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典型的な例では、自分の体には外見上大きな欠点があると思い込み、毎日何時間も思い悩みますが、そのような「欠点」は体の様々な部分にみられます。
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外見に対する懸念が重大な苦痛を引き起こすか、日常生活に支障をきたしている場合に、醜形恐怖症と診断されます。
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特定の抗うつ薬(選択的セロトニン再取り込み阻害薬やクロミプラミン)と認知行動療法が、しばしば治療に役に立ちます。
醜形恐怖症の人は、実際には欠点はまったくないか、ささいなものであるにもかかわらず、自分の外見には大きな欠点があると信じ込んでいます。外見にとらわれるあまり、特定の行動(鏡で自分の姿を確認する、過剰に身づくろいをする、自分と他者を比べるなど)を繰り返し行います。
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より抜粋
私も若いころ、醜形恐怖症でした。色々外見に残念な部分があり、人から笑われている、嫌われていると思い込み、引っ込み思案になっていました。そうなった経緯は色々あるのですが、ここでは伏せます。
それから、時は過ぎ、出会いがあって結婚しました。子供にとっては私は唯一のお母さんです。
「お母さん、大好き。」
母の日にはカーネーションや絵などのプレゼント。
子供によって癒されたのか夫の言葉で癒されたのかはわかりませんが、醜さは気にならなくなりました。
夫はカッコいい人ではありません。私も、美人ではありません。それでは何故結婚できたのでしょう。
きっかけは社会人バレーボールに人数が足りないからと強引に入れられたことでした。
私は体育全般苦手で学生時代は一度もサーブが入ったことがありませんでした。視線が集中すると異常に緊張するから、いつも失敗して、そして冷たい目でみられる、だから緊張するという悪循環でした。
でも、この時は夫が「俺がカバーするから心配しなくていいよ。」ほかのメンバーには「この子はバレーボール苦手ですから失敗しても責めないでください」と言ってくれて、リラックスできました。「息を吸って、こういう風にしたら遠くに飛ぶよね。」と冷静に考えられて、そうしたら、サーブが何本も決まって、チームに貢献できたんですね。
打ち上げの飲み会で、話をしていたら、偶然好きな小説が同じで話が弾みました。焼肉に行く約束をして自然に付き合いが始まりました。
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その人を構成する要素の中で顔なんていうのはホンの数パーセントにしかすぎません。
明るい人なのか暗い人なのか
何が得意なのか、どんなドラマや本や映画が好きか
仕事に対する姿勢や考え方
人が困っているとき助けてあげたいと思う人なのか否か
etc,etc・・・
過去の出来事から培われた沢山の要素があって、一人の人間を構成しています。
沢山の人がいて、一人ひとりが意見も中身も全く違う。沢山の人が構成する社会の中で、
偶然によって心の触れ合いがあって、一緒にいて楽しいから、気が合うから、大切にしてくれるから、
究極は孤独を癒したいから人は人を好きになるのかなって思いました。
誰にも欠点なんてあって当たり前で、ひとつも欠点のない人はいません。
職場で、同僚の顔の良しあしを気にしている人はそんなにいないと思います。
気にしているのはみんながそれぞれちゃんと仕事をこなしてくれて、力を合わせて一つの会社の運営をして行ける事じゃないでしょうか。
実は一番、自分の外見にダメ出しをしているのは他人ではなく自分自身なんです。
「こうでありたい、こうであらねば愛されない、好かれない」と思い込んでいるのは。
ありのままの自分を、良い部分も悪い部分も受け入れる方がファーストステップです。
それから、明らかに人から嫌われる、人に迷惑を掛ける部分を直していくのが、次のステップです。
ゆっくりでいいんですよ。
昨日より今日、少しづつ良い方に歩んでいければ。