古墳巡りシリーズ:古代最強の豪族・蘇我馬子が眠る石舞台古墳(奈良県明日香村) | 食事処 御来欧音おらいおーね(福岡県筑紫野市阿志岐1521‐1/ゼロ戦/鉄道模型/ガンプラ)
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お出かけできないゆえの、お出かけ記事。
今回の石舞台古墳は4年前の訪問です・・・・。
 
飛鳥寺を発った私たちは、飛鳥寺を創建した蘇我馬子の墓、石舞台古墳に
向かいました。
飛鳥の旅は、法隆寺で乗り込んだタクシーから、明日香の地元のタクシーに
乗り換えての訪問です。
 
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石舞台という名称から、頭頂部の巨石が古墳だと思ってしまいそうですが、
実際には周囲を濠に囲まれた巨大な方墳であり、巨石は横穴式石室が
露出したものなんですね。
 
蘇我馬子は飛鳥時代の豪族・政治家であり、聖徳太子の大叔父・義父でも
あります。元来、渡来人の家系である蘇我氏は外交や経済を担当し、仏教伝来
の折には家を清めて我が国初の尼寺を創ったとされます。
馬子の時代になると、保守派である物部守屋との間で権力闘争・嵩仏論争が
激化し、用明天皇(聖徳太子の父君)が崩御すると、泊瀬部皇子(後の崇峻天皇)
を擁する馬子が物部守屋を朝廷から追放、遂に物部氏を攻め滅ぼしました。
その後は結果的に対立した崇峻天皇を暗殺し、姪に当たる推古天皇の即位を画策
し、ここに推古天皇・聖徳太子・馬子の事実上の三頭政治の時代が始まります。
その一方で、飛鳥寺(法興寺)や四天王寺などの寺院の創建に手を尽くし、
仏教の興隆を図ると共に、聖徳太子と歴史書「天皇記」「国記」の編纂に
あたったといいます。蘇我氏が滅んだのは馬子の死の20年後でした。
 
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まさに、石舞台の名が相応しい石室の巨石!
 
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濠の脇に見えるのは石棺でしょうか・・・?
 
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こんなに大きいんです!
 
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今度は石室の内部へ・・・・。
 
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見よ、この巨大な石室の内部を!!!
G先輩、初めての石舞台古墳、どうですか~!?
 
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おごれる平氏も久しからず、という名言がありますが、おごれる蘇我氏も、また
久しからず。