高須街道その②、巡見街道分岐から旧佐屋川堤防。 | 歩いて走って登って、毎日ビールか日本酒。

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・・・ついつい今日もまたビール&日本酒をグッと。

高須街道に突入して、すぐに橋がありました、その名は巡見橋。

明治の地図にはあった先ほどの位置の巡見街道の橋は今はありませんが、普通はそれが巡見橋ですよね。

昔なかったこの位置に新たに架橋したときに巡見橋の名を譲ったのでしょうか。

 

さてこの後は基本的に堤防の道が高須街道で、計画時はいろんな地図で確認していたのですが・・・。

なんだか急に怪しくなってきました。

グーグルマップでも国土地理院の地形図でも道があることになってるのですが・・・。

不安ですが進んでみます。

 

まだいけるけど。

 

あー!もうあかんじゃないか~!

こんな引っ付き虫だらけのとこで藪漕ぎはごめんです。

もうすでに足元にはいっぱい引っ付いてるし。

 

結局時間と体力と精神力をえらくロスして、巡見橋に戻りました。

橋詰にお地蔵様のお堂があるのはいい感じですが。

 

もうしょうがない、堤防の歩けない高須街道を眺めながら回り道です、テンションダダ下がりです。

 

あ、高須街道は終始コンビニなどはありませんのでこのスーパーは立ち寄っておくべきでした。

結局は空腹を抱えたままの一日でした。

 

つぎの橋まで藪漕ぎエリアを迂回して・・・。

 

おー、ここからは歩けますわ~!

 

桜並木になってるのですが、こんな離れた道まで桜が根を伸ばしてきてます、すごい生命力です。

 

調べによるとこの津島社辺りで一旦堤防から下りるのですが、道は全くわかりません。

 

集落内を右往左往してから国道155号線と名鉄の線路をこれまた大迂回。

 

ようやく、正規の高須街道に復帰です、やれやれです。

 

うーん、しかしどうということもない道で泣。

 

このあたりはレンコンの一大生産地なので、蓮の花の咲く時期がいいかも。

 

ああこのお宅のおかげで、かすかに街道風味が~。

 

さて街道はここの右手にある草平橋から再び堤防へと上がるのですが、

いったん街道を外れて次の小道を左の集落内に向けて歩を進めます。

 

てくてく。

じつはここ、本日一番テンション上がって歩いてます。

 

程なく現れたのはそう、立派な建屋の酒蔵でした!

 

平勇というお酒の渡辺酒造さんです、直売所の建物は閉まってましたが、書いてある通りピンポンすると蔵の方が出てきてくださいました♪

重くなるけどもちろん当然一本いただいていきますよ。

 

日本酒の収穫はばっちりですが、肝心のこちらの方はというと・・・。

あちゃー・・・。

ルートに復帰すると地図にある高須街道はまさかの再びの絶望の草むら!

これが道ってゆーんかい、地理院、グーグルマップ、ヤフーマップ、どないなっとるねん!ムカムカ

 

・・・…度重なるメジャー地図の裏切りによる落胆のあまりついつい上方言葉になってしまいました、反省です。

 

心を落ち着かせて、またまた迂回です、むなしく田んぼの向こうに見える高須街道を見上げます。

 

養老山系、あちらに向かって歩き歩き。

 

お、なんだか石物があります、なんだ~?

 

検索したけどよくわかりませんでしたが、茶道の関係の碑のようです。

 

西川端橋でようやくようやくようやく堤防に乗りました。

 

ほのかにそれらしい感じ。

 

でも、堤防道はここまで、ってほとんど迂回で堤防上の街道の道歩けなかったじゃんか~!

ちっとも街道をたどってる気分が盛り上がりません。

 

さっすがに津島社が多いのです。

 

勝幡神社もそうでしたが、舞台のようなオープンな社殿(拝殿?)がないこの形の神社はうちの周りにはないので新鮮です。

なんか、いきなり神様に肉薄できる感?はあります。

 

なじみのパターンは先ほどの津島社や、先日の日吉神社↓みたいなこのパターン。

 

なんだか巴紋オサレ石垣はちょっとカッコいい。

 

集落を抜けると道は突き当り、ここから高須街道は消滅してるのです・・・。

 

そう、旧街道歩きで最も恐ろしいのは、農地整備?っていうのかな。

今まであったのを全部チャラにして直線的に農地を作り直してしまうやつ。

街道の痕跡も道の形も何もすべて消えちまうやつです。

直線田んぼ道ドーンです。

ここの救いは前方に旧佐屋川の堤防が残ってるのが見えるところ!

 

巡見街道でも出てきましたが佐屋川は明治時代には上流で閉めきられてなくなってしまったのに堤防の道は延々残っています。

このお地蔵様の祠が高須街道旧佐屋川堤防への目印。

 

堤防に登りました。

こんなにしっかり残ってます、高低差が。

いつかこの旧佐屋川堤防をたどる旅もしてみたいと思ってます。

 

調べによるとここいらに道標があるはずなので探すと・・・このおっきな木の下にありました!

 

毎度毎度、読めねえ笑。

八開村史によれば定納の道標という名前で、

安政3年のもの、

この面は「名古屋道二子村」

あとの面には京、高須、高田、今尾、起や竹花、天王道までの中々もりだくさんな内容。

残念ながら摩耗と葉っぱで全然読めませんが~。

 

数少ない見所なので反対側からの写真もしつこく。

 

では左岸堤防を越えて昔の川の中に向かいます・・・。

 

これが旧佐屋川のDNAを引き継ぐ農業用水、海部幹線水路。

昔は木曽川の本流に勝るとも劣らない大河川だったのに現代ではこんな姿になってしまって・・・。

 

右岸堤防にもお地蔵様の祠が。

街道は渡し舟(定納の渡)で佐屋川を越えてたらしいので、船着き場の名残かもしれません。

 

うーん、街道歩き記録ぽさがちっとも出てこんなぁ。

結局いちばん大きな収穫はこれか日本酒

 

あまりに理不尽な高須街道にやや力尽きつつ続きます。