聖賢、四書五経の心をかがみとして、
我が心を正しくするは、
始終ことごとく心のうえの学なれば、
心学とも云うなり。
中江藤樹の『翁問答』の言葉です。「心学」というと、石田梅岩が提唱したいわゆる「石門心学」を思い浮かべる方が多いと思います。貞亨(じょうきょう)2年(1685)に農家に生まれた石田梅岩は、京都の商家で働きながら神道、儒教、仏教、老荘思想を広く学び、塾を開きました。その教えは町人を中心とした庶民に広がり、石門心学と言われるようになりました。
石田梅岩が生まれたのは、中江藤樹の高弟である淵岡山が亡くなる約一年前ですから、近江を中心に京都にも中江藤樹の思想がかなり広まっており、陽明学を奉じる人も少なくなかったと思われます。また、陽明学研究者の高瀬武次郎博士は、『改訂 日本之陽明学』の中で石田梅岩やその弟子の手島堵庵も紹介しています。因みに石田梅岩自身は、「心学」という言葉を一度も用いていないそうです。
◆徒然日記
「心学」という考え方は、儒教だけではなく、仏教にも道教にもあります。仏教の心学は、万人に仏性が宿るという万人仏性論を基礎理論とし、道教では、万人元気論を基礎としています。朱子学や陽明学の心学では、万人性善説を基礎としており、特に陽明心学では、万人に良知があるという考え方が基本骨子となっています。
しかし、陽明学者とも称される佐藤一斎は、「心学」(陽明学左派の心学や石門心学)には、否定的だったようです。「世に一種の心学というものがあるが、小人や女子が学ぶ分には多少の益がないこともない。しかし、世俗の俗物で、武士がこれを学べば却って、通俗に流されて義気を失うので、武士が学ぶものではない」と述べています。
佐藤一斎は、武士を教育する立場にあったのでのこの様な発言になったと思うのですが、普通の町人や庶民にわかり易く「心学」の教えを説いた中江藤樹、淵岡山、石田梅岩などが社会に及ぼした影響も決して小さくなかったのではないかと思います。
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