子供が生まれてからの生活は

 

<朝>

朝ごはん作って、食べて、片付けて、

布団あげて、掃除機かけて、

オムツ変えて、着替えさせて、保育園へ送る。

 

<夕方〜夜>

保育園に迎えにいって、ご飯作って食べて、片付けて、

洗濯物畳んで、お風呂掃除して、お風呂に入って、

洗濯して干して、絵本を読んで、寝る

 

毎日、毎日がこの繰り返し。

ルーティンワークが得意な私ではありますが、

本当に単調なことの繰り返しだ、と感じる。

そう、ルーティンワークは得意だけど、

好きではないのです、私。

 

だから、嫌だなとか、感情も挟まず、淡々とやる。

意外と几帳面だからすっ飛ばしたりもせず

ただ淡々と全部をくまなくやる。

 

でも、ふと最近思う。

この毎日、毎日、のルーティンが私や家族を支えている。

生活をちゃんとすることが家族の土台となっている、と感じるようになった。

土台がちゃんとしていないと、自分も家族も支えることはできない、と。

 

同時に、これは母親である私が、全てのルーティンをやるということではなく

家族みんなでこの土台となる『生活』に関わっていくことが大事なのだ、

とも思う。

 

保育園から月に一度お便りが来る。

私はそれをとても、とても楽しみにしている。

いつも沢山の気づきをもらえるからだ。

少し前の園だよりに、ちょうど『生活』に関することが書いてあった。

 

少し引用させてもらって、生活について思うことを書こう、と思う。


 (以下引用)

川に入ったり、山を登ったりしながら、日々里山で遊んでいる子どもたちは、「生活」することによって、いのちが深く安らぎます。

帰ってきてからごはんの準備をする。ごはんを食べる。片付ける。みんなで団らんする。布団を敷いて午睡の準備をする。眠る。おやつを食べる…。

この何でもない「当たり前のこと」が子どものいのちを支えています。

それを感じているのかいないのか、子どもたちは生活をとても大事にしてくれます。

 

「生活」はいのちが労われている、温かな時間です。協働思考とは、ただ互いの生活を円滑にするための心の在り方なのではなく、互いの存在を深いところにある「いのち」を支え合おうとする優しさの顕れなのだとわかります。

 

「生活」なくして子どもの育ちはないのではないか。

「生活」は、人が互いに尊びあい、平和な世の中をつくるための礎を築きます。

どのような社会参加をすれば、自分が心地良いのか。あるいは他者が心地良いのか。

どのように自己の欲求を広げていけば充足できるのか。あるいは他者の欲求とどう折り合いをつけるのか。自分を通すか?他者に譲るか?他に第3の選択肢はないのか?

 

(引用ここまで)

 

私の心に刺さった言葉は

「当たり前のこと」が子どもたちのいのちを支えている、ということ。

『生活』をちゃんと整えていくことの大切さを感じる。

 

また、「生活」はいのちが労われている、温かな時間。というところ。

安心できる『生活している場』があることが

私を、そして子どもを支えているのだ、と思う。

 

『生活』というと、単純の家事と思い浮かべる人が多いかもしれないけど

なんというか、生活=家事ではないと思っている。

生活を外注することはできないが、家事は外注することができる。

ちなみに私は家事の一部を外注することは、働く時間のないママにとっては

とてもいいことだと思っています。

 

家族みんなで『生活』をちゃんとしていくこと。

地味で単純なことだけど丁寧にやっていきたいな、と思うのでした。


そういえば、うちの母はとても生活を大切にする人でした。

だから家族みんなが安心して活動できたのだと思います。





そらまめくんの本に出てくる

えんどう豆と空豆の実物をみて分解する息子。

この子と一緒に『生活』をちゃんとしていきたいな、と思う。



 

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