***前回の記事、その40より続きです***
外宮前の現代の道標、内宮3.8キロで伊勢参宮街道も残りわずか。
外宮のお隣というか、せんぐう館の池の対岸の茜社、立ち寄りたかったのですが泣く泣くスルー。
大きな両宮御神燈の並びの前を通り進みます。
ナショナル自転車ももう懐かしい。
勢田川を渡る小田橋の橋詰に嬉しい解説板があります。
表は小田橋の歴史、裏は伊能忠敬の測量の時の記録が書かれていました。
しかしこの時は急ぎ橋を渡り、反対岸の橋詰のポケットパークに向かいます、あそこか!
ここに道標保存があるのです、まずはありがたい解説板を。
あれ、この小田橋ではなくて簀子橋の道標とありますね。
こういう時に便利な全国Q地図は頼りになります。
簀子橋は・・・ひとつ下流のお隣の橋なのでした。
現地なら見えたはずです、いや、ふたつ前の写真でライトグリーンの橋が見えてます。
ストビューで見たら今は何でもない普通の橋でした。
なんでこの面を正面に、と思いましたが笑。
古い貴重なものと表現するのには良いのかも。
すぐ 御さんくう道 妙見町
すぐ 二見 川崎(河崎、伊勢の水運の表玄関) 神やしろ(神社、川の下流にある海に面した湊町) 左り みや川
解説あるから分かるけど、下の方は植栽で隠れて読めーん!
しかしこの道は二見ヶ浦に向かう二見道の起点の一つということですね。
右 御さんくう 妙見町 古市 道
全然見えーん。
保存道標あるあるの、植栽で埋もれて見えないを食らい泣。
何を保存してるのか考えてほしい~!
ひとしきり怒りお願いを申し上げて先に進みます。
あ、でも公園に棒立ちでは犬の散歩の格好のターゲットになっちゃうか笑。
写真でわかりますか?
結構上り坂になってきました。
途中左に分かれるお店?のシャッターに「脇街道」「岳道」とか書かれているのでちょっと見ていきます。
「従是」ってマニアックな言葉を使うとは、この建物の主はもしや街道ウォーカーだな笑。
「岳道」はこの手作りマップによるとどうやら朝熊への近道的なルートのようです。
御幸道路の説明に「古市衰退の道でもある・・・」とは古市住民の素直な気持ちでしょうか。
「間の山 お杉お玉」という石碑。
お杉お玉とはここで小屋をかけて三味線なんかで歌を歌い、旅人から投げつけられる投げ銭を上手くよけたり撥で打払ったりして人気の街道芸人さんの名前なのです。
しかし江戸時代から明治大正まで続いてという事は・・・二人ではなく、いや一代二代でなはくずっと続いた、場所がリアル坂道だけに現代の某アイドルグループのようだったのかも笑?
江戸時代の名所図会(街道名所風景の案内本のイラスト)を見ると他にも人形使いの芸人さんなんかが営業していたテーマパークのような道だったようです。
お伊勢さん直前にハイテンションだったはずだし盛り上がったんだろね!
しかも、ずっと平坦が続いてきた街道の久しぶりの急坂の途中、ここらで休憩もしたくなるよね。
商売上手だな、お杉お玉。
国内有数の歓楽街古市往年の賑わいの記憶を残す石碑がいくつも現れます。
2枚上の備前屋とこの油屋は古市でも指折りの大妓楼だったとのこと。
近鉄の線路を越えるところで朝熊山が見えた!
朝熊山山頂近くにある金剛證寺にも参らねば片参りになるのです。
そして有名な麻吉旅館登場です。
この正面だけでも堂々たる姿ですが右の路地に入っていきましょう。
あ、ここに道標があるので忘れずに見て行ってください!
左 あさま 二見 ちか道
此おく つづらいし
解説板にもありますがつづら石もこの先にあるので路地をさらに進みます。
坂、というか階段を下りるとそこにも暖簾の掛った玄関。
麻吉さんどうなってるんだ?
まだ下りる、頭上を渡り廊下が。
まだまだ下りる。
ようやく坂を下りきりました。
これ、建物内では「一階」「二階」とかの表現ではどこの場所の事かわからんのでは笑。
坂を下りてそこには道標が。
つづら石道、かな?
小さな神社があって、浅香つゞら稲荷とありました。
大きな岩と祠があって、この岩がつゞら岩のようです。
手を合わせていきましょう。
引き返すときにもう一度下から麻吉を見上げます、まるで要塞です。
建て増しが続いてこうなったのでしょうか。
寂照寺は徳川家康の孫娘、豊臣秀頼に嫁いだ千姫の菩提を弔うお寺とのことで、伊勢になぜ?
道標かと思いましたが、「千・・」と読めるので千姫の何らかのことを表してるのかも。
と思って書いてましたが・・・なんだよく見たら「千度石」ですか!
千回はきついな。
渋い×2のタイル&用水〼。
伊勢古市参宮街道資料館は古市の賑やかな頃の資料を展示しています。
近年の妓楼が健在な頃の写真資料や現物資料も多いのでのぞいてみて下さい。
間の山のお杉お玉はこんな感じだったのでした。
背景に夫婦石、盛りすぎではないか?
月よみの宮さんけい道
外宮前にあったつきよみさん道標は外宮別宮の「月夜見宮」、このつきよみさんは内宮の別宮「月読宮」、ややこしいな。
新しい現代の道標も並んでいて、1.2キロか~。
このつきよみさんはまだ参詣したことはないので行きたい所ですが・・・泣く泣くスルー。
メチャ三重県の美味しそうなお酒のありそうな酒屋さんの前を通りますが、今日は内宮で買わねばならぬお酒があるのでこちらも泣く泣くスルー笑。
尾根道をガンガン下り始めると大きな常夜燈。
油屋旅館が管理者となっていて、往年の大妓楼の油屋が明治時代途中から旅館となっていたそうです。
備前屋、油屋どちらも戦災で焼失だとのことで残念でなりません・・・。
そういえば街道沿いにはたくさんの常夜燈がこうして建立寄進されているのに伊勢神宮の中には無いですね。
他の寺社ではよくあるのに。
伊勢神宮の目立つ寄進物といえば酒樽の壁?しか思い出せません。
尾根を通ってきた伊勢参宮街道は最後のラストスパートで一気に下ります。
宇治惣門跡を通るといよいよ内宮エリアです。
坂道を下りきったら左に曲ると猿田彦神社。
手水舎がなんだかステッカーペタペタえらいことになってます。
おちょぼ稲荷の名刺差し差しの社殿を思い出しました、あれと同じでしょうか。
随分賑わってますが参拝していきます。
こちらは猿田彦さんが祭神なのでお隣には奥様のアメノウズメさんの佐瑠女神社、椿大神社と同じです。
アメノウズメさんは天の岩戸事件の時に岩戸前で舞った神様、現代ではそのため芸能の神様です。
みちびきの神、猿田彦さんに導かれて内宮へ向かいます。
道路の反対側に途中古市で見かけたと同じ「月よみの宮さんけい道」の道標が見えました。
月よみ道標の手前の角を右に曲るといよいよ内宮までの参道ともいえるいわゆる「おはらい町」に入ります。
競馬でいえば「坂を下って最終コーナーを抜け最後の直線に入りました!!」です!!
海鮮や干物を焼いてくれるようなお店、入りたいね~。
美味い三重のお酒の名前がずらりのお店が・・・。
立看板の「作、半蔵、而今の飲み歩きセット」って天国か笑。
而今なんて幻の酒ですって。
いや呑み歩きは我慢です。
「かなり賑わってるね~。」と、この時にはのんびり構えていました。
15時を過ぎたあたりですが内宮は広くて見どころも多く参拝にも時間がかかるので早く内宮に着きたいのでやや急ぎ足で・・・。
へんば餅のお店は行列が出来てます。
朝イチの作りたてを食べたので優越感を感じつつ通り過ぎます笑。
旧慶光院、現神宮祭主職舎、門や塀の立派なこと、大きなお寺だったんだろな。
門のしゃちほこの一角獣みたいな長いひげがポイント。
年に一日だけ内部公開される日があるのですが普段は門構えしか見られません。
江戸時代の旅人もこうしてお上りさん気分でこの参道を歩いたのでしょうね。
内宮宇治橋はもう目前、急ぎ&浮かれで続きます。