ある精神疾患の方がいた
小さなイラストの依頼を受けたがどうしても難しくて「逃げては駄目ですか?」と聞かれた
「逃げる」ということはもうその人の中では決まっていたので相談ですらない
精神科の先生だったら「精神病むくらいなら逃げていいですよ」って言うんだろうな
うん、うつ病になるくらいなら逃げたらいいよ
ただ「逃げた」っていう事実がひとつ積みあがるだけで。
自分の子供だったら
「逃げるな、踏ん張れ」というかもしれない
(勿論実力でできる範囲ならという但し書き付きである。相手がブラック企業で、毎日深夜残業を強要されるとかなら逃げろというだろう)
逃げて逃げて、逃げ続けていけばついにはいくところがなくなるからだ。
そういうことになると、精神的にも辛いと思うので人より時間はかかっていいから成功体験を積み上げることができればいいのになって思う
私は自分の息子(発達障害)には
「おとうさんとおかあさんは先に死ぬからね、その先は一人で生きていかなくてはいけないんだよ。だから、何か得意なことを一つ見つけて、ちゃんと働きなさいね」と言っている。(私たちが一生経済的に面倒を見ることはできない。)
それは我が子を思うからこそ言うのである。
社会に出れば叱られることもあり思い通りいかないことや辛い事に沢山出会うと思う。
でもそれらから逃げないで自分の居場所は自分で見つけて欲しいと願う。
私の夫も発達障害があるらしい。(と私の主治医は言う)
でも、継続して働くことができている
辛いことはたくさんあった
同僚と上手くいかなかったり、上司に殴られたり、研究の成果を同僚に盗まれたり
様々なことがあった
それでも逃げなかったから今がある
逃げてもいいがその結果は自分で受け取るしかない
正社員で働こうと思ったら苦手なことでも嫌なことでもやらなければならない時がある
それこそ理不尽なことなんか沢山ある(努力すれば報われるかというと必ずしもそうではない)
それを受け止め踏ん張るか逃げるか
精神障害があっても働ける人と働けない人の境はそこにあるんだろうと思う
もし、どうしても働けなければ日本は福祉国家だから「生活保護」というセーフティネットが残されている。
しかし親ならばできれば経済的にも精神的にも自立して生きていってほしいと願う。なぜならば「生活保護」には自由がない。今当たり前のように使っているパソコンもスマホも、生活保護費で買える範囲でなければ許されなくなる可能性がある。車だって持てないし自由に旅行もできないだろう。美味しいものも食べれない。好きな人と結婚もできない。
自由には代償が必要なのである。
逃げて得るもの 一時の安堵・他者の失望
逃げて失うもの 信用
自分の居場所や生きていくすべは自分で見つけるものだ
それは時に辛く、時に美しく楽しい。
その過程を「人生」という。
自分の人生を自分でからっぽなものにしてはいけない。
自分の人生をどう生きるかは自分の責任。障害にぶち当たるのは当たり前のことで、上手くいかないことを他者の責任にしてはいけない。