外から隣の住人が騒音を出す度に、つい「っさいなー!静かに閉めてよ!」とぼやいてしまう。

ぼやくと同時に隣の住人を憎んでしまう。



😇はいはい、ダメダメ❗️

いつまでおんなじこと繰り返したら満足するかなー⁈


この現実は私の内面を反映して出来てるの!

気持ちとか、気分とか、感情、信念、執着とかが、後々自分の現実を創るの!

なーんかい言ったら理解するわけ?

この不満だらけの現実を創ったのは誰?

私でしょー!!


隣の騒音一家が不要なら、私の思考から追い出せばいいじゃん!


騒音一家も

騒音自体も

騒音って言葉も

不安で仕方ないことも

気になって仕方がないことも

すべてが私の思考や感情に出揃っているじゃない!

これじゃあ、後にやってくる現実も騒音だらけに決まってるでしょ!


わかってて、なーんで考えちゃうかなぁ?


👩ううっ、、、。

か、考えたくはないけど不安になる。

つい、、、今までがそうだったから。


😇そうやって自分に言い訳してる?

不安になることが癖になってるのなら、その癖を治す!

癖は治る!

騒音が聞こえてきたら

『この騒音現実を創ったのは誰?』

『この騒音現実を創ったのは私!』

と言ってみて。

隣の一家に腹立てている時間を自分の創造力の反省時間に当てて、創造するものを変えていこう!



この頃の私の脳内会話がこんな感じです。


騒音は軽減した。

軽減させた。


でも、望みはここから引っ越ししたい。

騒音に気を使うことがない住環境に住みたい。

これを叶えるために、なる をしている。

でも、なるから外れてしまうことが度々ある。


いい加減、叶えたい!変えたい!


毎年GWなんて大嫌いだったけど、騒音が軽減したことで年々その思いが弱くなり、去年や今年はやや気楽に捉えるようになってきた。

でもまだ不安がある。(騒音に対して)

だから、この不安を消していく。


あえて連休のGW真っ只中、私の思考や観念や感情から騒音を消していく。





信じられなかった

認められなかった

自分を騒音ノイローゼに追い込んで、生きる気力を奪ったあの騒音だらけの現実を自分が創ったなんて。


非常識な隣の一家がすべて悪いと思ってた。

私は被害者で、引っ越すことも叶わず、死ぬまでここに住まなきゃならないなんて、生き地獄だと思ってた。


希望が欲しい。

この現実をどうしても変えたい。


そして、望む完璧な現実とはいかなかったけど、騒音は軽減し、騒音ノイローゼから解放されました。


まだ残る騒音への不安を自分の中から消してしまいたい。



騒音がする度に、自分に問う。

こんな状況を創ったのは誰?