~プロフィール~
福岡出身。現在38歳。
2010年 大阪のシステムインテグレータに就職。
2020年2月22日に倒れ、高次脳機能障害に。
失語症・失行・注意障害・記憶障害など。
身体障害手帳3級&精神障害手帳3級。
麻痺の為、杖持ち。
妻と小3長男・小1次男の4人暮らし。
今年6月末まで休職中。
こんにちは。
本日は、昨日のブログの続きに当たる。
前回は自分の自立する生活がある程度できるようになってきたという話だった。
今回は、自立した生活ができるようになったから、ようやく仕事を始める、その私の想いを書く。
昨日の長文よりも長い。
段落を分けて書く。
過去の業務中の私
今の私は、38歳。
一般的な社会人だったら、業務の可能領域が増えてきて、バリバリに働く年代だ。
3年前、私が35歳のときは、チームリーダーを初めて担当することになっていた。
業務時間をフルに使って働き、沢山の人たちと仕事の話をしていた。
社員・役員は、できないことをはっきり伝える。それによって、私の仕事も、ドンドンできることが増えていた。
会議で役員にしっかり伝えることが増えていくたびに、話し方も上達してきた。
つまり、大きく成長しつつあった。
なんとなく生きていても、自動的に成長できるわけではない。
社会人は会社という組織に入って、自分で自分の方向性を考え、それを上司たちと報連相する。
そして、他社の会社員と戦う。少しずつできることが増えていく。
色々なトラブルはあったが、その分とても楽しかった。
これが“仕事の楽しさ”と呼べるものだと思う。
私にはそれが、映画を観たり、友だちと遊んだりする事よりも、遥かに楽しかった。充実感というやつだ。
一時期メンタルを病んで精神科に通っていたこともあるが、それは自分が業務を通じて自分のチカラを図ろうとしていた結果だからだ。
だから、メンタルを病んだって、働いていることに後悔は一切なかった。
障害者になった現在の私
私は一時期 精神科に通っても休職しなかった。それなのに、今は休職中。
原因不明で倒れて、仕事など絶対に無理な状態となり、休職となった。
それから3年が過ぎた。
脳の後遺症で様々なことを忘れてしまったし、3年間という長い休職期間を経て仕事観も忘れていると思う。
私は“障害者”となった。
会社での以前のような丁々発止なやり取りには、私は関わらせてもらえないだろう。
自分でも、そんな業務など不安過ぎて、自信がまったく持てない。
人が何を伝えようとしているのかもよく分からない。
それどころか、自宅で妻とリラックスしていても、何を言っているのか分からず、私がオカシイのか妻がサボった話し方をしているのかも分からない。
自分自身に自信が持てないから、常にモヤモヤしている。
これまでの業務すべて再開することは、一生無理だろう。
それを前提として、ゼロから自分の仕事を作っていくしかない。
この“後遺症”という言葉は、“ここで一旦身体への障害進行が終わった”という意味だと思っている。
そこから自分の生活を作っていくべきなのだろう。
脳細胞で壊れた部分は確実にあり、そこは元通りに再生なんてしない。
私は新入社員時代から、自分の可能性をドンドン大きくしたいと思っていた。
だが、どんな理由なのか原因は分からないが、結局脳の障害を負った。脳障害は、身体にも問題が出る。私は杖がないと外出できない。
様々なことが不可能になってしまった。要は、自分の可能な範囲を見誤ってしまったのだと感じている。
だが、仕事に戻る可能性はまだ残っている。
会社の上司・人事・役員は、今の私が復職することについて、問題ないだろうと言ってくれている。
この復職は、障害者雇用となるはずだが、今までの職場での仕事に戻ることになった。業務可能かを6ヶ月で判断してもらう。
会社が本当に許してくれるのかは分からないが、自分なりに努力するしかない。
私が在籍しているグループ社員は、国内で20万人を超えるそうだが、そのなかで高次脳機能障害になった人など、現在は一人もいないそうだ。
つまり、グループ社員の中で、私だけがここで書いているブログの症状を持っている。
会社に復職できるという意味は、それだけイレギュラーな許可をいただいているということになる。
上司や役員の好意で、今は毎月半日ほど会社に訪問している。
今週、その訪問に行ってきて、改めて復職に向けて様々なことを感じた。
今の私が困りそうだと思っていることなどを、リハビリの種類に分けて下記に書く。
理学療法(PT)【運動】
復職が始まる7月からは、フル(7時間45分)で業務を行う予定だ。
復職開始後、6ヶ月間で私が会社で業務を継続できるかを判断してもらう。
もし業務不可能と判断されたら、退職となり他の会社に再就職するしかない。
上司は、私が倒れて半年後に話したときと比べると、抜群に会話できるようになったと言ってくれている。
私の職務は、労働業務ではないから、とりあえず会社に通勤できれば復職できるだろうと言ってくれる。本当に有り難い。
だが、今時点、私が復職で一番困りそうだと思っているのは、その“ただの通勤”。
私が長く休職してしまい会社に迷惑を掛けてしまっていることよりも、自分の身体に心配を感じている。
通勤距離として、私の自宅から電車に乗るのが40分程度、徒歩が今の足では50分程度。
足の動かし方も、一般人とは大きく違い、体力を消耗する。これまでの通勤とはまったく別物だと思った方がいいだろう。
私の会社は、自宅でのリモートワークもできる。
新型コロナの流行で、自宅業務する人もかなり増えたようだ。私が事務所に行っても、こんなに人がいなかったかと驚く。
私は自宅業務を何日も続けたくない。簡単に選択してしまうと、体力がドンドンなくなっていき、仕事の理解まで悪くなると思う。
でも、通勤には大阪市の有名な混雑駅を通らなければならない。
今回、駅のホームで沢山の乗客たちとすれ違いながら歩いていると、改めて気付いた。
乗客たちの歩いている身体が、視野狭窄の私には多すぎて、反応が間に合わないのだ。
自分の目の前に、突然人が現れる。ホームで歩いている間中、いつまでも続く。終始ドキドキする。
それと、今回は雨が降っていた。
杖を持ちながら、傘を差すのはやはり大変だ。失行なのか麻痺なのか、ビルに入る時に傘を閉じようとしても、思ったように指が動かない。
本当にイライラする。
社員が「雨が降ってるから、会社には行けません」なんて、聞いたこともない。
でも、そんなことを悩んでいても、何も改善しないと思う。
通勤が始まったら、“気の持ちよう”で割りと問題ないのかもしれない。
つまり、会社に行かないといけないというプレッシャーを上手く受け止めたら、今より10~20%能力が向上するかもしれない。
私がバリバリ働いていたときにも、そんな恩恵を感じていた。
自分が思ってもいないことが、仕事をし始めると分かる。
自分の精神は、その現状によって培われる。
そんなことを期待しながら、復職を待とう。
作業療法(OT)【技巧】
最近、武井壮のことを思い出した。
彼のことは、私が倒れる前から本当にすごいと思っている。
毎日自分の体調を計測し、ノートに記録して、自分のもっとも効率的な睡眠時間を導き出したそうだ。
「45分の睡眠を3回取れば一日中元気!」らしい。
私が武井壮みたいな短い睡眠時間だったら、絶対に眠気が取れないだろうし、身体の動きも誰が見ても明らかに悪くなっていくだろう。
下手すると、大きな事故になる。実際、しばしば大した段差でもないのに転びそうになる。
そもそも、頭も身体も、日々安定しない。
それは、よく世間で云われる精神的な問題とは少し違うように思う。もっと根柢の問題な気がする。
考えたり会話したりするキャパシティが、毎日変わってしまう。数時間前に考えていたことが、自分の考えだと思えなかったりする。
原因としては、冒頭の方に書いていた脳の神経細胞だと思う。現実的に使える容量が減っている。頭が悪くなったのは当たり前。
それでも、日常生活や就労移行支援施設によって、少しずつ状況が良くなってきていると思う。
自分なりに改善を重ねていきたいと思う。
去年から復職に向けて月一回の訪問をしている。
会社には、障害前と同じように、ビジネスカジュアルな服装で訪問している。
頭にもジェルを付けてバッチリ髪型を整えている。
杖持ちだから、どうしたってカッコ良くは見えない。でもカッコ良くありたいという私の気持ちは変わらない。
会社らしい格好をすることで、背筋が伸び、気持ちがグッと引き締まる。
他社の人と会うような仕事はできなくなったが、私は仕事を真剣にやっていた経験を今でも覚えている。
そこまで戻ることは無理だろうが、できうる限りの範囲を達成したい。
それによって、自分が仕事に行くのが楽になると思う。
まぁ、周りからすればパッと見、身体障害者だと思われず、普通の30代だと勘違いされるだろう。
通勤時間帯では、電車の席はほぼ100%埋まっているから、私の杖は周りの人には見えないだろう。
席を譲ろうと言ってくれる人など、ほとんどいない。
私がビジネスパーソンだと思ってもらえるだけで充分だ。
言語療法(ST)【会話】
倒れて3ヶ月~1年くらいは、人が何を話しているのかも分からなかった。
仕事は、私が『失語症』で上手く意思疎通できないんことが最も大きな問題になるだろうと思っていた。
だが、様々な言語リハビリや家族との会話で、日を追うごとに回復してきている。
私が上手く話せないことについて、同僚や上司にも理解してもらっている。
商売の競争相手だったらかなり危険だが、一緒に業務する人たちと信頼関係さえ築ければ、大きな問題は起きないと思う。
代わりに、自分の気付いていない大きな欠点を知った。
それが『注意障害』。仕事を行う上では、この注意障害が大きな職務障害になりそうだ。
注意障害とは「注意散漫で他の刺激に気が移りやすく、一つのことに集中出来なくなる」ことを差す。
自分でもどこで起きているのかが分からない。
そのうえ、話相手にはまったく気付かれず、すれ違ったまま一日が終わる可能性もある。
高次脳機能障害という言葉には、狭義では私の失語症が含まれない。
その意味が私には分からなかったが、おそらく自分や他人がパッと見何も問題ないように感じる症状を『高次脳機能障害』と呼んでいるのではないだろうか。
例えば、今回の訪問で、上司にいくつかのことを伝えようと思っていた。
だが、そのうちの一つがどうしても言葉にならない。“あの書類の話”なのは分かっているのだが、それをどうするのか?
伝えようと思っている内容が、私の頭の中にしっかり記憶されていないから、相手に表現できない。
上司の用で会話が一旦中断したため、妻に電話を掛けて聞くことにした。
妻はかなり強く「だからぁ、何度も言ったでしょ?」と言われてしまった。
さらに、自分が失敗したことを会話したのに、その“やり取り”さえ忘れてしまう。
そうなると、私は「え?それは元々分かってるよ」なんて言ってしまう。
自分の考えを忘れてしまい、人から聞くと元々知っていたように摩り替ってしまっている。
今回もその片鱗を感じた。
これは、かなり深刻な状態だと思う。
もっと分かりやすい例を書くと、自分がある人から請け負った約束を忘れないようにしようと思っているのに、関係のある別の人に伝え忘れたりする。
『注意障害』という言葉そのものだ。
友だちとただ喋っているだけなら、全然問題にならないと思う。
仕事をしようと思ったときに、初めて火を噴く。その可能性を感じた。
まだ今後どうしたらいいのかは分からないが、自分なりに考えてみようと思う。
私の仕事は、パソコンを使う時間が多い。
失語症で会社の人との会話が難しいから、パソコンを通じた作業の方が向いていると思う。
失語症以外にも、私は視野狭窄があり、画面の中心から右側が見えづらい。
パソコンでも、仕事で見落としがないようにしっかり気を配りたい。
時間は掛かるが、できるだけミスのない仕事をしたい。
今回会社に訪問したときに、同じ職場でお世話になっていた先輩が、慣らし業務のやり方を教えてくれた。
私の失語症を気遣ってくれたのか、Excelに手順書を書きながら説明してくれた。
聞いていると、3年前にその仕事をしていたことを少しずつ思い出した。
帰ってきた感覚を感じて、とても嬉しい。
それよりも感じていたのは、この会話。
こんなふうに手順書を作ってくれることなど、私からはとてもお願いできない。
本当に、涙が出そうなくらい有り難く思った。
この御恩を返したい。
その先輩は、あと3年で一応定年になるそうだ。
私が倒れて3年。
その3年間と同じ時間、先輩に指導してもらったら、きっと今より遥かに話が分かるようになっていると思う。
いや、自分で意識的に努力しようと強く思った。
いよいよ3ヶ月後の復職
振り返ると、倒れた当初は、一生ベッドから出られない可能性もあった。
意味の分からない、意識混濁なことしか言えない可能性もあった。
周囲もすべて含めて、意味がまったく分からず、自分の人生に絶望していた。
だが、生きている。
自分の“一番下”を、私は経験した。
そして、そこから比べれば、今の私は驚きの回復だと思う。
私のブロ友の外山先生に云っていただいて、初めて気付いた。
私は、自分の知能指数IQが大幅に下がってしまったのに、何故かあまりショックを感じていなかった。
この外山先生のお話を聞いて、ようやく分かった。
私は、理解力・維持力・身体能力などが大きく下がってしまったが、その代わりに人生経験を大きく得られたのだと。
これから仕事を再開できるのは、本当にラッキーだと思う。
会社や上司・同僚・お世話になった方々には感謝しかない。
その感謝を、仕事でお返ししたい。
文中にも書いたが、私の休職は3年と数ヶ月いただいている。
これから3ヶ月後に復職する。長い間、お休みをいただいた。
私は、まだ30代だ。
仕事の定年退職が60代だとだすると、まだ20年以上もある。
私が働き始めて、たった10年も超えない時に仕事ができなくなった。
数字は、脳障害で相当に苦手になってしまったが、その年数くらいは分かる。
つまり、私が働ける時間はこれまでの2倍以上ある。
自分が入社してからの10年間を思い出すと、沢山の経験をさせていただいた。
できなくなったことは山ほどある。
今のこの状態の私が、この会社に入社することは絶対に無理だ。
だからこそ、この状態になったことを踏まえた成果を、会社で作っていきたい。
こうしてブログで会社への復職を書いていることも、今後の自分の目標を考える良い時間だと思う。
これを書けなかったら、もっと煮え切らない気持ちで復職を迎えることになっただろう。
脳の障害で考えられる量は減ったのだから、その分考える時間を自分で作らなければならない。
失語症や高次脳機能障害になって色々なことが考えられなくなったが、じっくりとできることを増やして、会社に恩返ししたいと思う。
復職まで、いよいよ3ヶ月。
落ち着いて進んでいきたいと思う。