コツ部。

コツ部。

東日本大震災からの復興に向けた
超個人的な細々とした活動を、小さなことからコツコツと。


このページは、東日本大震災発生後、開設しました。

宮城県女川町出身者として、家族が被災しました。
東京にいる自分も何か出来ないかと考え、
本当に細々、少しずつ、
支援につながる活動をしていきたいと考えています。

ここではそんな私の超個人的な小さな活動を
「コツコツ支援活動部=コツ部」の活動として紹介していきます。
「部」と言っても基本的に部員は私1人です。

活動は主に
・東京でのボランティア活動
・女川町に帰った時の様子の紹介
・女川町関連のサイト紹介
といったものです。


支援団体を作って大きな活動をしている方、
現地へ行ってボランティア活動をしている方、
などたくさんいらっしゃいますが、
私の活動はそんな方々には及びもしないものです。

普段は東京で働いていて、
日常生活を普通に送りながら細く長い支援ができるように、
生活の中に溶け込ませることを目指しているので、
それほど目立った活動ではないと思います。

それでも同じように離れた場所でもできることを探している方々にとって、
少しは参考にできるようなページにしていきたいと考えています。
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1年半の節目ということで、また震災を扱った番組が増えてきましたね。

先日は釜石の奇跡について扱ったNHKの番組を観ました。
津波の直撃を受けながらも小中学生の99.8%が生き延びたということで、奇跡と言われているそうです。
釜石小学校については実に全児童が生き延びたと。

当日は小学生達は既に下校していたそうですから、学校にいない中、あの津波の直撃を受けながら全員が無事だったというのはすごいことだと思います。
今や海外でも紹介され、マネジメント論の好例としても取り上げられるのだとか。

番組では、避難を渋る家族(大人)を説得して一緒に避難することで、自分だけでなく家族も救った子や、普段甘えん坊でお母さんにくっついているような男の子が、お母さんはきっと無事だから自分も逃げなきゃ、とてんでんこを実践した話がアニメで再現されながら紹介されました。

周りが逃げない、大丈夫だ、と言っている中で、いや自分は逃げる、ということの難しさはよくわかります。
本当は怖くても、大丈夫、と誰かが言ってくれることでそれにしがみついてしまったり。
たいしたことなかった場合に、自分だけ逃げたことを弱さと感じたり、
「アイツびびったんだ」と言われるような気がしたり。

だからこその3原則。
1.想定にとらわれるな
2.最善を尽くせ
3.とにかくすぐ逃げろ

簡単なようで、実際の場合にはなかなか難しいことだと思います。
だって実際、周りが逃げてるかどうか、きっと確かめると思うし。
周りに合わせようとすると思います。
だからこその3番目の言葉なんだと思います。
これ、ネットで検索かけると「率先避難者たれ」という言葉だったりもします。

誰かが大丈夫と言う言葉にしがみつくように、誰かが「逃げよう」と言ってくれるだけで逃げる選択をするきっかけになることも、あると思います。
だから、そのきっかけに、自らがなりましょうということなんだと思います。
すごく、日本人的な捉え方だと思うけど。

釜石の男の子の家庭では、日頃からバラバラで津波に遭ったらとにかく各自で逃げて、ここで待ち合わせようと決めていたんだとか。
そういうの、大事だなと思います。
うちも、一応あったんだけど。
店が海の目の前で、自宅が山の上だから。
とにかく家に逃げようって。
何十年も前のチリ津波の時に屋上に上がって、そこからの脱出がすごく大変だったとか、すごく昔におばさんに聞いた記憶があります。
あそこまでの津波は誰も予想できなかったけど、たぶんその経験から、うちの家族には建物の上という選択肢はなかったみたい。
でも家もね、車じゃないと逃げられない距離だから。
足の悪いおばさんがいて、父親といとこは配達中、とか状況が本当に恐怖でした。
2人が間に合ってくれなかったらどうなっていたか。

タイミングとか、ちょっとした判断の違いとか、だったんだなと、改めて。
アスベスト。
今日のニュースになってますね。
震災の瓦礫撤去でアスベストによる癌を発症した人が労災認定を受けたとか。
河北新報のニュースでは、石巻で飛散を防ぐ新工法を使って、アスベストを含む被災建物の解体が始まったと出てました。

かくいううちも、父親が仙台に小さなアパートを持っていて、亡くなった伯父のものだったのでもう古くてしょっちゅうあちこち修理してて、家賃より修理代がかかってんじゃないの、でも壊すのもお金かかるしねどうしよう、というシロモノでした。
結果的に震災で一部損壊認定を受け、壊すことになったものの、アスベストが含まれていることがわかり、調査をしてからということで今もそのまま残されています。
だからこのニュースは気になりました。
そういう工法があるのを知って、それならアパートのご近所さんにも迷惑を掛けることはなさそうだという安心もできました。

ただ。
古い建物に残ってるのはもうどうしようもないんだけど、誤解を恐れずに言えば、あぁこれでまた瓦礫受け入れが難しくなるんだろうなぁなんて思います。
東京都に渡している瓦礫も、放射線量の計測はもちろんのこと、ちゃんと仕分けて燃える物に限定しているし、アスベストなんて入ってはいないはずだけど、悪いイメージってどうしても先行するんではないかと。
もうあまりテレビでも言わないけど、時々ぽっとどこやらの市町村が受け入れ拒否やら断念やらというニュースが出てくるので。
今日も、あったし。

何度もここに書いてる気がするけど、拒否されることを責めることはできないと、個人的には思っていて。
やっぱり怖いとか、あると思うし、その気持ちをわからないとは言わないし。
でもかつて自分の家があった場所に積まれた瓦礫の山を横目に生活してる人達が、いるんで、せめてそこに想像力を持って、拒否の仕方は気にしてほしいなと思うし、こんなに拒否されるんだなぁという事実は、やっぱり切ない。

お盆の帰省時の写真は、後日アップします。
NEWS ZERO にて。
倉本聰さんが瓦礫処理についての意見を語られました。
胸に刺さる意見だったと思います。

あの瓦礫は、被災者の思い出である、と。
大切な思いの詰まったものである、と。
そう、なんですよね。

私のパソコンのデスクトップの壁紙は、震災前の女川町の港の風景です。
私の親の店がよく映っているからと、兄が頂いたものを更に私にもくれたもの。
天気の良い日で、海も綺麗な青色で。
うちの店だけでなく町の中心部を一望できるような写真で、思い入れのある場所もたくさん写っていて、とても良い写真です。
そこに建っている家々や走っている車、漁船。
町の人達の生活をなしていた物の全部。
それらが皆、今瓦礫となって町内で山になっています。

ゴールデンウィーク帰省の間、何度か、アメリカに流れ着いた物のニュースが流れました。
ボールやバイク、だったかな。
そんなニュースの折りに思うのは、うちの店は今どこにいるのかな、という思い。
海の目の前だった親の店は、引き波であっという間に海に飲まれていったそうです。
斜めに傾いだまま流されていく店の映像も写真も、しっかり残っていて、見ました。
本当に何もなくなってしまったので、震災から何ヶ月か経ってから某メーカーの自販機が瓦礫の中にあったんだけど、おたくのお店で置いていた自販機じゃない?というお話をいただいた時には、見つかったからと言って流されてべこべこの自販機がどうなるわけでもないのに、うちのだったら嬉しいなんて思いました。
結局処分された後だったのでわからずじまいですが。

そういう思いの詰まった物なので、あまり強い姿勢で否定されることは、確かに悲しいことです。
だから被災地の外にいる倉本さんの今日の意見は、有り難いなと思います。
全員にそんな風に考えてもらえることは難しいとは思うけど。
1つの意見としては。

宮脇先生がまた出ておられて、倉本さんも賛同されて瓦礫を活用した植樹のプロジェクトは進んでいるようで、それも嬉しいことですね。
もう今日のことですが。

港区高輪区民センターにて、第2回東日本大震災チャリティーコンサートがおこなわれています。
女川町民の方も来て、物産の販売はもちろん、トークショーなどもされます。
入場無料で18:30まで1日中やってます。
たくさんの音楽も聴けて、楽しめると思います。
お近くの方、是非行かれてみてはどうでしょう。

美味しい物がたくさん販売されると思いますよ。

東北被災地応援団 白金支部
宮城でも開催されることになったようです。

会場:セキスイハイムスーパーアリーナ(グランディ・21)

日時:2012/06/24(日) 13:00開場 14:00開演

招待制で入場無料。
招待の対象は宮城県内の小・中学生ならびに保護者(20歳以上)1名です。
応募は往復はがきでのみ受け付けるようです。

場所が場所だけに、複雑な思いの方もいらっしゃるでしょうが。
そういうところも汲んでの開催だと思っています。

普段見過ごしている小さなことに気付くだけで、つまらないと思っていた毎日がちょっと違って見えるよ、というもの。
小・中学生に伝わりやすい言葉で、そんな「日々是気付」の校訓に倣った素敵な授業がおこなわれるものと思います。


嵐のワクワク学校2012 ~毎日がもっと輝く課外授業~ 宮城公演