・・・名古屋おでかけきっぷで小さな旅、亀崎へ、その①からの続きです・・・
町を縦断して「元岬先端」、神前神社(かみさきじんじゃ)前まで来ました。
亀崎のメインストリートの終点ですが海から見れば玄関だった場所でもありますね。
祭神は神武天皇というのは珍しいような気がします。
ここは神武天皇の東征の際の上陸地であるとのこと、地名の由来は神の岬・・・神崎・・・亀崎・・・だそうです。
それでは神武天皇も歩いた海に面した階段を上がり参拝します。
いつもの。
左にはいくつもの小さなお社が並んでいて各々御利益がかかれています。
全部お願いするのはいくらなんでも欲張りなので・・・。
元気で長生きと。
ボケませんようにと。
美味しいお酒が飲めますように笑。
お酒を飲む人の守り神!
酒造安全とあります、酒蔵が多かった昔、亀崎の酒蔵の人たちの信仰を集めたのが山之神だったのでしょうか?
以上、神様、願いいたししました。
そして拝殿奥には「神の井」という井戸があります。
御祭神神武天皇が姿を映したという井戸で姿を映してみました。
ちゃんと水面が見えましたよ。
これで癇の虫も治まったはずです。
お皿状のものではなく「厄除け玉」を投げる場所。
更に登る階段があります、ここを登るといろいろあるようなので行ってみよう。
亀崎城跡は石碑のみですが海に突き出た高台なのでお城建てたくなる場所なのはわかります。
観月亭跡。
伊勢湾台風で倒壊した観月亭という建物がここにあったとのこと。
実はせっかく登ったのに真っ先に見える景色は公園の向こうのマンションではやや興ざめです。
しかし坂の下あのあたりは高台の岬の下の海岸だったのです、そう思うとちょっと面白く思えてきます。
戻って拝殿前の鳥居から見た景色。
昔は工業地帯も前を走る道路もなかったのですぐに砂浜だったはずで絶景だったことでしょう。
近くには西村辰男さんの顕彰碑が大々的に、どういうお方?
名古屋魚商組合や中央水産組合という寄進碑があり鮮魚の流通などに功績があった人のようです。
隣の海潮院というお寺にはこんな寄進碑もありました。
瓦問屋、土管商、陶送、瓦製造輸送の組合からのもの。
料亭があって山車が何台もあって、湯屋、鮮魚、陶器輸送、組合でのいろんな石物寄進がある亀崎の町。
今は静かな海沿いの町ですが昔はどれ程までに栄えた町だったのか想像できません。
それでは戻りましょう。
途中の和菓子屋さんについつい引っかかります。
手ぶらで来てるのに・・・。
紀伊國屋本店さんで亀崎饅頭をお土産に。
酒元まんじゅうで江戸時代からの饅頭だそうです。
そしてはじめに見かけた地酒屋さん、庄兼さんにもついつい引っ掛かります。
どこでもそうですが初めて入る地酒屋さんは普段通う酒屋さんでは見かけない銘柄がたくさんなので楽しい。
庄兼さんのラインナップも見たことない銘柄が多くてワクワクしました。
大好きな岐阜中津川の銘柄、恵那山Pureシリーズのラインナップが豊富で腰が抜けそうでしたが・・・。
今日は2本も持って帰れないので暖簾にある宮城県の新澤醸造店、伯楽星にしました。
ザックも背負ってないのに次々荷物を買い込みます。
いずれも当日美味しくいただきました。
まだ時間は早いので、駅から電車で武豊線終点の武豊まで行ってみることにしました。
マップを見ると武豊の町もいくつかの見どころはありそうです。
駅前には解説板にあった列車に危険を伝えて殉職した駅員さんの顕彰銅像が建っています。
さてどうするか。
夕方のラッシュ時前までには帰りたのであまり時間はありません。
なので師崎街道の区間を歩いて駅から近い味噌醤油蔵に行ってみます。
ここですね、みそ・たまり 蔵元宝山、中定商店さん。
ああまた良い香りの中でお土産を買ってしまったのでした。
全部手で持って帰らないといけないのに。
ちょっと歩くとこの町にも山車蔵と秋葉さん、やはり賑わってたんだろな。
武豊町にはなんと11台も山車があるそうです。
師崎街道区間。
高台にある長尾城跡でもある武雄神社を回って今日の小さな旅は終わりにしましょう。
神社の案内板のセンチと尺での丈比べできるの面白い。
自分の身長は5尺6寸くらいか~。
途中見かけた看板、敷嶋の看板はこちらも現役看板復帰ですね。
歴史ある亀崎の町はぶらぶら歩きの楽しめた町でした。
駅前のマップで見かけた師崎街道沿いの酒蔵はいずれ街道を歩いた時のために取っておくことにします。
武豊の町は回り切れませんでしたが亀崎、武豊、間にある半田も含めて酒、味醂、味噌、醤油など醸造が本当に盛んな地です。
江戸時代にはそれを江戸でガンガン売ってた大生産地だったんだよね~。
小さな旅でしたが充実した町歩きでした。