市民総合体育館での修行は休み。

午前中に地元の柏原公民館で会議が予定されていたので、その前にガソリンスタンドに寄って、ガソリンを入れた。

前回入れた時より、少しは安くなっていて、リッター160円を切っていた。ありがたい。



公民館での会議は、公民館事業運営委員会というもの。

広義的には、公民館の事業に関して、その運営内容に提言などを行なうのだが、僕の場合は公民館を事務局とする地元の青少年育成団体にボランティアとして属していて、公民館との共催事業がほとんどなので、地域にどのような協力が出来るかを考える機会でもあるのが、この公民館事業運営委員会だ。



柏原公民館に隣接して柏原小学校があり、桜の樹の下に校庭の脇には二宮金次郎像がある。

すっかり葉桜になった緑の葉陰で、金次郎も涼しげにしていた。


コロナ禍の中、過去二年間は公民館事業も地域の活動もほとんどが中止になったが、今年はどのくらい事業の再開が出来るのか、思案しながらの今日の散歩、4.7km。



昨夜読み終えた本『誰でもよかった』(五十嵐貴久著)は、無差別テロを起こす男の話。

タイトルの〝誰でもよかった〟は、《誰でもいいから殺したかった》との犯人の気持ちとともに、物語の終盤で別な意味を読書に示してくれる。



改めて自分の地域での活動を数えてみたら、二十年以上になっていた。

地域活動は基本的にボランティアであり、誰でもが参加出来るし、途中でやめても誰からも文句を言われる筋合いはない。

僕は参加している団体の会長にはなっているが、それこそ誰が会長であっても、業務の進行にはさほど影響はないのだけれど、誰かがやらなければならないのなら、まあ僕でいいならと引き受けている次第だ。



二宮金次郎は仏像ではないが、地域内には幾つかのお寺があり、小さな仏像も祀られている。

道端には道祖神や馬頭観音の石碑が、さりげなく置かれていたりもする。



仏様の像みたいに、拝まれるような存在にはなれるわけもないが、道端で通り過ぎる人たちを見ていたり、その足音を聞いていられるような野っ原の石くらいには、なりたいものだ。