1年半の節目ということで、また震災を扱った番組が増えてきましたね。
先日は釜石の奇跡について扱ったNHKの番組を観ました。
津波の直撃を受けながらも小中学生の99.8%が生き延びたということで、奇跡と言われているそうです。
釜石小学校については実に全児童が生き延びたと。
当日は小学生達は既に下校していたそうですから、学校にいない中、あの津波の直撃を受けながら全員が無事だったというのはすごいことだと思います。
今や海外でも紹介され、マネジメント論の好例としても取り上げられるのだとか。
番組では、避難を渋る家族(大人)を説得して一緒に避難することで、自分だけでなく家族も救った子や、普段甘えん坊でお母さんにくっついているような男の子が、お母さんはきっと無事だから自分も逃げなきゃ、とてんでんこを実践した話がアニメで再現されながら紹介されました。
周りが逃げない、大丈夫だ、と言っている中で、いや自分は逃げる、ということの難しさはよくわかります。
本当は怖くても、大丈夫、と誰かが言ってくれることでそれにしがみついてしまったり。
たいしたことなかった場合に、自分だけ逃げたことを弱さと感じたり、
「アイツびびったんだ」と言われるような気がしたり。
だからこその3原則。
1.想定にとらわれるな
2.最善を尽くせ
3.とにかくすぐ逃げろ
簡単なようで、実際の場合にはなかなか難しいことだと思います。
だって実際、周りが逃げてるかどうか、きっと確かめると思うし。
周りに合わせようとすると思います。
だからこその3番目の言葉なんだと思います。
これ、ネットで検索かけると「率先避難者たれ」という言葉だったりもします。
誰かが大丈夫と言う言葉にしがみつくように、誰かが「逃げよう」と言ってくれるだけで逃げる選択をするきっかけになることも、あると思います。
だから、そのきっかけに、自らがなりましょうということなんだと思います。
すごく、日本人的な捉え方だと思うけど。
釜石の男の子の家庭では、日頃からバラバラで津波に遭ったらとにかく各自で逃げて、ここで待ち合わせようと決めていたんだとか。
そういうの、大事だなと思います。
うちも、一応あったんだけど。
店が海の目の前で、自宅が山の上だから。
とにかく家に逃げようって。
何十年も前のチリ津波の時に屋上に上がって、そこからの脱出がすごく大変だったとか、すごく昔におばさんに聞いた記憶があります。
あそこまでの津波は誰も予想できなかったけど、たぶんその経験から、うちの家族には建物の上という選択肢はなかったみたい。
でも家もね、車じゃないと逃げられない距離だから。
足の悪いおばさんがいて、父親といとこは配達中、とか状況が本当に恐怖でした。
2人が間に合ってくれなかったらどうなっていたか。
タイミングとか、ちょっとした判断の違いとか、だったんだなと、改めて。
このページは、東日本大震災発生後、開設しました。
宮城県女川町出身者として、家族が被災しました。
東京にいる自分も何か出来ないかと考え、
本当に細々、少しずつ、
支援につながる活動をしていきたいと考えています。
ここではそんな私の超個人的な小さな活動を
「コツコツ支援活動部=コツ部」の活動として紹介していきます。
「部」と言っても基本的に部員は私1人です。
活動は主に
・東京でのボランティア活動
・女川町に帰った時の様子の紹介
・女川町関連のサイト紹介
といったものです。
支援団体を作って大きな活動をしている方、
現地へ行ってボランティア活動をしている方、
などたくさんいらっしゃいますが、
私の活動はそんな方々には及びもしないものです。
普段は東京で働いていて、
日常生活を普通に送りながら細く長い支援ができるように、
生活の中に溶け込ませることを目指しているので、
それほど目立った活動ではないと思います。
それでも同じように離れた場所でもできることを探している方々にとって、
少しは参考にできるようなページにしていきたいと考えています。
