「播隆僧がこの地方を緋徊、たびたび槍ヶ岳を冒し、山霊が怒りてこの凶作をくだしたもの」との噂の広がりは深刻でした。
松本藩の役吏も播隆を詰問に訪れます。
しかし又重郎「西山(穂高)は公儀より許された我が家代々の支配したるところ、愚かなる流言を信じるとは怪奇千万である」と、動じなかったと伝わっています。
播隆上人の山への情熱はむしろ執念に近いもの、その十数年におよぶ登山の様は、壮絶のひとこと、信仰を越えた"登山家播隆"の姿です。