確か。昨年の今日、1月12日
余命宣告をされた日だ。

検査の結果はいつも息子と2人で聞いていたのにこの日は違った。

また、涙が止まらなくなる。

7年前に戻ってブログの続きを書こうっと。

3月から野球漬けになった⚾️
あんなに速かったのにあまり走れず、でもピッチングの練習は出来た。

夏の大会ではなんとかメンバー入りしたいと頑張っていた。

まだ、定期的に通院はしているが先生はどう思っていたのだろうか…

先生の説明では抗がん剤の治療で完全寛解したら80%は完治するとの事だったので、当然その80%に入ると思ってた。

息子も私も完全に治ったものだと思い込んでいた。
旦那だけは違ったけど…

野球部の部員は100名以上、3年だけでも53名。

毎週、練習試合の度に色んな学校へ行ったけど殆ど試合に出ることはなく、いつも5回になったらグラウンド整備のためにトンボを持って一斉にみんなでグラウンドへ飛び出す。
まるで蜘蛛の子を散らすかのように。

その数十人の中で我が子を探すのに一生懸命。

今日はホースで水撒きの係やったわ。
とか
今日はトンボやったわ。
とか
親同士でそんな事で話に花が咲く。

メンバー以外の親はそんな事に楽しみを見出していた。

それでも諦めずにやってたな照れ

春の私学大会に少し出ることが出来た。

みんな喜んでくれたおねがいおねがい

元気になって良かったねおねがいおねがい

頑張ったね❣️
って。
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レギュラーを諦めて大学進学に切り替えた仲間もいる中、一年間野球をやってなかった諦めきれない思いが息子を突き動かしていた。

そして、夏のメンバー発表の日、私もドキドキしながら家で待っていた。

泣きそうな顔をして帰ってきた息子を見て全てを悟った。

何も言葉をかける事が出来なくてその夜私も泣いた。

3年間必死でやってきても難しいのに1年もブランクがある息子が到底選ばれるはずもなく、実力的にも当然といえば当然なんだけど…

1年で、野球部に入った頃、外野を考えていた息子に外野のグローブを買った翌日に、監督からピッチャーで頑張れ!
と、言われて
「えー!  また6万円も出してピッチャー用のグローブ買わないとあかんの?」

お金的には困ったけど、なんか認められた気がした嬉しかった。

でも、全然ダメだったんかなー照れ

今から考えると全然下手くそだったんやろーなー。

息子は、亡くなる前に人生で最も辛くて悔しかった事がメンバーに選ばれなかった事だと言っていた。

もっと野球を思い切りやりたかったんだと思う。