~プロフィール~

福岡出身。現在39

2010大阪にある情報システム就職。

2020222倒れ、高次脳機能障害に。

失語症・失行・注意障害・記憶障害など。

身体障害手帳3級&精神障害手帳3級。

麻痺の為、杖持ち。詳細はコチラ。

 

妻と小4長男・小2次男の4人暮らし。

務めていた会社に2023月8月から復職開始。

2024年3月末まで、復職継続の判定中。

 

こんにちは。

 

『 “仕事をする”ということ』と名付けた2回分のブログ、途中からアメーバ限定にした。

理由は、仕事場での私の状態を公開してしまうのは、あまり褒められないから。

始めからどうするか悩んでいたが、やっぱり全員公開で誰にでも見える状態にしてしまうのは問題があるかもしれない。

 

もちろん、会社の悪口なんか一度も書いていない。

書いたのは、私自身に対する私の感想。

 

そんな理由のアメンバー限定なので、申請いただいたら全員承認します。

 

 

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私の母の父、つまり祖父は、私が物心ついたときから入院していた。

調べてみると、私の幼稚園年中組の誕生日の日に倒れたそうだ。

 

脳梗塞で倒れ、それ以降ほとんど声が出せなかったのだと思う。

始めのうちは歩く練習もしていたようだが、私は全く覚えていない。

 

今はどの病院でも短期の入院にとどめているのだと思うが、その時の祖父の入院は長期だった。

計算してみると、6年以上。

 

私が見た祖父は、病院のベッドから全く立てなかったし、会話もできなかった。

お見舞いに行った終わりに、部屋から出るときは、いつも私を見て泣いていた。

 

私も、可哀そうには思っていたが、話もできないし、人と話すのが苦手だったので、ほとんど祖父に話すことはなかった。

今考えると、本当に申し訳ない。

 

 

 

今年1月、福岡に帰省した時に、伯母に「おじいちゃんの写真を見せてもらえないかな?」と言ってみた。

伯母は戸棚からたくさんの写真を渡してくれた。

 

私としては結構びっくりした。

集合写真や風景写真が沢山ある。

一度も見たことがなかった。

 

私は、両親の昔の写真はほぼ見たことがない。

父が子どものころの写真を数枚見たくらいで、他は私が生まれた後に一緒に写った写真のみ。

 

母は、祖父が写真を撮るのが好きだったと言った。

なんだか、私の趣味の一眼レフも、祖父の遺伝のような気がした。

 

誰が写った写真なのか分からない物も多かったが、折角なのでスキャンして保存したい。

預からせてもらって、大阪まで持ち帰った。

 

 

 

私が小さなころから、母は両親が台湾で生まれたと言っていた。

そういう時代だったんだと思う。

 

第二次世界大戦の終戦後、日本の鉱山で働いていたそうだ。

子は6人生まれて、最後が私の母。

 

祖父がこんなに二枚目だとは全く知らなかった。

(なんだか昔の鳥肌実のようだな)

 

↓鉱山のようだ。祖父が撮った職場の写真だろうか。

 

↓は旅行かな。思っていたより裕福だった?

 

何度か引っ越していたようだ。私の母も山口で生まれて、小学生の頃は茨城の日立鉱山の近くで暮らしていたそうだ。

その鉱山で働いていたのだろう。

 

私が子どものころにも聞いたことがあるが、母は友達と学校帰りに川沿いを歩いていると、野犬に吠えられて大変だったらしい。

私が調べてみると、その小学校はもう廃校したようだが、その辺りもGoogleストリートビューで見れた。

 

たぶん、方言も私が聞いていた母の喋り方ではなかったのだろう。

調べるだけで面白い。
 

 

 

こうして作業をしていると、この写真を見られることが奇跡のように思う。

 

私のいとこは、あんまり写真を撮るタイプではないと思う。

この写真は、おそらく私がスキャンしていなければ、そのまま消えていくはずだっただろう。

また、今後私が死んでも、写真が残る可能性は極めて少ない。

 

もし、私の息子たちが写真を撮ることが好きになったら、私も嬉しいな。

過去を知り、想いを馳せるのは、なかなか楽しいぞ。

 

私と祖父