それは、半島でさまざまな差別を受け、更に、「済州島四・三事件」により、

南朝鮮(現在の大韓民国)に大きな恨みを持つから。


ちなみに、似非ウヨクとして有名な「在日特権をゆるさない市民の会(在特会)」

の会長である「高田(桜井) 誠(本名?高 誠)」氏のおばあさまは、この事件

で家族を皆殺しにされ、命からがら日本に逃げてきたそうです。

   ↓

在日特権をゆるさない市民の会会長の高田(桜井)誠氏の出自は?

http://richardkoshimizu.at.webry.info/201306/article_53.html


そういうわけで、彼ら(南朝鮮労働党でもあるため)は北朝鮮に肩入れし、日本人を

よそおい反韓活動(反中活動も)を行っているわけです。

心情的には、理解できないこともないが、やりかたは明らかに間違っている。


済州島四・三事件
済州島四・三事件(さいしゅうとうよんさんじけん)は、1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮(現在の大韓民国)の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島本土の右翼青年団などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。
韓国政府側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。また、この事件は麗水順天の抗争の背景にもなった。


麗水順天事件( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%97%E6%B0%B4%E3%83%BB%E9%A0%86%E5%A4%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6 )

大韓民国建国直後の1948年、南労党(南朝鮮労働党 )は各地の韓国軍部隊に工作員を浸透させ、反乱や騒擾の機会を窺っていた。10月19日、済州島 で起きた済州島四・三事件 鎮圧のため出動命令が下った全羅南道麗水郡駐屯の国防警備隊第14連隊で、隊内の南労党員が反乱を扇動、これに隊員が呼応し部隊ぐるみの反乱となった。

反乱は麗水郡から隣の順天郡(現在の順天市) にも及んだが、李承晩 は直ちに鎮圧部隊を投入し、1週間後の10月27日に反乱部隊は鎮圧された。残兵はその後北部の山中へ逃げ込み、長くゲリラ抵抗が続いた。事件処理で韓国政府の左翼勢力摘発は過酷を極め、反乱部隊に加えて、非武装の民間人8000名が殺害された[1] 多くの者が日本へ密航・逃亡し在日韓国・朝鮮人 となる背景となった[2]