ナムジュンが無事に帰国の途に着き、全員が韓国へ戻ったというのに、まだラスベガスのことを書きたいと思います。(毎度毎度周回遅れで)
テヒョンが行ったLadiesとGentlemenのloud対決。
このことについて。
誤解を生じやすいことなので正直躊躇しないでもないですが、せっかくの良い機会なので進めたいと思います。(7人にはいつも本当に考えさせられることが多くて。こういう考える機会をくれてありがたいなぁ)
ジェンダー問題は簡単に一括りには出来ません。
なぜならトピックはひとつではないこと、多岐に渡りまた複雑なので、今回はこのテヒョンの発言にのみフォーカスして私の想いを書こうと思います。
「Ladies,make some noise!!!」
「Gentlemen,make some noise!!!!!!」
今回の発言だけを見れば、明らかにテヒョンは男性と女性にしか分けていません。
昨今はこの「Ladies and Gentlemen」のアナウンスの廃止も進んでいますね。
日本でも機内アナウンスが「all passengers」に変更になったのは記憶に新しいですし、進んでいるとされる一部の国などでは、性別の欄がなくなったり、またはどちらでもないという項目があったり、He、Sheなどの三人称ではなく元々は複数形であったTheyを単数としても使うようになったりなど、世界では性別を特定しないような配慮が拡がっているのが現状です。
日本はきっとまだまだなのでしょうが、少しずつオールジェンダーのものが増えているようにも思えます。
様々なマイノリティーの人たちへの理解と配慮を進め、すべての人が暮らしやすい世界にしようという流れの中で、私たちも日々学び気をつけなければいけないですし、特に公の舞台で活動する多くの人が発言に気をつけていると思います。
そんな中でのテヒョンの発言。
皆さんはどうお感じになりましたか?
私はBTSが好きです。
テヒョンが好きです。
だからと言ってダメなものはダメだし、今までも私の理念や思想とは合わないものは合わないと言ってきました。
今回の件については、批判の声は上がるかもしれないなぁとは思いながらも、私自身は違和感は感じませんでした。
そう思う理由とこういったジェンダー問題や差別について思う事を、いわゆるシスジェンダー(身体的性別と性自認が同じ)の私が書いてみようと思います。
これは今の私が思う事であって、この先気持ちが変わるかもしれませんし、これが正解でもないしだからといって不正解でもなく、誰かにこの意見を押し付けようとも思っていない、単なる個人の感想だということは先にお伝えしておきたいと思います。
今回の件で、テヒョンや彼らが批判の対象になったとしてもおかしくないとは思います。
なぜならウクライナ情勢の時にも書いた通り、彼らはそれだけの立場にいるし、それだけの発言を今までもしてきたからです。
昨今の彼らは多様性を大切にして、ジェンダー問題や差別問題についても多く発言し、国連ではSDGsについての講演もしました。
だからって彼らは完璧ではないし、それを彼らに求めるもの酷な話ではありますが、でも本当にこういう発言には気をつけなければならない立場になってしまったのです。
本人たちの希望かどうは別として、自ら手を挙げたのですから。
本人たちもきちんと勉強はしていると思います。
でも周囲の見る目や期待感はそれを上回っていてもおかしくありません。
世界に影響力のある青年たちとして、求められるものは大きくなっていると思います。
あれだけの観客がいたら相当数にトランスジェンダーの人がいてもおかしくないし、ジェンダーについて悩みを抱えている人がいてもおかしくないと思います。
男か?女か?しか選択肢がなかったこのテヒョンの呼び掛けで、傷ついた人がいるかもしれません。
オンラインで観た人の中にも同じような気持ちになった人もいたかもしれないです。
だからわざわざあんな質問をする必要はなかったかもしれないし、するとしたらもっと配慮すべきだったというのは正論だと思います。
コンサートのような閉鎖された場所ではなく、公の場で言ったらもしかしたらもっと大きな問題になっていたかもしれないくらいの世界が注目しているトピックスです。
だからこの問題は「悪気はなかったのだからしょうがない」で済ましてはいけないことであることは確かです。
なので私の思いにも批判があることもわかった上で敢えて言います。
私個人的な想いとしては、彼らの気持ちがわかります。
テヒョンの呼びかけに応え男性の声があれだけこだました会場で「こんな日がくるなんて」と呟いたナムジュン。
彼らは、女子供にだけ人気があると言われてきたグループです。
いまだにそう思われていると思います。(パパ餅もそんなニュアンスで投稿し大炎上でしたよね)
アイドルという特性上当然中心はそうであると思いますし、それで良いと思うのですが、そんな彼らが同性から応援されることの嬉しさは理解できるのではないでしょうか。
それが自身のセクシャリティやジェンダーに悩んでいる人であっても。
そして思うのです。
テヒョンが「男か女か」の選択肢しか与えなかったからといって、そのどちらにも当てはまらない人や悩みを抱えている人たちのことを愛していないということにはならないのではないか、と。
私は昨今のこういった問題の時にいつも感じる違和感はこれです。
配慮は必要であったかもしれません。
彼は「男か?女か?」という質問をしたことでその「どちらでもない人」を浮き彫りにして悲しい思いをさせてしまったかもしれません。
でも「Ladies」 や「Gentlemen」という言葉を使用することはそれ以外の人を排除するということではありません。
そして男女で分けたからといって、どちらかを優勢だと決めたわけでもないし、それのどちらにも入らない人を排除したわけでもないし、下に見ているわけでもないのではないでしょうか。
なのに性別を特定するような言葉を使う人はすべて勉強不足で、ジェンダー差別者にされてしまうというのは、私にとっては考えさせられる事です。
その人のある一言のみでその人すべてを決めてしまう事、言葉だけにあまりに大きな意味を持たせてしまう事、はとても危ない風潮だと思います。
そしてその結果、言葉だけに気をつければいい、というのもまた事の本質を外しているように思います。
差別を生むような、批判のタネになりそうな言葉さえ使わなければそれでいい、という方向に向かっているようで怖いです。
そして顔の見えないネット社会が当たり前になって、この「言葉」だけが切り取られて、
「いつどんな時に、どんな人が、誰に対して、どんな文脈で、どんな思いで」発したか、がすっぽり抜けて落ちているように思います。
その人のパーソナリティは無視されているような。
テヒョンはもしかしたら何にも考えていないだけかもしれません。
でも私はそうじゃないと思うんですよね。
テヒョンという人を、あるいはBTSというグループを知っていればわかることがあります。
ステージ上から、あるいはトロッコから見える景色の中に、今まで以上に男性の姿を発見出来て単純に嬉しかったのではないでしょうか。
そして女性で埋め尽くされているあの会場内で、きっと肩身の狭い思いをしている男性陣に、スポットライトを当ててあげたかっただけなのではないかと私は勝手に思っています。
これから私たちは差別がない世界を目指すべきですし、すべての人が辛い思いをせずに生きていけるような社会にする努力は止めてはいけませんが、その努力が苦しいものであっては続かないと思います。
それに囚われがんじがらめになり、「嬉しい」や「幸せだ」というようなポジティブで素直な思いを表現出来ない社会になっては、その先に暖かい未来は見えるでしょうか。
自分の影響力を考えることは大事かもしれませんが「自分は誰かを傷つけているのではないか?」ということばかりに気を向けて生きるより、「それぞれがそれぞれの嬉しい気持ち」を尊重しあえる生き方の方が私は素敵だなぁと思います。
テヒョンの「嬉しい」の先の表現に傷つく人がいたことは事実だと思います。
だからこそ学ぶことや思いを馳せることはとても大切で、配慮も当然必要です。
でも、このテヒョンの「嬉しい」の表現に幸せな気持ちになった人もいることもまた間違いのない事実です。
答えはひとつじゃないし、感じ方もひとつじゃない。
同じ悩みを抱えている人であっても気になる人もいたら気にならない人もいる。
当事者でなくてもあの発言に傷ついて嫌悪感を持つ人だって当然いる。
テヒョンの「gentlemen」の呼びかけに応えた声の中に、元女性がいたかもしれないし、女性の姿はしていても心は男性の方もいたかもしれない。
どちらかわからないから声を出せなかった方もいたと思うけど、どちらかわからないから両方に声を上げた方もいたかもしれません。
悲しくなってしまった方もいたかもしれないけれど、幸せになった方もいるかもしれません。
ひとつの現象には複数のこの「かもしれない」があります。
この「かもしれない」も大事にしつつ、自分の中にある「素直に感じた感情」も大事にしても良いと思うのです。
だから今回の件で悲しいと感じた人も、幸せだと感じた人もそれを素直に表現して良いと思います。
こういう問題の時、どうしても「悲しい」と感じた人に寄り添わなければ人としてどうか?という論調になりがちですが、思わないものは思わない、で私は良いと思います。
今思わなかった人も、その後の学びや経験で変わっていく可能性があるからです。
だからどちらも自分の感情を素直に受け止めて良いと思うのです。
今回のことで違和感や嫌悪感を持った人はそれをどんどん発信していいと思うし、それはきっと本人たちへも届くと思いますし、それでまた彼らはひとつ学ぶのではないかと思います。
ミソジニー問題の時もそうやって彼らは学びましたよね。
今回のことでなんとも思わなかった人も、いつかは自分もどこかでマイノリティとなる時があるはずです。
全てがマジョリティ属性の人なんていませんから。
人は複雑に出来ています。
マイノリティとマジョリティが入り混じって、そこに個々の思考が入る。
誰1人として同じ人はいません。
自分のことですらよくわからないのに、他人のことなどわかるはずがありません。
他人の心に寄り添う努力は必要ですが、まずは自分の気持ちに寄り添う方が先だと私は思っています。
どちらかといえば、私は自分の気持ちに寄り添う方が難しいです。
だから「素直に感じた感情」を大事にしているテヒョンに惹かれるのだと思います。
気を遣うことも必要ですし、誰かを慮ることも大事ですが、今この瞬間の自分自身に嘘のないストレートな感情ほど誰かの心を動かすものはないと思います。
だからこそ誤解されることもあるし、時に嫉妬されたり、時にいわれの無い批判に晒されたりするのではないでしょうか。
良い方でも悪い方でも、それは心を動かされた証拠であるので。
きっと今回のことは彼らなりに考えると思います。
このメントの最後にホソクがテヒョンに耳打ちをし、その後すぐにテヒョンは「Everybody we love you」と言っています。
映像を見た私の勝手な想像でしかありませんが、これはホソクの心遣いなのではないかと感じていますし、彼らがいつだってどんなファンでも心から愛してくれていることは間違いのないことですよね。
それはきっと悲しい思いをした人たちもよくよくわかっていると思います。
だから決して声を上げた人たちは彼らの批判をしたいんじゃない。
自分たちは悲しかった、ってことを伝えたかっただけだと私は思っていますし、その心の交流は必要だし、こういうことが話せるような世の中になってきたことは良い方向へ向かっている証拠だと感じています。
とりとめもなく(いつものことですが)、長々と書いてしまいました。
あくまで個人的な想いですが、これからも学びを続けて私自身もアップロードしていきたいです。
BTSにいくつになっても勉強させられてる私って・・・。情けな・・・。
でも嬉しいです。