最近図書館で見つけた本。
「美濃・尾張の石碑を訪ねて」増田修著
自分が主にうろうろ歩きまわる西濃から濃尾平野北西部エリアの新旧の石碑類の記載内容や解説文が記録されています。
著者増田修氏が6年の何月と膨大な資料をまとめた脚で調べた集大成のとても貴重な資料です。
知らなかったりうっかり通り過ぎた道標も記録されてますし記載内容もしっかり調べられている貴重な資料です。
個人的には道標にばかり目がいきますが笑。
先日のおちょぼさんの記事内でも、何気に写したこの写真。
こんぴらさんの常夜燈の残骸、と思っていましたが下部が道標になってるようです、見逃してた!
読めなかった部分・・・右 下てら道、でした。
川沿いなので堤から下りて、という事でしょうか。
見つけたのはちょっと遠い一宮市の図書館なのでこれは手元に置いておきたい。
ので調べると岐阜県歴史資料館(岐阜市歴史博物館ではない)で販売されている本です。
直接行けば手に入るので近いし直接行って購入してくることにしました。
金華山(岐阜城のある山)麓に岐阜県歴史資料館はあります。
七曲り登山道登山口前を通って・・・。
あれ道標?
なんだかたくさんの石柱がありますよ。
御嶽神社参拝道。
濃飛名所金華山。
そしていちばん手前には登山者向けですね。
御大典記念 示道標
今は指導標と書くことが多いので当てる文字が違います。
でも「示す道」というこっちの文字の方がしっくりくるような気もします。
金華山頂マデ一九〇〇米
昭和三年十月建立 岐阜市役所 度量衡協会岐阜?
度量衡とはなに?
wikiによると、「土地制度などの確立のため、計量に用いる長さ(度)・体積(量)・重さ(衡)の基準を定めた制度」だそうです。
昭和天皇即位記念ですが昭和初期的フォントですね!
この道標は件の本に載っています。
岐阜市位置指定道路というものが埋め込まれてなんだろこれ?
岐阜県歴史資料館、件の本は無事購入できました。
ここ自体は資料を保管管理する場所という感じで博物館的な施設ではありませんでした。
さて岐阜散策で楽しみましょう。
岐阜城、せっかく来たので登っていきますよ。
ああ今頃の登り始めです。
七曲り登山道で岐阜城へ行きましょう。
この七曲り登山道は金華山でもいちばんゆるい登山道。
その昔はお城の大手口的なメインルートだったそうです。
木の名前を書いたプレートも味があるな。
たかのつめ、なんて木があるのか~。
なんと丁石があるじゃん。
城へ八丁
登山道、いやハイキングコースですね、鼻歌まじり道。
途中、工事中区間があって。
こんな荷揚用のマシンが設置されていました。
道自体がもはや公園かい。
これジェットコースターにしたら楽しそう。
金華山をロープウェイで登りジェットコースターで降りる笑。
五丁。
示道標、山頂マデ五〇〇米。
四丁。
工事区間から先は舗装の道&階段になって土の地面はなかなか歩けません。
枝が垂れている木、どうしてこうなった?
3丁。
七曲り登山道はリス村の横に出ました。
登山道と言っては申し訳ないようなたおやかな道でしたが実は息が切れてます・・・。
すぐお隣のトイレ、洗面台は濃尾平野を望む天空に向いた洗面台。
どうせならトイレの方を天空に向けて作ってほしかった。
とても雄大ないいトイレになるのでは?
チャート!
天守は右へ。
レストランは左へ。
隠れてる2丁。
歴代岐阜城主の一覧です。
織田秀信は幼名三法師、信忠嫡男。
そういえば三法師って清須会議以降の事を全然知らなかった。
あまり良い結末ではないんですね。
ところどころにこうしてお城の構造が解説されています。
見上げると古い時代の石垣。
この石垣は解説によると斉藤氏時代の物でした。
この大岩も門の石。
ステルス丁石。
城へ一丁。
しゃしゃんぼ?
聞いたことない木で勉強になります。
その先にも尾根筋にある石垣を見上げつつ。
岐阜城!
いや、なんちゃって天守なのはわかっていますが見上げるとやはりテンションは上がります。
天守台のこの角あたりは戦国期のものだそうです。
一応は算木積っていう積み方にはなっているのか。
あれ、七曲り登山道の途中にも曲輪があったのか。
それでは天守にGO。
信長さんこんにちはおじゃましております。
最上階へ。
しっかり天井絵が凝ってます。
眼下には素晴らしい美濃の国の景色が。
長良川がうねうねと流れています、伊勢湾へ向かう流れ。
ゆらいだ河川のラインは良いね!
遠くに少しだけ光って見える流れが木曽川。
左手が長良川上流の関市方向、ぽこんぽこんな山たちの右手が各務原市。
好展望です、さすが天下の岐阜城。
天守から東に少し下った曲輪の跡に岐阜城資料館という建物があります。
資料というほどの展示は正直ありませんがぜひ立ち寄ってください。
入ると正面に・・・。
係の人に聞いてみたら高橋英樹さん的な信長、1973年の大河ドラマ「国盗り物語」だそうです。
ちょっとこれは記憶はありませんので画像検索・・・結構似てます。
あー!
右に目をやると・・・こちらは最近のなので見てました。
2020年の「麒麟がくる」の道三、本木雅弘さんです、いや、怖い位にてるわ。
主役の光秀じゃなくて道三なのはここが岐阜城、お二方とも岐阜城主だからなんでしょう。
目を合わせてみた、ちょっと怖い笑。
本木道三はとても良かったよ。
「麒麟がくる」、の衣装もありました。
天守からの尾根道を通ってレストラン方向に行きます、切通しの上を橋で渡ります。
有事には落としてしまう橋ですね。
レストランで腹ごしらえするか~。
信長が天下統一を思った景色を見ながら・・・。
カツ丼、鮎菓子が付いてるのはセンスがいいね。
美味しくいただきました。
腹もふくれたので屋上の展望台に向かいます。
天守は有料ですがレストランの屋上は無料なので節約するならここです。
見える景色はそれほど変わりませんが解放感があるのでこちらはこちらで気持ちいいのです~。
天守との位置関係はこんな感じです。
矢印が天守。
さて下山は・・・ズルしました。
クライマーの風上にも置けませんが今日はまあいいか~。
無事下山しました笑。
波が飛び散る斉藤家の旗指物のデザインって秀逸ですよね。
北斎の波の絵に影響を与えたと言われても信じます。
下山後は近くにいらっしゃる岐阜大仏さんに挨拶していきましょう。
ここ正法寺の大仏さんは優しげなお顔なのですよ。
籠大仏といって中は空洞になっています。
まあ悪く言えばハリボテ的なのですが、竹細工と粘土、紙でこの形に作るのは金属よりも難しいとも思えます。
壁には羅漢さま方。
裏にはおっかない地獄絵。
尾州名古屋 米穀問屋 杦屋佐助
東海地方の超絶石物寄進三人衆、おなじみ佐助さんの寄進物。
大仏殿も江戸時代の建物で独特の形です。
戦災で岐阜の町は大半が焼けてしまいましたが岐阜公園あたりは焼けませんでした。
ホント残って良かった。
残っている古民家は前に見て歩きましたが有名な古い町並みの川原町の外にもぽつぽつ点在しています。
最後に・・・来るときに降りた岐阜公園歴史博物館前バス停の真ん前にこんな美術館がありました。
個人開設の美術館でマンション1階フロアに入っている美術館なのですが・・・「岐阜浮世絵春画美術館」。
どちらかといえば岐阜浮世絵春画美術館前バス停じゃないかと笑。
建物の外の春画浮世絵の看板、安心してください。
隠れています。
それにしても浮世絵界の大物の皆さんも春画描いてたんだ。
これは俄然興味が出てきました。
入館料は1500円、18歳未満入館禁止で笑。
ちょっと勇気がいりましたが気になるので入ってみました。
ワンフロアで平置きのガラスケースにたくさんの浮世絵が並べられていやらしい意味ではなく見ごたえがありましたよ。
一枚物ではなく製本ものの浮世絵本は開いたページ以外も印刷を置いて見せてくれています。
紙面保護の為かやや暗めの照明で、小さなLEDライトを貸してくれるのでそれで照らしてのちょっと妖しい感じで鑑賞です。
入った時には幸運にも館長さんがいらしていろいろ見ながら詳しく解説していただけました。
写真もOKと太っ腹な美術館でしたが見えてるとwebではコンプライアンスとかあるかもしれませんので・・・。
これならいいかな、今の大河ドラマ「べらぼう」でおなじみ吉原の風景。
版画でこんな繊細な線を描くのかと驚きます。
見ごたえありました、勇気を出して入ってみて良かった笑。
おすすめです。
美術館前のバス停の道は一方通行なので帰りのバス停を探して歩き中、メチャ崖の下の神社が見えたので行ってみます。
崖っぷちです。
社標の裏には歴史を感じる寄進者。
貿易 繭絲 商 村瀬兼次郎さん。
あ、この名前は国道にあった金華山道の大きな道標と同じ名前です。
村瀬兼次郎さんの事は岐阜新聞社発行「岐阜町金華の誇り」(のP41、PDF153ページで重いです)という本に詳しく書いてあります。
地元石物寄進が多い方のようで、伊奈波神社の社標も村瀬さん寄進だそうです。
予定では古い町並みの川原町にも行こうと思っていましたが時間切れでした。
てな感じで半日ほどでしたが岐阜公園周辺でうろうろ楽しめました。
今回いけなかった川原町や書いてませんがお正月に初詣に行った伊奈波神社や、
金の鳥居の金神社、
岐阜シティタワー43の展望台もいいな。
岐阜の町の中でも駅から岐阜公園間はバスがバンバン走ってる区間なのでこれらのポイントも合わせて一日楽しめると思います。
ぜひ岐阜に遊びに来てください。