※このお話は個人の妄想(BL)であり、実在の人物・団体とは一切関係がありません。


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J


しょおくんと出会ったのは。
そろそろ東京にも雪が降りそうな、朝晩の冷え込みがだいぶ厳しくなってきた頃。


突然、翔くんが俺の前に現れたんだ。



ーー



両親や親戚がおらず、天涯孤独だった俺は児童養護施設育ちで。
中学卒業後俺は高校には行かず施設を出て、製パン工場でライン作業の仕事に就いていた。
高校に、、行こうと思えば行けたのだけど、とにかく俺は早く施設を出て自立したくて。
施設時代のことはあまり思い出したくはない。
辛い記憶ばかりだから……。


…………。。


……とにかく。
就職先は業界最大手の製パン工場だったので、当然のことながら24時間365日稼働。
単純作業が多いとはいえ、だからこそ重労働なこの仕事。
ベルトコンベアから流れてくる商品に対し工程に基づいて様々な作業を行う。
パンを次のコンベアに移動させたり、形を整えたり、焼き型や天板に置いたり……
日々の業務は流れ作業ばかりの単純労働だが、長時間同じ姿勢で同じ作業の繰り返しだからやってみると結構キツい。
しかもパンを焼くオーブンのそばはかなり暑く、パン生地を発酵させる専用の部屋は暑いだけでなく湿度も高いし。
その一方でケーキ等のデザート菓子のラインは冷蔵庫のように寒かったりする。
更に、パンを製造する機械の稼働音が騒音レベルに大きくうるさいのだ。
こういう職場のせいか、離職率は非常に高い。


だけど施設暮らしが辛かった俺は、仕事ができて自立の糧を得られただけで有難かったし、中卒で学の無い俺でも難しい内容の作業は何も無かったし。
むしろ元々何でもコツコツやるタイプの俺には合っていたみたいで。
少ない社員さんやたくさんのアルバイトさんとの人間関係も特に悪くもなく。
というか、職員の入れ替わりが激しいから、人間関係が悪くなるほど長く付き合わないことが多い。
それゆえ働いて3年も経つ頃には、俺は若手の中ではキャリアがある方になり、アルバイトの人たちをまとめる職務にもつかせてもらっていて。


給料は、、学歴が無いせいもあって決して良いとは言えなかったけど、大手企業のおかげか必ず年2回ボーナスも出たし、福利厚生も整っていて、家賃補助もしっかりとあった。
職場の工場の近くに会社の安い寮もあったけど、、施設での集団生活に良い思い出が無かった俺は、多少お金がかかっても家賃補助を得て1人暮らしを選んだ。
古くて小さな木造アパートだけど、それで十分。
大切な俺だけの城だからね。


やっと手に入れた、、ささやかな幸せ。


しょおくんと出会ったのは、、そんな頃。
寒い冬の朝のある日。