家族やペットちゃんが亡くなる時、”死に目に会える″″死に目に会えない″という話しがよく聞かれると思いますが、私は親もペットも亡くしていて、″会える、会えない”はどちらも経験があります。




どちらがいいとか悪いとかはなくて、実は旅立つ側の思いやりが関係していることがあります。




私の経験でいうと、私の気持ちとしては「どうしても親を看取りたい!」という思いが強くありました。
それは何故かというと、親との縁は全ての転生を含め、これで最後だと直感的に感じていたし、私の中でお別れをする覚悟(心の準備)ができていたからです。
だから、最期を看取りたかった。
なので、一人娘だった私は親が危篤状態の時も色々とやらなければならないことがあり、あっちに行ったりこっちに行ったりバタバタ走り回っていたのですが、結果、ちゃんと最期を看取ることができました。



しかし、愛犬は看取っていません。
私の思いとしては、変な話し世界中の何よりも誰よりも愛犬のことを1番愛していたので、愛犬がこの先長くないと解っていても、愛犬の死を受け入れることができませんでした。
愛犬の死に対する恐れが極端にあったのです。




そんな中、愛犬の最期を病院ではなく自宅で迎えることを選択しました。
一人暮らしをしていたのでどうしても外に出なければならない用事があり、本当は外出したくなかったけれど容態も安定していたため一瞬だけ外出したのですが、自宅に帰ると愛犬は亡くなっていました。。。




その状況を見た時、私は涙が出るよりも先に直感的に「愛犬が私のことを思って死ぬ姿を見せなかったのだ」と思いました。




死に目に会うということは、ある意味その状況を受け入れざるを得ないことにもなるので、愛犬の死を否定していた当時の私がその状況を見ていたら、きっと精神も崩壊していただろうし、大きなトラウマになっていたと思います。




だから今でも愛犬との最期はあれで良かったと思っています。




私の件に限らず、旅立つ側の人(動物)たちは残していく家族や大切な人のことを考えて、傷つけないように、ひっそりと旅立つということは皆さんが思っているよりも相当数あります。




なので、死に目に会う会わないは向こうの思いやりが関係している場合があるので、もしそういったことで心残りがあったり傷ついたりしているのであれば、「もしかして、繊細な私の性格を心配してくれたのかな?」「思いやりかな?」という考え方をしてみてくださいね。




旅立つ側の人(動物)は、最期まであなたのことを考えてくれているんですよ。。。





Ryoco.