ワールドカップはまだまだ続きますが、日本とブラジルの試合は、最後の最後にタッチの差で1点入れられて日本が負けてしまいました。
とても残念です。
しかし、日本の選手たち、強豪ブラジルと対戦して本当によく健闘しましたよね。
素晴らしかったです。
ハンプトンのビーチ
さて、このブラジルとのゲームの前に、ブラジル代表のある選手がインタビューを受けたそうです。
「今度対戦する日本代表の選手で一番危険だと思う選手はだれですか?」
とのとてもいい質問に、彼は困ったような苦笑いをして、
「分からない。。これから映像を見ないと」
と、答えたそうです。
強豪ブラジルの選手にとって日本の選手たちは研究に値するほどではない、という意味なのでしょう。
このコメントに対し、コメント欄にはブラジルチームのファンたちからこんな言葉が並んでいたそうです。
「彼ら(日本の選手)はみんな同じ顔だからね」
「11人の双子がいるようなものだから」
それを見た瞬間、海外に2年ほど暮らされているその方はただのネットのコメントとは片付けられないと感じ、傷ついたそうです。
そのモヤモヤする感覚は、決して初めてのものではないと感じたとも書かれていました。
この感覚、わたしもよ〜く分かります。
37年もニューヨークに住んでいると、今なら笑い飛ばせる言葉にモヤモヤした経験がわたしにもあるからです。
我が家の紫陽花はようやく花を咲かせ始めたばかり。
今年もきれいなブルーです。
大昔に夫とニュージャージー州まで行くのに乗ったタクシーの運転手に、
「きみ日本人? それとも中国人?」
と、聞かれ、日本人だと答えると
「日本人と中国人の違いって何?」
と言われたこと。
どっちも大して変わらないでしょ、と言わんばかりでした。
今こんなことを言われたら中国人だって怒り心頭でしょう。
後になって、あの時、東欧のアクセントのある彼に
「ハンガリー人とポーランド人の違いは何? っていうのと同じよ」
と答えれば良かったかなと思いました。
でも、あまり歴史的な知識があるとは思えない彼にそれを言っても、決して会話は知的で面白い方向に向かうことはなさそうなのでやはり黙っていて正解だったかもしれません。
けれど、なんとももやっとする質問でした。
それは大昔のことですが、つい最近もバリ島でありました。
こちらはいつまでも忘れられない経験となってしまいました。
3時間自転車でのツーリングをした時、案内してくれたバリ人が無駄におしゃべりで、最初はバリに関してわたしたちが知らないことを教えてくれたのは良かったのですが。
だんだん時間が経つにつれて、彼は自分のことばかり、決してわたしの顔は見ず、夫のほうを向いて話すことに気づきました。
その時点ではそれでもまだあまり気にならなかったのですが。。。
(女性に対してあまり馴れ馴れしくすると夫の機嫌を損ねるのではと考えているからかしらなんて考えて)
それから第二次世界大戦の話になり、バリ島は日本軍に占領されていたと苦々しく話し始めました。
そして彼はこう言ったのです。
「アメリカがいいタイミングで広島と長崎に原爆を落としてくれて本当に良かったよ」
わたしが日本人だと知っていて言ったのです。
これを聞いた時、わたしは言葉をなくし、もうツーリングを中止して帰りたくなりました。
わたしたちが生まれる前に、大政翼賛会が国会を乗っ取り、日本軍が暴走した結果起こったこと。
それでも日本人としては責任も感じますし、アジアの隣国には申し訳なかったと思いますが、アメリカが原爆を投下してくれて良かったとは。。。
言い方ってものがある。
原爆を落とすことで、大勢の政治とは無縁な市民が亡くなったことがそんなにいいことですか?
そういえば彼は、わたしの自転車が狭い田んぼの溝にハマってしまった時も、ずっと先で見ているだけで助けにも来てくれませんでした。
夫があげてくれました。
なるほど。
彼はわたしが日本人だから気に入らなかったのです。
その時点でやっと気づきました。
ただこういうとき、思い出す二つの例があります。
一つは、娘が中学校時代のパパ友の経験です。
娘の学校で、父兄で組織された「差別&偏見を考える」会みたいなのがありました。
興味があり参加してみたらほとんどがアジア人か黒人の親御さん。
中には差別問題に意識が高い白人ママも参加されていましたが、わたしが参加した時は、アジア人や黒人の父兄たちが、こんな差別的な扱いを受けたというエピソードを披露するものでした。
その時の一つが、香港からの中国人パパ友のコメントでした。
彼は著作物も何冊があるどこかの大学の教授だったと記憶しています。
ある日、小学生のお嬢さんをつれて、パークアベニューアドレスの敷居が高いビルに行った時のこと。
お嬢さんがそのビルに住むお友だちとプレイデートの約束があり、送り届けたのです。
すると入り口に立つドアマンに、サービスエレベーターを使うように言われたとか。
きっとカジュアルな服装をしていて、出前持ちに間違えられたのでしょう。
彼の憤慨たるや生半可なものではありませんでした。
よほど自尊心が傷ついたのでしょう。
その一方で、娘の友人に素晴らしい男の子がいます。
アイビーリーグの大学を卒業し、人も羨む職業につき、長身でスタイリッシュな彼は黒人です。
娘曰く、どんな不埒な経験をしても、彼が怒りを露わにしているところは見たことがないというのです。
彼の気高い自尊心は何があっても傷つかない。
何を言われてもされても受け流せるし、時にはユーモアで返せるというのです。
この二人の例を思い出し、いつも自分に言い聞かせることがあります。
「磨くべきは鈍感力」
この世から差別や偏見はなくならない。
人には、いえ動物にも「異なる」ものははじき出そうとする「なわばり意識」みたいなものが本能的にあり、見下したり、敵対視したりする。
世の中はそんな差別や偏見をなくそうと動いているけれど、決して簡単になくなるものではないでしょう。
「異」なるものをせめて受け入れる一番てっとり早い方法は、辛抱強く「教育」によって違う(宗教、民族、人種、政治)の背景を知り、理解し、思いやりをもつことしかないのではないでしょうか。
けれど、これが本当に難しい。
似たもの、同じものに安心感や連帯感を感じるのが人間の本能なので。
異なるものが自分より劣っていてももちろん、優れていてもまずは防衛本能が働くのでしょう。
嫉妬という感情もあると思います。
また、いくら学歴が高くても、「異」なるものを受け入れることができず、己の差別的な感情を恥ずかしいとも思わない人がいれば、教養があるとはいえない。
どこかのオレンジヘアの爺さん大統領もその一人ですね。
仮に差別的な扱いを受けたと感じた時は・・・・・・、
相手の教養のなさを哀れに思うだけにして、そういうときこそ、自分をフェアに扱ってくれるもっと多くの他の人たちに感謝し、凛とした振る舞いで、大らかに気持ちを切り替えよう、そう思ってニューヨークで生きてきました。
2009年に書いた記事です。




