ある本によれば、杉田玄白は次のように述べたそうです。
「せめて一つの病気だけでも治したいと考えて、梅毒を選んで、梅毒の治療が書いてある本を集めたり、梅毒を治す医者の話を聞いたり、オランダ医学の本を読んだりしたのだが、70歳を過ぎる今になっても、(解体新書で有名になって患者は増えたが)、この病気が難治であると分かるだけで、若い時と少しも変わりが無い」。
「日本の名著22、杉田玄白、平賀源内、司馬江漢」の杉田玄白の随筆「形影夜話」(p335)を見ると、そのように書かれています。
オスラーSir William Osler は、「梅毒をよく知る者は、医学をよく知る者である」"He who knows syphilis knows medicine." と述べたそうです。
英語版 Wikipedia 「梅毒」の「治療の歴史」によれば、次のように書かれています。「当初、効果のある治療は知られていませんでした。その後、水銀が使われるようになりました。『ビーナスの手枕で一夜を過ごせば、一生の間マーキュリー(水銀)の世話になる』というような言い方がありました。水銀は、人体に対しても強い毒性があります。1908年に秦佐八郎が作ったサルバルサンも梅毒治療に効果がありましたが、これもヒ素化合物であり、強い毒性があります。梅毒を真に治療できるようになったのは、ペニシリンが使われるようになって以後です」。
つまり、江戸時代の杉田玄白は、どうあがいても梅毒を治すことは不可能であったわけです。梅毒に限らず、他の多くの病気も治せなかったでしょう。
しかし、それは杉田玄白のせいではありません。当時はまだ、学問の進展の度合いが未熟であって、梅毒を治すところまで進んでいなかったのです。解剖学の勉強が始まったばかりです。
ところで、ある本によれば、我妻栄先生は、自分の子どもの離婚を止めることができずに、関係の政府委員を辞任したそうです。
「メガホンの講義」という本によれば、次のように書かれています。
「(我妻栄の長男の)洋は、栄からの勘当状を受け取っていた。離婚したいと言い出した洋に、栄は激怒した。『親の顔に泥を塗るような息子は、子とも思わぬ。親とも思うな』という手紙を渡し、親子の縁を切ったのだった。(我妻栄の妻の)緑は、家庭裁判所の調停員を辞職するという形で責任をとった」(p105)。
「(我妻栄の長男の)洋は、栄からの勘当状を受け取っていた。離婚したいと言い出した洋に、栄は激怒した。『親の顔に泥を塗るような息子は、子とも思わぬ。親とも思うな』という手紙を渡し、親子の縁を切ったのだった。(我妻栄の妻の)緑は、家庭裁判所の調停員を辞職するという形で責任をとった」(p105)。
我妻栄先生は、民法の権威であり、戦後に民法を改正する時に中心的な役割を果たしておられます。
私は、公務員試験を受けていた時に、我妻先生の「民法案内」を2週間かけて通読したことがあります。私は、我妻先生を心から尊敬しています。
しかし、民法の権威の先生であっても、離婚を止める力はありません。当時は、学問がまだそこまで進んでいなかったのです。どんなに偉い先生でも、止められるわけはないのです。
離婚に対する研究は、1960年代に米国で始まっています。その頃、親が離婚した子どもの精神的な予後が良くないことが知られるようになり、離婚するよりもしないほうが良いと考えられるようになって、大学で心理学を教えながらカウンセリングを行っていた先生たちが、離婚しかかっているカップルの離婚を止めようとしたのですが、誰も止めることはできませんでした。そこで研究は、まずカップルに対する観察から始まったのです。(例えばハーリの文章、人間関係の教育による)。
我妻栄先生は、昭和30年ごろに離婚が増加していた理由として、「以前は離婚後に生活のめどがつかなかった妻が、自分の人格の尊厳を考え、世間の批評も同情的になり、経済的地位も少しは改善して、離婚を考えることができるようになった」と述べておられます(法律における理屈と人情(p163))。また、その数ページ前ではフロムの「自由からの逃避」を引用しておられます。つまり、文化社会的な要因を重視しておられます。しかしそれは、離婚の一面であって、全てではありません。
また、我妻先生の長男の洋氏は、その後、再婚した妻と共に渡米し、後年UCLAの教授になっておられます。離婚などの社会病理的現象について研究を行い、離婚の要因として、文化社会的な要因を強調しておられます。例えば、アメリカの離婚原因として、核家族化、個人の孤独、結婚生活への期待過剰、役割葛藤などを挙げておられます(「家族の崩壊」(p123)。また前述の「メガホンの講義」には、マーガレット・ミードの隣に洋氏がいる写真があります。
当時としては、そうした研究をすることが最善であったろうと思われます。我妻栄先生も洋氏も、人々の家庭の幸福のために、全身全霊の力を振り絞って努力し献身されたことは、間違いありません。
しかしその後、マーガレット・ミードの「サモアの思春期」は、誤りであったことが明らかになりました。サモアの少女たちは、珍奇なことを言うとお金をたくさんもらえるので、口裏を合わせて嘘をついたのです。ミードは、文化の重要性を強調する旗頭であり、「女性の性も、文化に過ぎない」などと主張しましたが、その根拠は崩れています。その後の詳しい調査によっても、サモアの男女も、ニューヨークの男女も、人間関係に差は無いと判明しています。お金のために目の前の人を簡単に裏切って嘘をつく点も、文明人と寸分の違いもありません。子どもの権利を無視する日本の弁護士や裁判官、フッ素に消極的な歯医者、タバコの害を否定するタバコ業者などと同じです。しかし欧米を見れば、これが克服可能であると分かります。
現代の進化心理学では、文化的な差を重視していません。「つがいを作って子育てをする動物において、子が夫の子ではない割合は、どの動物も10%ほどである」などと述べて、メスの繁殖上の利益を重視しています。
離婚を説明するのに、文化社会的な要因を重視するのは、誤りです。それは単なる評論であり、科学ではありません。洋氏は、統計学の成績が悪かったそうです。文化社会的な要因を重視する当時の考え方では、離婚を実際に減らすことはできません。
学問の進展は、多くの賢人の長年にわたる努力や偶然を足し合わせます。実験や観察を通じて、科学的事実を蓄積します。だから、1人の秀才の献身とは比較にならない威力があります。
。