2016年06月23日

大好きな隠岐の島ウルトラマラソン

テーマ:ウルトラマラソン

11回隠岐の島ウルトラマラソン


2007年の頃だったと思います。

大阪単身赴任で、なんばのスポーツ店にシューズを買いにいったときのことでした。

ランニングシューズのコーナー横のパンフレット棚に、「ランナーよ海を渡れ!第三回隠岐の島ウルトラマラソン」というパンフレットを発見。

ふと手にとって、地下鉄で自宅に帰り考えていました。

100km・・・ねえ・・・」


それまでは、フルマラソンが精一杯だった自分にとってウルトラマラソンというのはまさに自分とは違う人種が走るとんでもない大会だと思っていました。

でも、「離島・・・ねえ」「島一周か・・・」などと、なんとなく憧れのような感じもして、どうやって渡ればいいのか?と調べてみたら、なんと伊丹空港から飛行機で行けるんだ・・・とわかり、とりあえず申し込んでしまいました。


エントリーしてしまったら、まさに、「ロッキー」のようにバックグラウンドに音楽が流れ、ロング走中心の練習が始まりました。

大阪城公園の周りを40km走・・・こんなのは序の口。

とりあえず遠くから走る努力しないと長く走れないな・・・と思い、京都まで行ってそこから天王寺の自宅まで約50km

次に、京都から奈良までも走りましたね。

そんな練習で、初めて「隠岐の島」に渡りました。


大阪伊丹空港からは、1時間ほどで隠岐の島に到着。

空港にはすでにバスが待っており、すぐにレインボーアリーナまで送ってくれました。

バスからみる景色は素晴らしく、大きな島に牛が何頭かいるだけで、とても自然が豊かで気持のいい島という印象でした。


受付を済ませ、「アイランドホテルしまじ」というホテルに到着。狭い部屋でしたが、そこの食事が美味しかったのを覚えています。


前夜祭に歩いて行って、まだ、ウルトラマラソンの世界では新参者であり、ドキドキして参加しましたが、磐梯ウルトラとか他のウルトラマラソンに参加されている方などと少し話をして、ホテルに戻りました。


ホテルでおいしいごはんとお酒、それもビールに焼酎まで飲んで・・・これが災いし、翌日はずっとお腹の調子が悪く、辛いレース展開となりました。


初めての隠岐の島ウルトラマラソンは、とにかくエイドステーションよりトイレ。

次のトイレまで頑張ろうと思い走り続けました。

中間エイドのあとすぐに具合が悪くなり、民家にお願いしてトイレをお借りしたこともありました。

そして、後半なんとかお腹も落ち着き、12時間ちょっとでゴール。

ゴールするまで「もう二度と走らない」と何度も自分に言い聞かせていました。


しかし、ゴールした直後。


そこから、この大会にずっと参加し続けることになったわけです。


第三回(2008年)大会:12時間545秒 51/172人中

第四回(2009年)大会:11時間5737秒 51/202人中

第五回(2010年)大会:12時間1950秒 80/234人中

第六回(2011年)大会:13時間4828秒 193/271人中

第七回(2012年)大会:記録無し(疲労骨折のため48km中間エイドでリタイア)

第八回(2013年)大会:11時間0405秒 43/267人中

第九回(2014年)大会:11時間2330秒 54/281人中

第十回(2015年)大会:10時間4403秒 58/404人中

第十一回(2016年)大会:11時間17分 68位/345人中

これまで、9回隠岐の島にわたり、8回完走しました。

第六回2011年の大会では、前半の山下りで太腿を使い過ぎて太腿を傷め、後半全く走ることができない状況になり、ずっと歩いて完走しました。(完歩ですね)

第七回2012年の大会では、5月に富士五湖に参加し、走りこみをしっかりやっていたつもりですが、体重が重かったせいもあり、新スプリトから脛骨疲労骨折になり大会直前まで参加できないか?と思われましたが、なんとかスタートはできました。最初からゆっくり走っていたので比較的楽に楽しく走れて、もしかするとそのまま走り切れたかもしれませんが、大事をとって中間エイドでやめました。


隠岐の島の大会は、参加されたランナーの多くの方々が言うように、他にない最高のおもてなしと温かみのある大会で、一度走ってしまうと、やっぱり今年も・・・と思ってしまうようなそんな大会です。

第三回の大会に参加したあと、自宅でそんな話をしたら、そのあと第四回からはずっと妻が応援に来てくれています。地元の方々との交流もあり、毎年の恒例行事のようになっているのです。


この大会は、基本的な点は変更されていませんが、コースは毎回、微妙に変わっています。

今年走られたランナーも気づいているかと思いますが、道路に1kmおきの標識を設置するマーキングが打ってありますが、それが微妙に変わっているのでわかります。


最初の頃は、中間エイドを過ぎてからの後半に大きなアップダウンが3回ありました。その3回めはだんだん道も捕捉なり、勾配も急になりもはや走ることは無理というような坂道でした。

それが、ここ数回、なんとなく後半がちょっと楽になったように思ったのですが、それは新しいトンネルができたおかげで、その急勾配の坂道を行かずにコースがとれるようになったからです。

ある時は、手掘りの福浦トンネルを通らないこともありました。

また、75kmあたりからの下り坂で途中でトレイルのような道を行くこともありました。

けっこうキツかったのは、78kmの中里バス停のあとの田園地帯をぐるぐる走って距離を調整することがあり、けっこうストレスになりました。


それと、エイドステーションは基本的には変わっていないのですが、最近はスイカなどフルーツが増えたように思います。

私設エイドも増えましたが、そこでもフルーツやカルピスなど、いろんなものを準備してくれています。


そういった変化もありますが、ずっと変わらないのは、

地元の皆さんの応援。以前からずっと、ナンバーカードを見てから名前で応援してくれます。

いくつかの場所では地元の皆さんがテントを張って酒盛りをしながら元気をくださいます。

5時のスタートというのに、そんな時間から家の前で旗を振ってずっと応援してくれるおばあちゃんやおじいちゃんがいます。

それと、毎回、小学生が応援の自筆の手紙を送ってくれます。

そして、島を離れるときに、町長をはじめスタッフの皆さんが横断幕をかかげ、盛大に見送ってくれます。


こういった、すべてのことを体験してしまって、初めて参加したランナーも、応援で参加したご夫婦もみんなこの島にまた行きたくなってしまいます。


今回、9回目にして初めて隠岐諸島の他の島、中の島と西の島に観光で行ってみましたが、決して楽に仕事があって豊かに暮らせるというような島ではないと思いました。

たぶん、島後の隠岐の島町でも、あの大会を開催して黒字になっているとは思えませんが、地元の人たちは、それでも大会を続けてくれています。


離島、人口15千人という隠岐の島町が、あの大会を継続開催するのは本当にたいへんなことなのだと思います。

この9年間で、ホテルの近くにあったドラッグストアとスーパーも無くなってしまいました。

お酒の飲めるお店も、無くなっていたりとかなり経済的には厳しいと感じました。


それでも、あの大会を開催してくれること。

そして、あの島に何かランナーの力で出来ないものか?とずっと考えています。


ふるさと納税という手段もあるかもしれません。

また、少なくとも前夜祭は、有料で実施して良いのでは?と思います。

それと、参加者が急増する中、さらに宿泊施設を増やすのはもはや困難でしょうから、民泊や、テント泊、フェリー停泊なども考えないと無理かもしれません。

何よりも、隠岐の島町で作られる、採れるものを購入することがいちばんのサポートになるかもしれません。


昨年から、大会の翌日、一部のランナーが中心になり清掃活動を行うイベントが催されています。

素晴らしいことです。


もしかすると、隠岐の島ウルトラマラソンこそが、主催者と参加者が作る大会に育っていくのかもしれません。


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