こんばんは。


神奈川県の海沿い、「お住まいは?」と聞かれて答えると「良い所にお住まいですね(^-^)」と返されること多々な地域に在住のrussianです。


無事、こうしてブログを書ける状態でおります。


一発目の揺れに襲われた時、私は2階にいました。


聞き慣れない……でも以前耳にしたことがあるような……「ウィン!ウィン!」という独特の警報音が響き渡ったと同時にゆらりゆらりと揺れ始め、とっさにストーブを止めて様子を伺い……ここまではわりと冷静でした。すぐに収まると思ったんです。


「ゆらりゆらり」がなかなか止まらない様子に部屋のドアと窓を開け……ここらへんから「ゆらり」が「ぐらり」に変化。


この瞬間からアタシのアタマん中では「このまま2階にいるべきか」「1階に下りるべきか」このふたつの思考のみに占領されました。


判断つかなかった。


家が潰れるとなれば2階にいたほうがいいのかもしれない。家が潰れるとなれば1階に下りて外に逃げたほうがいいのかもしれない。家が潰れるとなれば外に出たらいろんなモノが降ってくるかもしれない。


最終的には揺れの大きさにこの思考すらすっ飛んで、結局2階にいたまま恐怖心で動けなくなっていました。


揺れが収まってから階下に降り、その後の余震では、我が家のすぐ隣が広めの松林になっているので、強い余震が来るたびに母と二人で松林に逃げ込んでいました。


「これなら家が潰れても命は助かるだろう」と、とにかく「築ン十年・木造2階建て・父が知り合いの大工の棟梁に頼んで好き勝手に作り上げた(設計された)変なトコロに贅沢にお金を掛けたせいで瓦屋根が立派で頭が重たい家」に住む者が持つ恐怖心からは多少開放されました。長々とすみません。あ、ココ、笑ってくれてもOKです。今となっては。


で、家屋の損傷・その他被害状況はというと。


ゼロでした。


あんなに揺れたのに…。


唯一、廊下の壁に立て掛けてあった三段式の脚立が倒れたくらいなのですが、なにせ三段式なのでけっこうな重さなんですよ。


これが倒れたにも関わらず、家具の上に置いてある…というか積み上げられているというか…そういった類の物も、机の上の物も、なにもかも一切が微動だにしなかったこの不思議。


「変なトコロに贅沢にお金を掛けた家」と書きましたが、この家、1階から2階へと繋ぎ目のない一本柱が通ってるんだそうです。私は建築関係、よくわからないのですが、なにかコレってけっこう贅沢な作りらしく。


よくわかんないのですが、以前から母や姉からは「この家には一本柱が通っているから」と聞かされてきたのでよくわかんないながら書いてみました。長々とすみません。あ、笑ってくれてもOKです。もし笑えたら…ですけど…


…なんかコレ書き始めたらどうにもネタ的方向を狙ってしまう自分を取り戻しつつあるという、予想していなかった現象に気づかされました。


不謹慎と言われてしまってもしょうがないコト言っちゃってますが、こんな私でも、ついさっきまで、とてもブログなんて書ける心境ではなかったんです。


私の住んでいる地域は被害らしい被害はほとんどなかったと思うのですが(地震直後は救急車のサイレンが凄かったのでなんとも…)北関東、そして東北の被害状況は尋常ではありません。


前振ると長くなってしまうので唐突に話を進めますが、私の母は岩手に縁のある人です。親戚はもういませんが学生時代の知り合いがいます。「旅行」というものをほとんどしない私自身も、岩手には幼い頃から何度も行っています。


お盆や年末年始、「帰省」という文字を見ると私の中ではぼんやりと岩手の風景が浮かんでくるんです。


親戚も直接の知り合いもいない地ですが(岩手在住の知り合いは母の知り合いなので私は直接知らない)、岩手は私にとって心境的に第二の故郷と言っても過言ではありません。


金曜日から土曜日、そして今日と、普段テレビを見ない私もずっとテレビのニュースに釘付けになっていました。


名取の津波の映像。


気仙沼の火の海。


各地津波が襲ってきたまさにその瞬間の鮮明な映像。


言葉を失いました。


そして今、改めて痛感しています。


天災・被災というものは、その直後だけではなく、その後も徐々に、じわじわと広がっていくものなのだということを。


二次災害の恐ろしさを。


今回、都心では帰宅難民と呼ばれる人達が発生しましたが、それでもあの規模の地震に襲われたにも関わらず(神奈川の私の住んでいる地域で震度5弱)、都心の被災状況が「ライフラインが一時期停止」、あの程度で済んだのは奇跡に近かったのでは、と思っています。


一部火災も発生したようですが「都心崩壊」とはなりませんでした。


だからこそ私は今、こうして今まで住んでいた家に住み続け、お風呂に入ることもできるし、暖かいご飯を食べることもできるし、いつもどおりの布団で寝ることも出来ています。


でも、東北のあの状況は。


昨日土曜日、一日中テレビを見続けていた私は、気づけば泣いていました。


ここで私が泣いたってどうにもならない。


ここで私が泣いたところで命ひとつ助かるわけじゃない。


泣いていないで気をしっかりと持て。


どれだけそう自分に言い聞かせても、聞き慣れた地名、亡くなられた方の数、行方不明者の数、他にも原子炉の問題等、状況が見えてくるほどに体の奥から沸いて出てくるような、表現し切れない感情に襲われてしまって。


そして私が住んでいる地域でも、かなり頻度が減ったとはいえ、まだ余震が起きています。


余震がこれほど精神的なダメージを与えるものだったとは。


特に今回、母はテレビで岩手の様子が映し出されるたびに、声にならないため息のようなものを発し、その影響もあるのか、余震に過剰に反応しています。


被害は無かったとはいえ、それは物理的な被害が無かったというだけで、精神的なダメージはやはり大きいようです。私も母も、昨夜はいい加減疲れ切って(女二人というところも不安感を大きくしているのかもしれない)早く寝ようと、早めにお風呂等、済ませたところにまたしても立て続けの警報。


物理的な被害はまったく受けていません。電気・ガス・水道、ライフラインも正常です。今日、近くのコンビニまで行きましたが、カップラーメンやパン類などが品切れになっていたり、道端で地震について話し込んでいたりする人達がいたりと、多少の非日常感は感じますが、各店舗も通常運営しています。日常生活じたいはまったく問題ありません。


ですが、テレビで被災地の状況を目の当たりにすると、そしてそれに追い討ちをかけるように余震に襲われると、精神的なダメージがかなり大きいです。


というのも、昨日、都心に事務所を構えている知人と連絡が取れてこんな話をしました。


やはり地震当日は帰宅することができず、土曜の朝に帰宅したそうで、横浜の自宅も確か10何階…とかだったはずですが、特に被害は無かったとのこと。とりあえず友人・知人、皆無事で良かったね、と話していたその話の続きで今回の地震について。


今回の地震は震源地が三陸方面でした。


神奈川の私から見ると千葉の半島の向こう側が震源地だったんです。だから震度5というそれなりに規模の大きい地震に襲われながらも、そして海のすぐ近く、丸二日に渡り大津波警報が延々と発令されていたにも関わらず、津波の被害も受けなかった。


つまり、千葉の半島が「防波堤」となってくれていたんです。


お陰で関東南部地域は津波の被害をほとんど受けずに済みました。


これがもし千葉よりも西側、「相模湾沖」が震源地だったら。


東京・神奈川・静岡方面が、今の東北地方と同様の被害を受けていたと思います。


ニュースで名取の津波の映像を見た方もいらっしゃると思います。


名取の津波は陸地内10kmにまで及んだと聞きました。


私の家は海から1.5kmほどです。


平野が続いている地域なので、もし震源地が相模湾沖だったとしたら。


しかも「湾」です。津波の威力も増幅されます。


地震直後数分で、自宅から10km先まで逃げることは、徒歩はもちろん、自転車であれ、たとえ道路が空っぽで空いていたとしても車であれ、数分で10km先まで逃げることは不可能です。


この現実を認識した時、背筋が凍る思いに襲われました。


今回は震源地が三陸沖でした。


そして日本全域に渡って津波警報が発令されたとはいえ、平野で海から1.5km程度しか離れていないところに住んでいながらも、私は、特に非難の必要はありませんでした。


でもそれは「今回は」です。


「今回は」震源地が三陸沖だった。


それだけの話です。


次は?


とても他人事とは思えません。


今日、友人と連絡が取れて聞いた話ですが、鎌倉の海のすぐ目の前に住んでいるその人は、地震の直前(“直後”ではなく“直前”です)波打ち際が100m近く引いていったのを目撃したそうです。


今までにも地震前後に3~4m程波打ち際が沖合いに引いていったのを見たことはあるそうですが、さすがにあそこまで引いていくのを見たのは初めてだ。これはヤバイ。と、慌てて避難したそうです。(結果、幸いにも津波による被害はありませんでした)


日本は地震大国です。


地震に関する知識等も、「知識」としてなら心得ている人は他国よりも多いだろうと思います。


今回、都心についてだけ言えば、地震の規模から考えれば被害が最小限だったこと、「帰宅難民」という以前から想定されていた事態が実際に起きたこと、これは今後の震災への対策として良い教訓が得られたことと思います。


でも、「良い教訓が得られた」


こう言えるのは「被害が少なかったから」言ってられることなんです。


そして、どれだけ「良い教訓が得られた」としても、事前の対策をどれだけ施したとしても、実際に有事に襲われた際には、その時、自然が見せる威力・破壊力に人間はなにも成す術がありません。


今回、東北の津波被害を鮮明に映し出された映像を何度も目にする度に、「海からわずか1.5kmの平野部」という、この我が家が置かれている現状を改めて考えさせられました。


5m~10m級の津波が地震直後に襲ってきた際には、逃げ切ることは不可能である。


この現実を私に突き付けてきました。


どれだけ事前の災害対策を取っておいても、こればかりは逃げようも避けようもありません。


距離と時間から言って物理的に不可能だからです。


ネタ的に進めるつもりが、感情的なままになってしまいました。


今回の地震について、もうひとつ書きたいことがあるので、稿を改めて書こうと思います。


ちょっと気分的に収拾つかなくなってきちゃった。