は押し相撲全盛でこの手の話は減った。

 

照ノ富士に戻すと正代戦の黒星から熱が入った。序盤は長期休場で勘も鈍っていたのだろう。竜電、錦木戦と組み止めてしっかり勝ったことが自信になったか。ただこの時点でも不安定さがあり優勝は予想できなかった。結果的に随一の安定感がモノを言ったといえる。

思うに稀勢の里が現役であればそこそこの存在感は発揮できたのではないか。2人とも大ケガ、病気と試練が訪れたが稀勢の里は横綱、照ノ富士は大関と一つの差で明暗分かれた。白鵬日馬富士という横綱の陰で、逃げることのできない地位で不本意に終わってしまった悲運の力士。

 

しかし照ノ富士と他力士の差が大きすぎる。貴景勝や霧島が横綱という目玉を持ち上げていたが、照ノ富士不在では所詮虚像ではないか。照ノ富士を倒すことが壁を乗り越えることだろう。次の横綱は遠い。

 

大相撲中継。最近過去の取組の放送が減った。解説の親方の現役時の映像を取組の合間に流していたものだが、殆どなくなった。楽しみであったのが何か中継のスタンスが変わったようで落ち着かない。以前と比べ風情はなくなった。実況アナもミスが目立つ。 後の力士はつづきにしたい。