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コツ部。

東日本大震災からの復興に向けた
超個人的な細々とした活動を、小さなことからコツコツと。

瓦礫受け入れについてのニュースが最近はよく聞かれます。

大半の家屋が瓦礫と化してしまった女川町において、瓦礫は本当に深刻な問題で。
もともとリアス式海岸で平地が少ないために、震災前には住宅街であった、津波で流された地域に、瓦礫はうずたかく積まれています。
そこに家があった人達はたまらない気持ちになります。
でも町のゴミの115年分と言われる量の瓦礫を、町だけで処理することは難しく。
そんな状態の市町村を多く抱える県でも、なおのこと、です。

あの風景を見る度に、せめて早く瓦礫を片付けたいと思います。


女川町の瓦礫は数値としても安全なのですが、
目に見えない以上、それを信頼するかどうかは人によって違うとは思います。

放射能の問題がある以上、反対したい気持ちはわかります。
農家を営む方、小さい子供を抱える方、特に気にされると思います。
痛みを分け合う、絆だ、などと言われても、
皆、遠くの被災者よりも身近な人や自分を守りたいと思うのは無理ないと思います。

ただ、映像で、反対している様子を見ると、辛いものがあります。
受け入れ要請について説明する担当者に「帰れ」コール。
受け入れを表明した市町村の長や公務員に対する脅迫などがあったという事実を聞くと。
これを見た被災地の人はどう思うだろうと思います。
ネットでは、受け入れに賛同した芸能人のツイッターに、反対意見だけでなくその人を誹謗中傷する書き込みが多数あったというのも聞きました。

私は家族が被災したので、震災にまつわる問題を客観視することができません。
どうしても被災側の気持ちになるので、フラットな視点ではないと思います。
だから瓦礫の受け入れに反対する気持ちはわかるけれど、
被災者の人が観ているかもしれない報道のカメラが入っていても構わずに「帰れ」コールを続けたり、担当者に詰め寄ったりできる感覚も、反対姿勢が他人に対する誹謗中傷や脅迫につながる今の状況も、私に理解するのは難しいです。

反対する気持ちを否定するつもりはないし、本当に反対したい人はある程度強い姿勢に出なくてはと思うのかもしれないけれど、それと他人を傷つけるのは別のことではないかと思うのです。
3.11を迎えました。

今日この日は、静かにテレビで映る被災地を観て、過ごそうと思います。

今日が日曜日でよかったと思いました。
今日、あの地震の時間や津波が襲ったであろう時間、仕事をしていたくないというか、会社の人達には会っていたくなかったので。
それに休日なら、その時間を、自分の思う通りに過ごせるので。

あの日。
私は地震の直後、電話で母と会話をしました。
母は働いていた店に1人でいたので「怖かった」と言い、「お父さんは?」との私の問いに
「配達に行っていて居ない」と答えました。
そのまま立て続けに「大津波警報が出てるから逃げるから、後でまたかけるから」と言って電話は切れました。

そのまま携帯は繋がらなくなり、テレビでは各地を津波が襲う様子が流れ続け、若林区や名取市の田園地帯を止め処なく流れていく波を観た時には、それ以上映像を観続けることは無理だと思ったことを憶えています。
店のそばで、足の悪い伯母が働いていました。母が伯母を置いて逃げるはずはありません。
父が配達中だったということがずっと引っ掛かっていて、父が間に合わなかったら母は伯母を連れて歩いて避難できただろうか、父はどの辺りを配達していたのだろうかということばかり考えていました。

兄とはその日の夜中に連絡がつきましたが、結局両親や伯母の無事が確認できたのは震災から5日後でした。
兄の友人が実家に立ち寄ってくれて、無事を確認してきてくれました。
配達中だった父が駆けつけ、店から母や伯母を連れ出して高台の実家に避難していました。

あの数日間を思い出すと、その時感じていた絶望感や焦燥感、悲しさや苦しさを同時に思い出します。
思い出すのはキツイことですが、思い出すことが、今日すべきことだと思います。


先程、NHKのドキュメンタリーに女川町が出ていました。
震災の日を町民の証言を元に振り返るというもので、女川が震災前どんな町だったかを紹介した後、津波の映像や、現在の女川の風景を元に証言を聞いていくというもの。

長い歴史の中で、かつては捕鯨や遠洋漁業で栄えた町であったこと、捕鯨ができなくなり漁業水域の設置などで徐々に衰退した町が原発の設置を受け入れたこと、それでも人口は減り続けていたことなど、とても詳しく町のことを語っていました。
水産業が町にとってどれほど重要なものであるか、海からどれほどの恩恵を受け生きてきたのか、その海から今回どれほどの仕打ちを受けたのか、それでもまた海に寄り添う、そうせざるをえない人達。
空撮で町の様子を見るだけでも、海とどれほど寄り添った町であるかは伝わることと思います。

一方で、もう二度と海に寄り添うことはできないと感じる人がいることもまた、確かです。
それほどの出来事であったことを、被災地以外の人にも、今日だけでも、思い出してほしいと思います。
3.11まであとわずかとなり、ドラマやドキュメンタリーが次々と放送されています。

ドラマは被災地以外の人達にあの日のことを感じてもらうには良い材料だと思います。
正直、方言や町の名前など、細かな点に間違いを見つけてちょっとがっかりする部分は否めないんですが、今日の石巻日日新聞のドラマなどは、写真を駆使してあの頃の状況をよく伝えていたと思います。

ドラマと重なる時間、「ガイヤの夜明け」で女川の蒲鉾メーカー高政の1年を振り返っていました。
この会社はこの1年、「壊滅的」と言われた女川町の復興を牽引してきた企業です。
この会社がリスクを背負って採用数を増やしたり新工場を建てたことは知っていましたが、やはりそれは出身者だから掴む情報なので、小さな町の1企業のことはなかなか全国には届きません。
「ガイヤの夜明け」は震災後、度々高政のことを取り上げてきましたが、こうしてテレビで報道されることで、また少し、復興に繋がるのではないかと思います。

高政だけではなく、皆、必死で生活を続けています。
1年経っても、まだ、町の復興が成されるのか、見えない状況は続いています。

「やります。やる。」
と何度も高政の社長が言っていました。

まだ、自分に言い聞かせないと歩めないんだなと感じました。
でも同時に、その短い言葉がとても心強いものでした。

「後ろを振り返ってばっかりはいられない」
うちの父親も言っています。


3月11日、女川町でもイベントがおこなわれます。

「女川町商店街復幸祭」運営支援ボランティア募集のお知らせ
2012年2月22日現在の宮城県の公式発表として。

女川町 死者575名 行方不明者347名。
宮城県全体では、死者9,471名 行方不明者1,754名。

今も、こんなにもたくさんの方が見つかっていないのです。

震災前、2010年の末頃の人口はが1万人弱だった中、女川町内の全半壊家屋は3,000を超えます。
瓦礫の総重量は44万トンに上るそうです。
被災家屋が多く、けれど沿岸地域には住宅を建てられないため、高台の少ない女川町には、異例の3階建ての仮設住宅が建ち並んでいます。

この事実は復興に関心を持っている方々にはよく知られているのかもしれませんが、知らない人が見ることもあるかと思い、載せてみました。
正直、数字にするのは私は嫌なのですが。
数字は数字でしかなく。
その1人、1軒ごとに、関わる人が抱える想いまでは伝わらないから。
被災の状況が、同じ町内でも、向こう三軒両隣でも、それぞれに違い、お互いの状況、交わす言葉にさえ気遣いながら生活していることは、伝わらないから。
なのに被災側の人間には、その数字が重くのしかかるであろうから。

でもやはり、3.11を前にして。
震災の記憶は東京にいると、どれだけ薄れていくものなのかという実感もあります。
震災のことを忘れた人はたぶんいないと思います。
でも、あの日受けた衝撃を忘れた人は、多いと思います。
あの直後、色々な人が、「きっと日本人の考え方そのものが変わる、世の中が変わる」と言っていました。
そのことを憶えている人が、どれだけいるんだろう。
本当に私達の中に、変化が残っているだろうか。
私自身、自分に問いたくなるほど薄れている自分を感じます。
書いていて、まるで誰かを責めているようだけど、単に自分に対していらだっているのかもしれません。

でもまだ、1年経っていない。

だから、数字が一番伝えることができる部分もあると思いました。
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先日行った、気仙沼大使を務める歌手、畠山美由紀さんのライブで購入してきました。
気仙沼で収入を求めるママさん達が手作りしているマクロビオティックに基づいて作られたという商品。
被災者自ら起こした団体によるものです。
3種それぞれのベースはたまねぎ、にんじん、トマト。

今、被災地ではこうした復興支援を目的にした商品はたくさん作られています。
でもそれを知る機会というのは、報道も減少し、少なくなってきています。
正直、私のような被災者の家族という立場の人間が、普段それほど気をつけていない身近な人達に向かって、こうした商品について直接的に宣伝するという行為は、非常に難しいものがあります。
良心に訴えて断れないようなことを強要しているような気持ちになってしまい、上手く伝えることができません。
ここでほそぼそと情報を公開するのも、その罪悪感を補っているに過ぎないのかもしれません。
こうした感情を持つことで、実情を知ってもらう機会を減らしているというのも、あるんだろうとは思うし。

彼女のような立場の著名人が呼び掛けをしてくれることで、自分ができていないことをしてもらえているような感覚があります。
それは私の弱さなのだろうと思うし、褒められた感情ではないでしょう。

著名な人達の呼び掛けには応え、その活動を紹介することは、間違いではないと思うけど。
自分ができていることは本当に少ないと思わざるを得ません。

PEACE JAM
3月11日からのヒカリ
BSジャパン「ミュージックトラベル」