理解しない
おもさんです^^
何かを学ぶ時に、常に理解したがる自分がいる。
この自分自身をどうするか?というのが最も何かを学ぶ上で越えるべき壁である。
というのも、理解したところでどうにかなるわけではないからだ。
特にそれは師弟関係では明らかだ。
師匠の言う言葉を、なぜ今の自分が理解できるのだろうか。
理解したところで、同じことが出来ると思っているのだろうか。
もちろん、知識を増やす目的であればそれで良いかもしれない。
色んな世界があるということを知るという上では何も問題はない。
だが、結局知ったところで何も分かっていない、出来ないのだ。
最近では『分かった』という自分が出てきたら戒めることにしている。おそらく『知った』だけなのだろう。
結局は何を目指すか、何がしたいかというところに始まり、そこに終わる。
意味や理由なんて全て後付けなのである。
おそらく「理解したい」の背景には、意味を求める自分自身がいるのだろう。
そこに気づき、現状を打破しようと試みた時に、出口のない闇から、出口は見えるがとてつもない迷路へと足を踏み入れる。
自分自身の経験を通して、そのように感じる次第である。
それでは。
何かを学ぶ時に、常に理解したがる自分がいる。
この自分自身をどうするか?というのが最も何かを学ぶ上で越えるべき壁である。
というのも、理解したところでどうにかなるわけではないからだ。
特にそれは師弟関係では明らかだ。
師匠の言う言葉を、なぜ今の自分が理解できるのだろうか。
理解したところで、同じことが出来ると思っているのだろうか。
もちろん、知識を増やす目的であればそれで良いかもしれない。
色んな世界があるということを知るという上では何も問題はない。
だが、結局知ったところで何も分かっていない、出来ないのだ。
最近では『分かった』という自分が出てきたら戒めることにしている。おそらく『知った』だけなのだろう。
結局は何を目指すか、何がしたいかというところに始まり、そこに終わる。
意味や理由なんて全て後付けなのである。
おそらく「理解したい」の背景には、意味を求める自分自身がいるのだろう。
そこに気づき、現状を打破しようと試みた時に、出口のない闇から、出口は見えるがとてつもない迷路へと足を踏み入れる。
自分自身の経験を通して、そのように感じる次第である。
それでは。